昔好きだったゲーム
- カテゴリ:ゲーム
- 2014/05/01 02:28:11
ゲームといえば、いろいろありますよね。
オセロや将棋、囲碁、トランプ、人生ゲームなどのすごろく。はてまた福笑いまで。
蒼雪の年代からすれば、昔=コンピュータゲーム、いわゆるファミコンでした。
いとこの家で初めて触らせてもらったファミコンにひとめぼれし、世の中にこんなに面白いおもちゃがあったのか! と人生観が変わったアイテムでした。
当時は小学校1年くらいでしたか。妹のお年玉と合わせて買ってくださいと親に頼み、なんとかファミコンは家に来ました。
初めて遊んだゲームソフトは、スーパーマリオではなく「グーニーズ」です。
有名な映画をコナミがゲーム化したもので、今でも良いゲームとして語り継がれています。
チャッチャチャララッチャ チャララッチャチャララ
スタターンタターラーラーララ…
というイントロの、有名なテーマ曲がファミコンの音でうまく再現されていて、ゲームでこの曲を知ってから、テレビ放送された映画を観、やっぱ名曲だよなあと感動したものでした。
映画ももちろん面白かったです。
当時のゲームは理不尽に難しかったり、エンディングがなくえんえんと同じ面を繰り返すものが多い中、これは実にちょうどよい難易度で、子どもだった私でもなんとかエンディングを自力で(攻略本は買ったけど)見ることができた作品です。
そういった親切さが今でも思い出深いゲームとなっております。
話を冒頭に戻すと、蒼雪はめちゃくちゃ負けず嫌いでした。
家族とトランプなどして負けたときは悔しくて、洗面所で顔を洗う真似をして泣いた記憶があります。もちろん親にはばれてました(笑)
子どもの頃遊んだゲームはなんでも面白かった気がします。
福笑いをやって、変な顔ができたときは笑い転げたし、オセロでは親相手にむきになって勝負を挑んだり。
そうそう、テーブルトークRPGもやりました。
といっても、中学生新聞だったかの遊びのページにあったやつでしたが。
一応説明すると、人間同士、もしくは自分一人で自力で「蒼雪はモンスターを攻撃した」「宝箱をあけた」などと、用意されているテキストを見ながらしゃべりつつ、その場面を想像しながら楽しむ遊びです。
マップと自分の分身であるコマ(騎士などのフィギュアがテーブルトーク用に売られていたらしい)、行動を決める数値を出すためのサイコロ(ダイスという。八面などの複雑なダイスが専用にある)があればできたゲームでした。
要は、人生ゲームがファンタジーに置き換わったようなもので、テレビゲームで定着したRPGの原点といわれています。
テーブルトークは、冬休みにほんのひととき、ひとりで遊んだだけですが、ファミコンに通じる面白さがありました。
それは、場面を思い浮かべる想像力のせいでしょう。
子どもの頃は無限に湧き出ていたのに、大人になった今では、柔軟な発想がしにくくなりました。
そのかわり、理論だてた想像はできるようになりましたが。
妄想力がおとろえたために、ちょっぴりしかないテキストのゲーム、たとえば真・三國無双なんかを楽しむ力も弱くなりました(笑)
少し前までは、ちょっとしたセリフや行動などから、いろんな想像をして楽しんだものですが。
ゲームそのものに飽きたのかもしれませんが、キャラに感情移入して想像の翼を広げることが、以前より難しくなりました。
これが、年を取るということなんでしょうかね。
できることなら、死ぬまでいろんなことに興味を持ち続けていたいです。