Nicotto Town



釈迦の臨終


ドクター・於保の心の体操」という本の中に、インパクトのあることが書いてあったので紹介する。

第一章、生き方と病気の深い関係の中に、死に方は生き方の鏡というところを少し抜粋します。

 釈迦は死ぬ前、とある小さな村でチュンダとう鍛冶屋からキノコ料理の供養を受けました。このキノコが実は毒キノコだったらしく、それがあたって、釈迦はひどい下痢と激痛に襲われ、その結果亡くなったわけです。釈迦の死因は食中毒だったのです。
 この村から、衰弱した体で、近くのクッシナーラという小さな町に移る途中で、釈迦はチェンダのために法を説きました。このままの食中毒で自分が死ねば、チェンダは真心で供養したつもりなのに、その真心がアダになり、釈迦を殺してしまったと自分を責めるだろう。周りの人からも、「あいつはお釈迦様を殺したヤツだ」と非難されるだろう。そうなってはかわいそうだ。そこでチュンダに伝えなさいと言ってこういいました。
「この人生で、忘れることのできない、大変うれしく、また貴重な供養が二つある。一つは菩提樹のもとで悟りを得るきっかけとなった、一人の少女から受けた乳粥の供養である。そのお粥のおかげで、私は最高の覚りを得ることができた。もう一つは、チュンダのキノコ料理の供養である。この料理のおかげで、私は涅槃という最高の臨終を迎えるきっかけをつかむことができた。したがって、この二人は最高の幸福境涯をこの世で得ることができるであろう。また来世も、幸せなところに生まれてくることができるであろう」という内容でした。これを聞いたチェンダはさぞかし安心し、喜んだに違いありません。
 私はこの話をずっと思い出しながら、自分にひきあてて考えてみました。釈迦と同じく80歳まで生き、80歳になった時、患者からおいしそうなキノコが送られてきたとします。そして、おいしいおいしいと喜んで食べた後、のたうちまわる苦しみを味わったとき、自分だったらどう考えるのだろうと。
 腹が立ち、妬みがましい気持ちになるかもしれません。よしんばそうならずとも、今まで自分は80年間、一生懸命生きてきた。しかし、最後の最後、こんなキノコなんかに当たって死ななくてはならないのは、この人生、私はいいことしてきたと思ってきたけれども、何処かで悪いことをしたがために、その罰が当たって、最後にこんな死に方をするのに違いない…と思うのではないかと想像したのです。
 釈迦がもし、「自分は仏だと思っていたけれど、食中毒で死ぬ仏なぞいない。自分は仏なんかではなかったんだ」と落ち込んだりしたら、チュンダは苦しむでしょうし、また釈迦を目標に生きてきた多くの弟子たちも、「なんだお釈迦様は仏じゃなかったんだ」と、目標を失ってしまうに違いありません。皆が絶望してしまうわけです。
 ところが釈迦は、食中毒にかかったことすらよいほうに解釈し、しかも喜んでいます。そしてその喜んだ生命で周りに人たちを包みこんでいます。さらに、周りに人たちに安心、希望を与えています。釈迦の、どのような事態になろうとそれをプラスにとらえて悠々と生き、そして死んでいく姿の中に、人間として永遠性をはらんだ輝きがあるのではないでしょうか。
 人間は必ず死にます。良いことが起こって死ぬ人はいません。それをどう受け止めるか__この問題を解決しないと、本当の意味での幸せな臨終はないと思います。
 私は以前、内科病棟に勤務していたころ、病棟でいろいろな人の臨終の姿を見ました。そこでは多くの人が苦しみながら、悩みながら、死を恐れながら、他人を恨みながら、愚痴をこぼしながら亡くなっていきました。
 その時、では自分はどういう死に方をするかということを考えてみたのです。私は、自分の死に方を、ある程度予測する方法があると思っています。どういうことかというと、人生というのは、死ぬ時に限らず、悪いことはたくさん起こるわけです。その悪いことが起こった時、切羽詰まった時、どういう受け止め方をするか、これは人によって千差万別です。
 普段から悪いことを人のせいにする人は、死ぬ時も人のせいにします。逆境に際して自分を責めている人は、死ぬ時も自分を責めながら死んでいきます。悪いことが起こるとあきらめの境地になる人は、死ぬ時もやはりあきらめの境地になる者です。切羽詰まった時に出る態度というのは、それぞれ一定しており、それをその人の本性というわけです。
 したがって、すぐにあきらめる人はあきらめながら死んでいきますし、絶望する人は絶望しながら死んでいきます。すぐに他人を責める人は誰かをねたんだり呪ったりしながら死んでいくでしょう。すぐに逃げ出そうとする人は、死にたくないといってあがきながら死んでいくに違いありません。つまり、人間というのは、生きたように死んでいくものなのです。


ずいぶんと長く書いてしまいましたが、さて自分の死にざまを考えると、

右腕をまっすぐ出して、手をにぎりながら親指を上に立てて死にたいものだと思う今日このごろ。

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2014/08/10 15:18
自分の一生の終わりを何度想像したでしょか^^ 私の思いはひとつ、静かにいきたい・・です。
できるなら誰にも見られたくない・・それが私の業でしょう!行き先も分かってるので怖さはあります。
でも、それが本性であり受け入れるしかありません。全て理解できてるつもりですw
そして、それを・・・見せられても・・いるのです。 今の願いはひとつ・・だけです^^




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