アスパシオンの弟子⑲ 鳥の王(前編)
- カテゴリ:自作小説
- 2014/09/17 16:12:42
最長老様の死を悟った兄弟子様の顔に、僕は一瞬恐怖を覚えました。
笑っているのです。まるで気が狂ったかのように。悪魔のように。
「最長老が天寿を全うすることは、まずない」
推測だが、と断りを入れて。兄弟子様は、歴代の最長老はみな殺されていると仰いました。
「しかしレクサリオンは、天罰をくらったな。あいつが率先して俺の師匠を殺ったんだ」
「最長老様が?」
「序列二位の長老だったあいつが、俺の師匠の防御結界を砕いた。おかげでみんなの呪いがもろにふりかかったんだ」
とても高潔そうなあの方が、そんな恐ろしいことをしたなんて。
ああ、だから兄弟子様は、最長老様の死を悲しまないのですね。仇であるゆえに。
「でもレクサリオンは、ハヤトをちゃんと導師にしてくれたんだな」
すうっと遠い目をしながら、兄弟子様は含みのある言葉で仰いました。処刑される時にこの人が、
「弟弟子には手を出すな」と長老様たちに頼んだであろうことは、容易に想像がつきました。賢いこの人のことです。
もしかすると、「大人しく処分されてやるから、弟弟子の身分を保証しろ」と、長老様たちを相手に取引までやってのけた
のかもしれません。
「ところで、ハヤトの導師名は何ていうんだ?」
「アスパシオンです」
「『歓迎』って意味か。そりゃまた、嫌味な名前を付けられたな」
兄弟子様は口の端を引き上げて、またくつくつ笑いました。背筋がぞくりとするような笑い方です。
導師様のお名前は、今は滅びた王朝の古代語から取られています。今の最長老様から与えられたわが師の名を、
僕はとてもよい意味だと思っていたのですが。兄弟子様の話を聞いた今は、そうとは感じられなくなってしまいました。
「ぺぺ、最長老を殺った蒼鹿家の後見は、ミストラス様か?」
「いいえ、ヒアキントス様です。ミストラス様は、三年前にお亡くなりになっています」
「おっと代替わりしたか。って、あのヒアちゃん? 俺と同い年の? あいつすっげえ怖いぜ。何考えてるかわかんねえ奴だ」
ヒアキントス様は、たしか三十代前半。兄弟子様は髭が生えているので年を取っているように見えますが、まだかなり
お若いようです。兄弟子さまが罠に嵌められたのは、導師になられてすぐのことだったのでしょう。
「ってことは、これからヒアちゃんを相手にすんの? 魔力いっちばんの? うへえ、やっぱめんどく……」
「だめです! さあ、わが師を助けに行きましょう!」
「おいおい、急かすなよお」
僕は兄弟子様の尻を叩く勢いで追いたてて、旅の糧食はこれぐらいで足りるだろうかと、魚がたっぷり入った籠を
抱え上げました。勝手にさわるな、と怒られましたが、わが師に輪をかけて扱いにくそうなこの人には、強行手段で
対処するしかありません。
「今の状態で寺院へ戻るのは得策ではないです。ヒアキントス様はかなり以前から、今回の陰謀を進めていたみたいです。
きっと最長老様が亡くなった後のことも完璧な計画を立てているでしょう。あの方の
罪は、すぐには暴けません。
今は一刻も早く、わが師を助けた方がいいと思います!」
「うええ、北五州まで行くのかよお」
「変身してください」
「へ?」
「足の速い動物になってください。僕がそれに荷物乗っけて、乗ります。そうすればすごく早く進めます」
「進めますって、おいペペ、なんでおまえが俺に命令するのよ」
「変身できるでしょう? 鷹になったヒアキントス様みたいに」
ヒアキントス様の名を出すと、兄弟子様の顔が引き締まりました。同い年と聞いてまさかと思い、対抗心をつついて
みましたが、手ごたえばっちりです。
「そりゃできるけど。しかしニンゲンを乗っけるのは重すぎる」
「わかりました。それでは……」
ひづめの音をたて、黒い馬が鍾乳洞を疾走していきます。
たてがみの長い駿馬です。胴体の両脇に酒と水を入れた空気袋をさげ、食糧を入れた籠を背にくくりつけています。
籠の一番上にはきちんと畳まれた黒き衣。その衣の上に座る僕は、飛ぶように過ぎていく鍾乳洞の景色を眺めました。
小さな小さな、ウサギの目で。
兄弟子様は馬になり。僕はウサギに変じてもらったのです。
馬はすばらしい足取りで軽やかに鍾乳洞を駆け抜けていきます。でこぼこな岩場も、ぬるぬるするコケだらけの沢も
なんのその。
「うわ、兄弟子様、あの岩肌すごいです! 陽光みたいに輝いてます」
「金脈だ。ここらへん、マントル近いからな」
「うわ、あのキラキラはなんですか? 星空みたいです」
「橙煌石。熱をすっかり吸収する岩だ」
疾走中、僕は次々と目に入るめくるめく光景に目を見張りましたが。
「……あの、兄弟子さま」
「なんだねぺぺくん」
「わざと、回り道してませんか?」
「おっと。ばれた?」
「早く地表に出てくださいよ!」
「ほんとに行くのお? 俺とここでぬくぬく、温泉生活した方がよくない? 近くに大温泉があるんだけど、せめてそこ寄ってから――」
僕は馬の首に思い切り噛み付いて抗議しました。
「それでも兄弟子ですか!」
「いてえ! ハヤトが導師になったんなら、俺はもう十分責務を果たしたと思――」
「いいから進んで! ほら、あれって本物の太陽の光じゃないですか?」
荷物のてっぺんの司令塔から僕がキイキイ声をあげると。黒馬はしぶしぶ、天井の丸穴から日光の差し込む洞窟へ
走りました。くり貫かれたようにまん丸の大きな穴が、洞窟の天井にいくつも空いています。まばゆい光が差し込む
真下に入って見上げると、蒼空が目に入りました。
「ストップ! 今度は鳥になって、飛んで出てください」
「だからなんでお前が俺に命令するのよ。しかも鳥っておまえ、すんげえ難しいものを」
「ヒアキントス様が変じた鷹、すごく立派で、とっても大きかったです」
僕がわざとらしくゆっくりはっきり述べたとたん。兄弟子様はすぐさま馬の姿を解き、あっという間に翼ある大きな鳥に
変じました。背に縛った荷物は器用にそのままにです。 司令塔からぽろりと落っこちた僕は、赤い目を丸くしてその鳥を
眺め上げました。
「大鳥グライア?!」
これはたしか、数百年前に絶滅したという巨鳥です。白い鶴のような首に、瑠璃色の両翼。虹色の長い尾。
図鑑で見たことしかない伝説の鳥は、開いた穴をぎりぎり通れるか、というぐらいの巨大さ。鷹なんて、くらべものに
なりません……。
「知ってるかぺぺ? 自分で変身する時にはな、前世で生きた種族にしかなれないんだぜ」
美しい大鳥は、ふふんと瑠璃色の胸を張りました。つまり兄弟子様は、この美しい鳥として生きたことがあったということ
でしょうか。さすがは十代で導師になられた方。その前世もすごい生き物だったようです。
「だからおまえは、まだウサギにしか変われないのさ、ぺぺ。おまえの魂はまだ若いからな」
「えっ? そうなんですか?」
人間とウサギにしかなったことがない、というわけではなく?
「だっておまえ、俺の師匠が作った人工魂だもん」
「え!?」
「早く乗れよ。いっくぞー」
今、ものすごく重大な告白をされたような気が……。
大きな鳥はわっさわっさとはばたき始めました。ものすごい風圧が吹き付けてきます。あわてて荷物一杯の背に
飛び乗ると。大鳥はサッと丸穴を抜けて、空へと飛び立ちました。
「落ちるなよ?」
「はい!」
僕は荷物のてっぺんの黒い衣にしっかりしがみつきました。
瑠璃色の大鳥はみるみる舞い上がりました。
雲ひとつない、蒼穹の高みに向かって。
ありえないけど、もし競走馬の馬主になれたらアスパシオンとつけようw
今の悪者、倒せれば良いですね。
レクサリオン=勇敢な王(Rex と Arion )
ヒアキントス=ヒヤシンス
バルバドス=髭
メディキウム=薬
スポンシオン=かつら
アステリオン=星の子
アスパシオン=歓迎される子