法華経3
- カテゴリ:日記
- 2014/08/09 09:57:42
この従地涌出品から、本門(ほんもん)が始まります(はじまります)。
如来(にょらい)寿量品(じゅりょうぼん)第16(だい16)で、釈尊(しゃくそん)は今(こん)世(ぜ)で初めて(はじめて)成仏(じょうぶつ)した(始(し)成(じょう)正覚(しょうがく))のではなく、実は(じつは)遠い(とおい)過去(かこ)の成仏(じょうぶつ)していた(久遠(くおん)実(じつ)成(じょう)=(=)82(82)㌻(ぺーじ)参照(さんしょう))と自身(じしん)の真実(しんじつ)の境地(きょうち)を明らか(あきらか)にしました(開近顕遠(かいこんけんおん))。
分別(ふんべつ)功徳品(くどくほん)第17(だい17)から法師(ほっし)功徳品(くどくほん)第19(だい19)までは、釈尊滅後(しゃくそんめつご)に法華経(ほけきょう)を受持(じゅじ)し弘通(ぐつう)する功徳(くどく)の素晴らしさ(すばらしさ)を語り(かたり)、常(じょう)不軽(ふきょう)菩薩品(ぼさつほん)第20(だい20)では釈尊(しゃくそん)自身(じしん)も過去(かこ)背(せ)に不不軽菩薩(ふきょうぼさつ)(=(=)84(84)㌻(ぺーじ)参照(さんしょう))として難(なん)を耐え忍んで(たえしのんで)法華経(ほけきょう)を弘通(ぐつう)して成仏(じょうぶつ)したことを明かします(あかします)。
続く(つづく)如来(にょらい)神力品(じんりきぼん)第21(だい21)では、上行(じょうぎょう)菩薩(ぼさつ)(=(=)84(84)、87㌻(、87ぺーじ)参照(さんしょう))ら地涌(じゆ)の菩薩(ぼさつ)が滅後(めつご)に法華経(ほけきょう)を弘通(ぐつう)することを誓願(せいがん)し、それを受けて(うけて)釈尊(しゃくそん)は上行(じょうぎょう)菩薩(ぼさつ)たちに法華経(ほけきょう)の肝要(かんよう)を付属(ふぞく)し、未来(みらい)の弘通(ぐつう)を託します(たくします)。
付属(ふぞく)の儀式(ぎしき)の後(あと)、舞台(ぶたい)は再び(ふたたび)霊(りょう)鷲山(じゅせん)に戻ります(もどります)。
薬(やく)王(おう)菩薩本事品(ぼさつほんじほん)第23(だい23)では、釈尊滅後(しゃくそんめつご)の「後(のち)の五百歳(ごひゃくさい)」に「閻浮提(えんぶだい)(全世界(ぜんせかい))」に法華経(ほけきょう)を広宣(こうせん)流布(るふ)するよう促されて(うながされて)います。
そして各品(かくほん)で薬(やく)王(おう)・妙音(みょうおん)・観世音(かんぜおん)・普(ふ)賢(げん)などの菩薩(ぼさつ)たちや毘沙門天(びしゃもんてん)・十(じゅう)羅刹女(らせつにょ)ら諸天(しょてん)善(ぜん)神(じん)が法華経(ほけきょう)を受持(じゅじ)する人々(ひとびと)を守護(しゅご)することを誓います(ちかいます)。
法華経(ほけきょう)の説法(せっぽう)は、滅後(めつご)に法華経(ほけきょう)を受持(じゅじ)する者(もの)に対して(たいして)「当に(まさに)起って(たって)遠く(とおく)迎(むか)うべきこと、当に(まさに)仏(ほとけ)を敬う(うやまう)が如く(ごとく)すべし」(当起遠迎(とうきおんごう)、当(とう)如(にょ)敬(きょう)仏(ぶつ))という言葉(ことば)で締めくくられて(しめくくられて)います。