スーパーの七夕飾り
- カテゴリ:日記
- 2014/07/06 23:22:41
毎年七夕が近づくと、地域の保育園や幼稚園の子たちがこしらえた七夕飾りが目に留まります。
笹に手作りの折り紙の飾りや短冊がつるしてあって、つたない文字で願い事が書いてあります。
ほとんどは欲しいものの名前や、おすしやケーキが食べたいとか、「将来アンパンマンになりたい」という、ほほえましい願い事が書いてあります。
先日見かけた笹飾りに、こんな願い事がありました。
「早く結婚できますように。お金も貯まりますように」
……。
きれいな字でしっかりと書いてありました。
子どもが書いた…のか?小学生とか?
いや、筆運びが子どもとは思えなかったです。
もしかしたら、保育士さんの切実な願いだったのかもしれません。
でもあまりに現実的で、そこだけ見ていて痛いというか…つらかったです。
みんなが見る七夕飾りなのにそんなことを書くなんて、よっぽど必死だったのでしょう。
本人の願い事がひとつでも達成できるよう、こちらも祈らずにはいられませんでした^^;
私も幼稚園のとき七夕飾りを作らされましたが、短冊に何と書いたか覚えていません。
昔の私が書いた願い事は、かなったのかな…。
明日は七夕。皆さんの願いがかなうといいですね。
祈りという執着を手放して上を見上げれば、そこに光はあるのに。
必死で願っているうちって、なぜか願い事はかなわないんですよね。
それなのに、子どものうちから「神様に向かってお願い事をする」という行事、行為を植え付けられてしまっている。
自分の力で物事を成し遂げる努力を教えるのと、矛盾した行為です。
祈りは本来、先祖や自然などの人間の手に届かないものへの感謝の気持ちを表すもの。
もしくは自分の心を見つめ直すきっかけです。
クリスマス、正月、七夕、お盆、バレンタインデーなどにいたるまで。
みんな、もう少し自分のやってることを考えないといけないんじゃないかな。
せめて、どういう由来なのかぐらいは勉強したほうがいいですよね。
イベントだからカノジョが欲しい、なんて騒いでいないでさ。
私もかなりうっかりですね。ちょうどこの時暑かったもので。あと、出勤前に書いていたので、早く書かなければならず推敲してませんでした。
集中力は常に30パーセント未満で生きてます。
老化かぁ、私もそういう歳に近づいてきました。注意力も散漫になってきました。
努力である程度は軽減できるでしょうが、これ以上ひどくならないよう気をつけたいものです。
♪ささのは さらさら のきばに ゆれる
じゃありませんでしたっけ?
あと、そそっかしいのとは違うかもしれませんが、老化現象で体の末端部分まで注意が行き届かなくなったり、視野の欠損で障害物が認識できなくてぶつかってしまうことがあるそうです。
まだそういう歳ではないかもしれませんが、「最近ぶつかることが多くなったなー」と感じたら、チェックしてみましょう。
あはは、伝説の織姫彦星の立場にまで想像力を働かせるとは、ユニークな子ども時代だったようでww
私は物語の方に目を付けていましたね。
伝説では、「織姫と彦星はラブラブなあまり自分の仕事を投げ出して世の中の人を困らせた」ってあるじゃないですか。それで、織姫の親父の天帝が、年に一度しか逢せるようにしなかった、と。
これって自業自得~。とまでは思ってなかったですけど。若干の違和感は覚えていた気がします。
みんなその事実から目をそむけて、一年に一度しか会えない悲恋にロマンをはせていますよね。
「七夕さらさら~♪」の歌、きれいですもんね。むしろ知らなくていい事実かも。
でも願い事といい、都合よすぎるw
伝説やお祭りなんて、そういうもんですけど。
短冊に書く由来としては、おっしゃる通りです。歌人や俳人の風流遊びだったようです。 庶民に広まって、現世利益の祭りになりました。ニコタってそういう俗っぽい行事を大事にしますよね(笑)
おっちょこちょいが治りますように、ですかw
そこは努力しましょうよ、ええ。
人一倍努力すれば、いつかそそっかしいのも治るはず!
それが、いわゆる「願い事がかなった」状態なのでしょう。
しかし…ふいうちで食らう足の小指アタックは…痛いですよなぁ…><
私なんて飛びあがった挙句、涙を浮かべながら愚かな自分とタンスの角を呪いますね。
先日も、ボーっとしてて車から降りるときにドアに太ももを思いきりぶつけましたけども。
相当痛かったですが、目も覚めました。見えない何かから、しっかりしろ!と喝を入れられた気分でしたねw
それは、「織姫さまって、すっごい優しいんだな~~!」と子供心に感動したことです。
だって、一年に一度、大好きな牽牛に会いたいという自分の願いが叶うからって、地上にいる私達の願いまで叶えてくれようとするなんて、すっごい優しい! 優しすぎるよ!!
私だったら、たとえば誕生日にみんなからお祝いされて嬉しいからといっても、自分が貰ったプレゼントを妹や友達、ましてや知らない多くの人に分けてあげるなんて出来ないもんなぁ……やっぱり、織姫さんってば、太っ腹!
と、そんな風に考えたんですね。えぇ、ちょっと変わったところのある子どもだったのですw
なんだか、若干、方向性がズレているようなところがあるのは、ご愛嬌ということでお見逃しください^^;
それから少し成長して、改めて、七夕の由来やらを知ったとき。
短冊に書く願いごとは、本来は習い事などの上達、向上を願うべきと知りました。
それ以来、「短冊に書くとしたら、なにを書く?」という問いかけに対しては、
「『おっちょこちょいが直りますように』と書きたいな」と答えています。
「生きる力の向上」なのだと広い意味で捉えて、是非とも叶えて頂きたいです。
だって……昨日も、戸棚のカドに足の小指をぶつけて痛かったですもん!><。
そうそう、どこでもやってますよね。全国恒例行事です。
父の日・母の日の似顔絵展示なんかもあります。
でもサンタクロースに願い事を、というのは、こちらの地域では見かけません。
まぷこさんの地域ではそういうのがあるんですねw
ツリーに短冊ってww
和洋折衷になってますね~。そもそも、日本のクリスマスが宗教と関係ありませんし。
先祖の墓参りに行って、願い事をする人も多いらしく。そういった違和感を覚えます。
みんなお調子者だなぁ。
本当に…。どうか願い事が天に届きますようにw
……Wって付けたらだめですね。真剣ですもんね。
そうですよね、願い事をするっていうのは、今自分が何を求めているのか再確認するためのものかも。
外国の大学教授でしたっけ、こんな話が。
学生に叶えたい願いを紙に書かせたあと、それを見て言ったそうです。
「みんな自力でやろうと思えばかなう願いじゃないか。明日死ぬと思ったらなんでもできる」
全くその通り…とは言い切れませんが^^;
王様になりたいとか、アイドルになりたいとか、結婚ですら運が必要な願いもありますし。
現時点では無理とわかったうえで、どうすべきか。それを見つめ直す行為が祈りなのかもしれません。
受験シーズンの《合格祈願》。
七夕の《願い事》。
クリスマスの《サンタさんにお願い》。
パッと思い出せるのはその辺ですが……
サンタさんへのお願いを短冊にしてクリスマスツリーに飾るのは、どこか違和感があります。
どうかどうか、保育士さんの願いが叶いますように…!
私も幼い頃、短冊に何を書いたか覚えてませんね^_^;
ほんと、これじゃ叶ったかどうかもわかんない(笑)
でも、自分が何を望んでいるのか、本当はどうしたいのか…考えるいいきっかけかもしれません♬