冒険小説の裏の裏
- カテゴリ:小説/詩
- 2014/07/04 02:58:21
一度書いたけれど、なんだか話の方向が深刻になって面白くないなと思ったのでボツにしたのですが、読みたかったお友達がおられたようなので、また書きなおそうと思い立ちました。
お題が小説ということで、トールキンの名作「指輪物語」と、「ホビット~行きて帰りし物語」です。(どちらも原書房刊を読みました)
なんか前にも書いた気がしましたが、あらためてもう一度紹介と感想を。
イギリスの言語学者で作家だったトールキンが、なぜファンタジーの王様と呼ばれるのか。
それは、今日で語られ、使用されている世界観や異世界の種族~エルフやホビット、ドワーフのデザインをしたのがこの人だったからです。
よって、「指輪物語」や「ホビット」を読まずして、彼らのことを訳知り顔で語ってはいけない。
昔、日本でウィザードリィがヒットして、それからドラクエなどブレイクし、日本で西洋ファンタジーとRPGが大流行した時代。
ネコも杓子もエルフ、エルフでした。指輪物語を読まない人が作った亜流も雨後の竹の子のごとく出まくりました。
そんな中、正統派ファンタジーであるトールキン作品を知る人達は、みな、「ファンタジーの基本中の基本だからぜひ読むように」と伝えてきたのです。
私も子どもの時に手に取る機会があったのですが、指輪物語はどうにもとっつきにくく、スルーしてしまいました。
通しで読まずに最後のページだけ開き、子どものような帽子の人物が3人、草原に座って何かを眺めている後ろ姿の挿絵だけ見て、「なんだか切ない感じのラストだな」とだけ記憶にとどめて10年余り。
大人になって、ようやく本を全部読むことができました。
記憶にあったラストの挿絵は、草原じゃなくて海の絵でしたww
映画から先に見て話を読んだので、これはそうだったのか~と、今さらながら納得です。
ファンタジーの原型ともいうべき要素が、綿密な世界と後付けによって成されています。
全部トールキンのオリジナルではなく、彼があちこちから集めてきた伝承などが元になっていますが、何度も書き直して構築したそれらは、トールキン神話と言っていいほど完成されたものです。
面白いと世の中が言う全てがつまっています。
それに、人物の行動とそれを裏付ける彼らの思考が生きている。
ちゃんと生きたひととして、味方敵方、双方の視点から描き出しているんです。
それこそ、映画を見ているような流れとキャラの動きでした。
旅の途中で分かれてしまったフロドとサム、ピピンとメリーですが、ピピンたちがモルドールの砦に捕えられたフロド達の衣類を敵側から見せつけられて、思わず叫んでしまった描写なんて…熱いです。
あとはサムのフロドへの献身とか、ガンダルフの活躍、エオウィン姫とファラミアの恋模様など、名場面を上げればきりがないです。
映画では省かれていましたが、トールキンはどうしても書きたかったホビット庄のてんまつが興味深いです。
自然と共存していた村が、悪に堕落した魔法使いサルマンとその手下にそそのかされて、自然破壊した上に金儲けのための製粉工場を作ってるんですね。
そして、怒り心頭に達した自然を愛する庭師サムを筆頭としたホビット戦争が始まる…冗談でなく、殺し合いが起こります。
最後はサルマンは消滅、手下の「蛇の舌」も死んで村を取り返すのですが、このくだりは完全に、壮大なロマンスだった物語の蛇足に感じました。
しかし、このエピソードへの伏線はすでに最初の方で描かれており、トールキンは書く気満々だったことがわかります。
むしろ、これを書くために指輪を捨てに行く物語があったに違いないとさえ。
この手のゴタゴタは「ホビット」でもすでにあって、妖精の一種である彼らでさえ、人間関係の煩わしさが描かれているのが、妙にリアリティを出しています。
悪の権化サウロンや、それに支配されるサルマン、指輪の追手達、倫理観のないオークやゴブリンは、思うままに自然を破壊しつくします。
彼らの生み出した機械のせいで、その土地一帯が汚染されるほどです。
欲望に負けてしまった彼らは、まるで現世界の人間達のよう。
自然を守る立場にある、「善き人々」エルフは、その対極にある者達です。
これは寓話ではないとトールキンは語ったそうですが、そういった象徴や物語は、やはり自然環境の保護を読者に訴えかけてきます。
自然や動物を愛していただろうことは、木々の描写に「生きた木」という書き方をしているところでも察せられます。
植物にも心があると考えたから、エント族という樹木の巨人も想像できたのです。
しかし彼は、書きたいものを書きたいだけ書いたんだろう、ということはよく伝わります。
説教のつもりではないと言い切った。彼もまた作家であったのです。
正直、冒頭からアラゴルンに出会うまでのくだりは長すぎました。
ひたすら歩く描写、いきなり出てくるトム・ボンバディル(笑)、どうして旅に出なければならないかの説明…読んでいて眠くなってしまいました。
話のテンポでは、前作に当たる「ホビット」が優秀です。
子ども向けを意識したのか出来事も次々起こって、最後はまさかのどんでん返し。
「指輪~」への伏線のために、やはり最後の方で闇の勢力との戦争が起こります。
炎が起こったり、見えなかった扉が現れたり。魔法は確実に存在していながら、万能ではありません。
両作品とも、血まみれになりながら自力で成功を勝ち取っていました。
戦いよりももっと印象的な場面は、主人公たちの飢餓です。
旅の途中で糧食が尽きて生死の境をさまよう場面が何度も登場します。
その窮地も、良いタイミングで食べ物にありついたりして救われることが多いですがw
でも、なんでも魔法で解決せず、彼らの手足で成功を勝ち取り、収めています。
そこの泥くささが名作と呼ばれるゆえんでしょう。
最近は日本でも厄介な権利が容認されてしまいました…。
戦い争うことは人間の性かもしれない。永遠にはなくならないかもしれない。
でもできることなら、自由や平和を勝ち取るために血を流すことを正当化してほしくないです。
攻撃が起こることを想定する、報復を受けて戦争に巻き込まれる。
それがどんなに恐ろしい状況かってことを、もっとみんな考えなきゃいけない。
安易に賛成とか言ってたら、やがて戦争が本当に起こったとき、自分や家族が徴兵されるかもという想像力と危機感を持たなければ。
同盟国だけに危険を背負わせるのは理不尽だという考えは分かる。
でもまず、そういった危険が起こる事態を避ける術はないのかと考えなくちゃ。
トールキンはファンタジーなのにシビアに戦争を書きましたが、これは、「現実的に見たら、両者の間で争いは絶対に避けられない」という前提でのものです。
反戦小説でもありません。
争いを好まない美しき種族~エルフは、そんな世界を見限るように去っていく定めです。
残された種族である人間~私達は、エルフにはなれなくとも、せめてホビット達のようにたくさん食べて飲んで、自然と共に平和に楽しく暮らしていければ…それが生きるという本来の姿じゃないだろうか。
作者の声が(空耳かもしれないが)聞こえてきそうじゃなありませんか。
たくさんの人に読まれる物語というのは、作者の意図しないところで、大切なメッセージを抱いている気がします。
読みたいと言ってくださると、「ああ、こんな私の記事でも楽しみにしてくれる方がいるんだな」と、嬉しくなります。
こちらこそありがとうございます^^
読むタイミングというのは人それぞれですよね。
薦められてるから読んでみたいという気持ちと、お財布の中身や自分の好奇心との比較は大事にしなくてはなりません。
私も、友達が薦めてるから速攻買って読もう、ということにはなりませんから(笑)
ご自分の一番読みたいタイミングで読まれるのが一番ですね。
トールキンなら図書館にもあるでしょうし、全巻買うと高くつきますので、古本なども探してみるとよいのでは。
そして、もし映画をご覧になっていないなら、映画から観てみることをお薦めしますw
映画はほぼ原作通りですし、素晴らしい出来なので物語に入り込みやすいです。
とはいえ、私は一番最初にテレビで劇場版を見たとき、話がまったくわかりませんでした。
主人公たちが指輪を危険視して破壊するための旅に出る、という流れしか把握できず。
もしご覧になる機会があったら、劇場版よりも、レンタル屋にも出ている「エクステンデット・エディション(ノーカット編集版)」を見てください。
話の流れやキャラの役割が良く伝わりますし、隠し字幕でスタッフの裏話も見られます。
私は子どものころからファンタジーや日本の怪談話ばかり読んでましたね。よほど現実がつらかったのか^^;
昨今映画化されたナルニア国物語も夢中で読んでました。(最近第三部がテレビ放送されましたが、あまり面白くなかったです。対象年齢から私が外れたせいもあるのか。話の出来もいまいちじゃないかなあと)
ハリポタはアズカバンまで読みました。最終回だけはテレビで見ました。
子どもの時は妖精のように可愛らしかった主人公たちが、ひげが濃くなりオッサンオバサンになっていく姿は…。
いやー、向こうの人達の大人になる速度って速いですね(笑)
精霊の守り人などもそうですが、名作とうたわれる作品は、ただ幻想的な世界を描くのではなく、われわれが生きる世界とそっくりに作られているんですよね。私達が抱く悩みや苦しみが、あちらの世界の方式で解決されていく。
そして、普遍的な大切なメッセージを伝えているんですね。
そういう役割を持ったものが、後々にも読み継がれていくんだと思います。
ここに書かれた言葉の一つ一つをゆっくりと拾いあげるように読ませて頂きました。
私は、どちらも未読の作品なのですが、蒼雪さんが話題にされるたびに「読んでみたい」と思っていました。
実際、先日は書店で文庫を手に取ってみたんですよ~。
児童向けのレーベルも、一般向けの文庫も、パラパラっと捲ってみましたw
で、どれにするか迷って、まだ他の未読本があったので保留にしてしまいました^^;
でも、つぎは「これにしよう♪」と決まるような予感があります。なんとなく、なんですがw
私のファンタジー作品の読書歴は、国内では、佐藤さとるさんの「コロボックルシリーズ」と上橋菜穂子さんの作品。
海外作品では、ジブリ映画「ハウルの動く城」の原作と、ハリーポッター(途中まで^^;)くらいなんです。
トールキン作品は、いつか読もう、と思いながらも月日だけが流れて、読まずに大人になってしまいました。
しかし、こうして蒼雪さんの記事を読ませて頂くと、大人になった今だからこそ『読める』ような気がしています。
そして、なんとなく私がそれらを読むのは『いま』だったんだなぁ~という気もしています。
これまた、なんとなくですがww
しっかりと描かれた世界観で魅力的な人物たちが繰り広げる物語。
そういった本を読むのは昔から好きです。
今から、楽しみでなりません。
蒼雪さん、ご紹介くださって有難うございました!^^
私は面白いと思ったものしか紹介しないので、面白そうだと伝わればうれしいです^^
指輪物語は、たしかに長くて専門用語が多く、キャラ設定も後付けが多いために、知識を後から補完しつつ何度も読む羽目に陥ります(笑)
ガンダルフが実はイスタリという霊で、最初から老人の姿で世界を放浪していたなんて、中つ国ウィキを読むまで知りませんでしたよ。
映画「ロードオブザリング」の監督たちも、原作をとても読みこんでいて、私に近い考えで話を作っていましたね。
サウロンらの自然破壊に立ち向かう森の一族エントのシーンは「自然が復讐しているんだ」と話していました。
トールキンは戦争を多く書きましたが、読む人によっては戦争賛美小説にも取られるとか。
しかし、戦争を体験し、悲惨さを知るからこそ、戦争シーンにはむごさしかありません。敵味方が死ぬ。
三国志のように、勇将が美しく人を殺したなんて描写はまったくありません。
エントの行動が説得力を増しており、人類存亡の危機にある王国の人間達が勇気をもって立ち上がる場面に感動するのですね。
スタッフも、そこに共感していました。戦争批判映画になったと語っていました。
ホビット戦争は映画ではカットされましたが、故郷が汚染された様子はガラドリエルの魔法の水鏡でフロドが垣間見るシーンで反映されていました。
トールキンの故郷が、美しい自然を壊されて工場地帯になったことがモデルだそうです。
本人は寓話でも批判でもないと言い切ったらしいけど、やはり伝えたい事があって、託した場面でしょう。
トールキンの作品はとても人道的と言われます。
映画でもそこを強調していて、ガンダルフがとても素晴らしいセリフを言うんです。
「この世で何かを成し遂げる者は、英雄ではなく、ホビット族のような当たり前の生活を営む平凡な人々ではないか」
という内容の。
自衛権に関してですが、どちらの考えも正しいと認めた上で、行使反対の考えです。
今や世界の一人一人が自分の意見を言える立場を得つつあります。
戦争は嫌だと発した言葉が束になって、世論や政治家を動かす時代はきっと来る。
理想論かもしれませんが、いつか実現しそうな気がするんです。
そのために、個人のものの考え方や教育が良い方向に変わっていき、成長することを願ってやみません。
指輪物語は未読っすよー! 有名すぎて名前だけ(^m^)
蒼雪さんの本の紹介を読むと、面白そうだなーって、読書意欲をそそられることが多いっすけど、これも気になってきたっすー!
でも、読解力と根気が著しく低下してる俺で読めるのか、不安が^^;
こういう名作の導入として、映画を見るのはいいっすよね!
宣伝で見てても映像とかすごくって引きつけられるっすよ。
自分の描きたいことと物語としてのバランスって難しいっすよねー!
それだけに、ホビット戦争に対するトールキンの思い入れが感じられるような。
その時代の世相を反映し、作品に自分の思いを託したんでしょうね^^
第9条問題……。こちらからは仕掛けなくとも、戦いに巻き込まれる可能性を考えると、いつまでも逃げてはいられないとも思うし、一度容認してしまうと、それをさらに拡大解釈して、かつてのような間違いを犯してしまわないか…とか、考え始めると、きりがないっすよね…。
武力の必要ない平和な世界が実現すればいいのでしょうが…。
人間に欲があり、自分の持っているものだけで満足できないでいる限り難しそうです。
でも、この欲が、人類の進化や発明の原動力であるのも否定できないところで…。
こういうことにはどれが正解ってないんでしょうね。