自作6月/水溜り 「ベートーヴェンを弾く少女」
- カテゴリ:自作小説
- 2014/06/29 07:06:03
ざあざあ雨降る梅雨の火曜日。
沙樹は学校帰りに、週一のピアノレッスンへ行った。女子高からピアノ教室まではバスで二十分。
学校前のバス停から乗っていく。
バスに揺られる間、雨はどんどん激しくなってきて。車窓に幾本も斜めの筋をつけた。
教室は先生の個人宅だ。古い住宅街の瀟洒な洋風の家で、バス通りに面している。
「今日は湿度が高いから、音が重いわね」
グランドピアノの脇に立つ先生が、沙樹の弾くベートーヴェンのソナタを聴きながらつぶやいた。
そうかも、と沙樹は心中うなずいた。今日は心なしか腕が重い。和音を幾重にも重ねたベートーヴェンの曲は、
気を抜くとすぐに歯切れ悪く聞こえてしまうから要注意だ。
遮音の効いた掃きだし窓のむこうは、雨に打たれる庭。沙樹が最後の締めの音をダーンと力いっぱい弾きおろした時。
視界の端に、満開の蒼いアジサイが一面咲き乱れているのが映った。
「沙樹ちゃん、やっぱりベートーヴェンが一番しっくり弾けるみたいね。発表会の曲はベートーヴェンにする?
それとも他に弾いてみたいのある?」
「うーん」
教室の発表会は毎年真夏の夜に、街の記念ホールで開かれる。選んだ曲をふた月で仕上げて舞台の上で弾くのだ。
「ドビュッシー、弾いてみたいです」
つい先日、沙樹はBSのクラシック番組で、ドビュッシーのアラベスクのピアノ演奏を視聴した。
あたかも竪琴を爪びいているような、とても流麗な曲。質実剛健なバッハや、重厚なベートーヴェンとは全く違う趣の
繊細な曲相である。
「幻想的で、ふわっとした感じがいいなと思いました」
沙樹は去年、ベートーヴェンの悲愴を弾いた。その前はバッハのイギリス組曲。普段の練習曲はベートーヴェンや
シューベルトのソナタが主で、まだ印象主義派の曲は一度も弾いたことがない。
先生はなるほど、とうなずいた。
「アラベスクとか、たしかに素敵だわね」
「あ、それ。それを弾いてみたいです」
「じゃあ挑戦してみる? でも沙樹ちゃんちょっと苦労するかもよ? ベートーヴェンと違って、腕力はむしろ
必要ないから。あのふんわり感を出すのは結構難しいわよ」
「やってみます」
「それじゃ、ええと楽譜は……」
先生は書棚からまっ白い装丁の楽譜本を出してきた。
「これこれ。いつもの楽器店で購入して、来週持ってきてね。さっそく練習はじめましょ」
「はい」
先生はメモ用紙にさらさらと楽譜本の題名とISBNを書き写して沙樹に渡した。
価格は千五百円。今持ち合わせがぎりぎりあるから、今日のうちに買って帰ろう。
沙樹はそう思い立ち、教室からの帰り際、母親に、「楽譜を買って帰る」とメールを打った。
「あ。梨子からメール来てる」
『6/22 17:05 サキ、レッスン終わった? オツカレ♪』
『6/22 17:11 リコ、今終わったよー。これから楽譜買いにいく』
返信を打つと、すぐに親友からメールが帰って来た。
『6/22 17:15 JR駅前のお店でしょ?
アタシも用事あって、今駅前きてる♪
時間あるならマックしよ?』
『6/22 17:17 了解♪ マックで待ち合わせね』
楽譜を買うのでお金が無くなるが、梨子におごってもらうか。
沙樹はそう考えながらバス停に向かった。駅前の楽器店へ行くには、また二十分ほどバスに乗らねばならない。
レッスンを終えてもまだ雨は降っていて。ばちばちと雨傘に穴が開きそうな音がしている。
「わ!何これ」
バス停に着いてみると。まん前の道路が、大きな水溜りと化していた。大きいだけでなく結構な深さ。どうやら
先の大地震で陥没したままの処に、雨水が溜まったらしい。レッスン前に降りた時はそれほどでなかったのに、
激しい雨で急成長したようだ。
「きゃあ!」
車が通り過ぎたとたん。その水溜りの水が盛大にはねた。まるで津波のようにぶわっと。
沙樹は傘の柄を握り締め、慌てて後ずさった。その時こつんと背中に大きなドラム缶が当たった。バス亭がある所は
住宅の合間の砂利が敷かれた狭い空き地で、隣近所がこっそり物置にしている。ドラム缶に阻まれてそれ以上後ろに
行けず、沙樹の足元はびっしょり濡れてしまった。
うらめしげに缶を見やれば。中にはいろんなゴミが詰まっていてひどく重そうだ。
「やだもう……」
沙樹は空き地の奥へ逃れた。次から次へと車がやって来る。そのたび水溜まりがぶわっと跳ねる。大雨のせいか、
バスはなかなか来ない。待ち合わせに遅れそうだ……。
沙樹は親友にメールを打った。
『6/22 17:25 リコごめん、バスこない。遅れそう』
『6/22 17:27 のんびり待ってる~。焦んな~♪』
こんな時、大らかな梨子の性格はとてもありがたい。でも申し訳ないので、沙樹はバスが来るまで何度もメールを送った。
『6/22 17:33 バス待ちの人増えてきた。
水たまりの水しぶきスゴくて、みんな奥に後退中』
『6/22 17:35 サキ、すでにびしょぬれと予想』
『6/22 17:38 あたりw』
傘越しに眺めれば。バス亭と気づいて速度を落としてくれる車もある一方で、反対にわざとアクセルを踏んでくる
車もある。
雨は一向に止む気配が無く。水溜りはますます大きくなってきた。水しぶきが空き地の奥まで襲ってくるように
なってきて、バス待ちの人達は車が通るたびに身構えた。
そんな中、猛スピードで高級スポーツカーがザアッと横切り。ひときわ大きなしぶきをあげていった。
バス待ちの人達は思わずどよめき、一斉に後ずさる。
「ったく、うざ!」
列のはじにいる背広姿のサラリーマンが、チッと舌打ちをした――。
『6/22 17:43 報告! 超イケメン発見!
その人アタシのそばにやってきた!
ゴメンどいて、だって。何するかと思ったら、
いきなりアタシの近くに置いてある
大きなドラム缶たんがえたー!』
『6/22 17:45 ちょ、サキ、何ぞそれ?! kwsk!』
『6/22 17:50 イケメン、ドラム缶水たまりのど真ん中にドン!
車みんなよけて走ってくよー!
イケメン、マジグッジョブ! マジ神!
しかもアタシ、 ハンカチ差し出されたww
ずいぶん濡れたな、これで足を拭くでござる、って♪
そんでやっと、バス来たよー!』
午後六時十五分過ぎ、沙樹が駅前のファストフード店に入ると。梨子は幸せそうにシェイクを飲んでいた。
「サキ、おつかれ!」
「リコ、遅れちゃってごめん」
「どんまい。ほら座りな。あ、シェイク何味にする?」
「え、イチゴがいいけど……おごってくれるの?」
「ご・ほ・う・び♪」
「え?」
沙樹はきょとんとした。
「あんた、嘘つく時はほんとハイテンションになるよねえ。普段は大人しいお嬢様なのに」
梨子はくすくす笑った。
「ドラム缶移動させたの、あんたじゃないの?」
「えっ、私には無理よ。あんな重いの動かすなんて」
「ピアノって腕力要るから、あんた毎日ダンベルで鍛えてるじゃない」
梨子は笑いながら席を立ち。沙樹の分のポテトとシェイクをカウンターで買って戻ってきた。
「リコ、ほんとに違うってー」
「わかったわかった、そういうことにしといたげる。けど、」
梨子はニヤニヤしながら沙樹の前にトレイを置いた。
「『足を拭くでござる』って、いつの時代の人なのー。マジうけるわー!」
「いや私もびっくり、ありえないよねー!」
ころころ笑いあう二人。箸が転げても可笑しい年頃だ。
頬杖をつく沙樹の両袖は、べっとり黒く汚れているのだが。梨子はあえてそこには突っ込まず、それからしばらくの間、
モテない同士の盟友とイケメン話に花を咲かせたのであった。
つづく?
ご高覧ありがとうございます♪
おそらくマジでがっぷりよつ…^^;
私もさきちゃんぐらいの腕力が欲しいですw
この方言からするに舞台は東北地方ではないでしょうか…(ぉ)
フェルト部分も湿気吸収して、音がこもりますし
>「ベートーヴェンと違って、腕力はむしろ必要ないから」
ベートヴェンを弾き、先生にも認められる立派な腕力の持ち主、沙樹お嬢さんw
さすがドラム缶を動かすだけのことはあります。
ま、傾けてくるっと回転させる方法で動かせば意外と力なくても行けるのですが、
袖の汚れっぷりから推察するに、がっぷりよつで押し動かしたのかな?
両袖の汚れに触れない梨子さん、良いご友人じゃないですか。
たんがえるって、担ぐって意味だったのか。
興奮のあまり誤字送信したのかと思ったんですが、方言だったのですね。
ありがとうございます^^
書いてる人は、女子学生としてはかなり昔の部類に入る人なのですが、
そういえばこんなだったなぁと懐かしく思い出しながら書きました^^
アクセス数ご報告ありがとうございました><
自作サークル集の皆さんの作品のアクセスアップにつなげるため、
スイーツマンさまが自作サークル関係でツイートされてるものを、私のツイッターでリツイートさせていただきます。
(とりあえず6月分から)
どのぐらい効果があるかはわかりませんが><;
いきいきしていて、ステキです^^
Sian様 62アクセス
読んでいただいてありがとうございます。
古典派のはまだいいのですが、ショパン以降の曲になると1オクターブ以上の和音がじゃかじゃか出てきたり、
超高速でひかないといけなかったり……とにかく腕力を使います^^;
イケメンは……主人公の袖が汚れてるということは……そうなのかな^^?
イケメンはヒロインのトリック?
読んでいただいてありがとうございます。
花も恥らうクラシック好きな乙女なのに実は……^^
いやほんとに、意外に腕力が要るのですよ、ピアノってw
二の腕が太くなりますです^^
たくましくて素晴らしい。
掲載と訂正、ありがとうございました><
校正もっとしっかりやらないとダメですね;
こちらの本文の方も直しておきます^^
コメントありがとうございます。
主人公の好みのヒントは本人のメール文内に^^
大胆とやんちゃ、どちらでしょうね。
普段は怪力をひた隠し、とりあえず表向きはヤマトナデシコ?で^^
読んで下さってありがとうございました。
もてない乙女、その理想像もちょっと変わってるのかも^^
笑っていただけてうれしいです^^
読んで下さってありがとうございます。
始めはただ「バス亭」とつけていたのですが、地味かなと思い今の題に代えました。
とりあえず主人公の袖が汚れているので、イケメンいなかったのかなぁ^^
でもイケメンいたの? いないの? なんで「ござる」?と、いろいろ想像していただけるとうれしいです^^
読んでくださってありがとうございます。
恋愛ものになるのかどうか、いい人が現れるといいのですがどうなることでしょう^^;
●「小説家になろう!」サイト
http://ncode.syosetu.com/n4393by/
なお、
沙樹はそう思い立ち、教室からの帰り際、母親に「楽譜を買って帰る」とメールを打った。
↓
沙樹はそう思い立ち、教室からの帰り際、母親に、「楽譜を買って帰る」とメールを打った。
のように、文章中の「」使用のときは、台詞「の前に読点を1字入れるという約束事、「!」「?」記号使用のとき、1字スペースあけという約束事があるため、多くの出版社が採用しているルールに改めている旨、ご了承ください。
大変素晴らしい作品のご寄稿に感謝いたします。続編を楽しみにしております。
大胆 と ヤンチャ との境界線の見極めは難しいでぇ ( ・_・)
などなど ついつい現実的に読んでしまう(^_^;)
ござるって言ってるあたりで、これ、本当にイケメンなのか…と訝しんだので
結末に思わずニヤニヤしてしまいました♪
題名を見て面白そうだと思いました。
イケメンさんは、ほんとうに居たのか居なかったのか謎のまま?
もてない彼女が
恋する恋愛ものか いいと思うよ
読んでくださってありがとうございます。
ピアノ少女のお話、数話続けられるとよいなぁと思っています。
がんばってみますね^^!
読んでくださってありがとうございます。
ご訪問に加え、コメントまでいただきとてもうれしいです><
きらきらした水の流れのような曲……
私のつたない文でピアノの音を想像して下さって、とても感激です^^
読んでくださってありがとうございます。
そうなんです。乙女の妄想なのです^^;いつかきっと素敵な方があらわれる……かもしれません^^
つづき、楽しみにしてますね。
Sianさんの小説は、日常の会話がとても自然に表現されているな、と感じました。
読みながら、ピアノソナタの、きらきらした水の流れのような曲が思い出されたんですが、曲名が分からない・・・。><
読んで下さってありがとうございます。
とてもうれしいです。
三千字に収まるよう、はしょってはしょって……なんとか収まりました^^
読んで下さってありがとうございます。
現代もののラブコメってこんな感じかなぁ、メールの表現どうしよう、草生やしていいのかな~と思いつつ、
とおーい昔も思い出しながら書きました(遠い目)。
白馬の王子夢想は乙女の特権です^^
読んで下さってありがとうございます。
恥ずかしくていえないのですよ~花も恥らう乙女ですからw
絵画のほうで印象派がわけわからん~けどなんかすごいのを描き始めて、
それじゃ私もとドビュッシーさんが音楽の方で……(
アラベスクの楽譜見ますとメロディーラインが左手と右手をいったりきたり、しかも切れ間がなく
寄せては返す波のよう。音なのに視覚的に表現されているなぁと感心しきりです
読んで下さってありがとうございます。
とおーい昔を思い出して書きました^^
文章でどうやって音を表現するのか……そもそもこのお話、音楽ものなの?
などなど不安要素いっぱいですが、何話か続けられたらよいなぁと思います^^
読んで下さってありがとうございます。
運転者、歩行者、それぞれの立場にならないとわからないことってたくさんありますよね。
モテない乙女は理想の王子を夢想した模様^^
もしパッとしない外見の男の人が缶を動かしても、主人公はきっと「イケメンが!」と
メールを打ったと思います^^心のイケメンばんざい^^
読んで下さってありがとうございます。
私は音楽とは別の進路を選んでしまいましたが、このお話の主人公はどうなることでしょうか^^
続き書けますようがんばります^^
読んで下さってありがとうございます。
「さよならドビュッシー」と比較されるとはノωノ(←存じてますがでも未読)
いやお恥ずかしいです。好きと言って下さってとてもうれしいです。
エピ100ですか……、一話三千字とすると三十万字、薄い本三冊分ぐらいですね。
このお話でできるかどうかわかりませんが、がんばってみます^^
読んで下さってありがとうございます。
読解鋭いです^^
実はドラムやってる男子高校生(彼がドラムのように缶を叩きながら動かす)と出会う展開も考えてましたw
でも当面主人公は、もてない子でいきそうな感じです^^;
読んで下さってありがとうございます。
ピアノ弾いてて手先は器用な主人公、肝心の所は不器用なのかも^^
ISBNにはいつもお世話になってます~^^
話の構成が上手いと思いました^^
ウケた。w
ドビュッシーってさ、訳の分かんない曲が多いよね。
アラベスクとか亜麻色の髪の乙女とか月の光とか、一部の曲を除くと凡人には理解できないものがある。
その一部の名曲ですら、深淵な旋律に圧倒される。
少女たちの弾むような それでいて 何かしら秘めた日常が
とても良く表現されていて 詩的な感じさえ受けました♪
音楽話題からですと こんな感じでイメージが出来て素敵です(^^)
なるほど ( ..)φメモメモと ついついやってしまう むぅさんでありました
(〝⌒∇⌒〝)キャハハハ!!
車の運転手は、雨が降っていても何時も通りに走りますから、困ったものです。
そしてイケメンですか、イケメンでなくても良いですから優しい人が、ドラム缶など邪魔しているものをどかして繰れれば良いですね。
描写お上手でSianさんの少女時代を彷彿とさせる物語ですね、
次回が楽しみです^^
ドビュッシーというと、『さよならドビュッシー』を思い出すのですが。こっちのほうが明るくて好きな感じです。
ピアノからドラム・缶への転換
・・・これは楽しい!!
m(_ _)m
雨の午後の日常と、そこで発生したイベント。
楽しく読みました。
そうそう、先生さすがです。同じ本を買わせようと思ったらISBN!
これ最強。
本屋さんや図書館でISBNを使って検索すれば、あるかないかが一撃ですね^^
ウソをつくのがへたな、まっつぐな沙樹ちゃんがかわいいです♪
半分実話?かも。