Nicotto Town



セントへレナの天使① 9月自作(前編) 

マダム・カファレッリへ                        1815年10月21日

 親愛なるマダム、皇帝陛下と我々は、1017日にセント・ヘレナ島に到着しました。

 英国の軍艦が三ヶ月かけて、我々をアフリカ大陸沖の孤島へと運びました。

 ワーテルローの丘で英独軍と対峙しました時。こんな地の果ての孤島に送られることになるなど、

我々のうちの誰が想像できたでしょう。

 ケープ経由でやって来たブリック船が、明日、私の従僕を乗せ、イングランドへ向けて去っていきます。

 我々は常に監視され、居心地の悪い「歓待」を受けております。私は、従僕をそばにおくことを英国政府から

認められませんでした。

 あなたの記憶に刻まれることを望んで、ここでの出来事を記し。帰国する私の従僕、フランシスにこの手紙を

託します。

 私はこの島に上陸したらすぐ、あなたに手紙を書くと約束いたしましたから。

 私が第一に心に留める方はあなたであるという事実を、またお疑いになられるでしょうか。

 私はあなたに語る事で、多大な慰めを得ています。

 この幸福を得られるのは、我が身がいまだ炎のような情熱に蝕まれていないからです。

 私がしたためたこの手紙に封をする時、一体誰が嫉妬の目で睨むというのでしょう?

 膨大な魔力を帯びた神秘的な秘密は、いまだこの身には宿っていないのです。

 

 我々の航海は、いたって幸運でした。

 嵐のないこと。航海の遅れのないこと。病や事故がないことをそう呼べるなら。

 しかし魂が負った痛みと傷は、いかほどだったでしょう!

 皇帝陛下と我々随員を乗せた船は、最も恐ろしい嵐と大いなる危険のただ中に放り出されて、

木っ端微塵に砕けるべきだったのです。

 私は今、このセント・ヘレナ島で唯一の街、ジェイムズタウンにおります。

 街は無味乾燥で恐ろしい様相の、二つの岩山に左右を挟まれております。建造物はしっくいで塗られ、

小ぢんまりしていて、まあ良いものです。家々の多くが、四隅の境界を木々や潅木に囲まれています。

 この街の宿部屋は、とても清潔できちんとしています。住民はすべからく交易にいそしんでおり、また、

宿屋の所有者です。彼らはインドやヨーロッパへ航海する人々に、食糧や飲料水を供給するべくこの島に

留まっており、しごく安全で紳士的な雰囲気の気質を持っています。

 白人女性はかわいらしく見目もよく、道徳的で、英語を喋り、イングランド風の衣服を着ています。

 島にはあまりにも巨大な岩と玉石がそびえたち、私はこれがこの島の美の核心ではないかと畏怖する

ばかりです。

 全島の人口は2,3千人ほど。人種はヨーロッパ人、黒人、中国人、赤褐色のインディアンが入り混じって

おります。

 皇帝陛下は、ジェイムズタウンより5マイル離れた所にある商家の、小さな離れにお住みになると決め

られました。

 そのかわいらしい離れはただちに補修されました。

 陛下はコックバーン提督の案内で、これから陛下が住むために改装される館を視察した帰りに、そこを偶然

見つけたのです。実のところ、街の宿屋にはお帰りになりたくなかったのです。住民や兵士たちが好奇の目を

きらきらさせて、おびただしくはりついているものですから。

 陛下はむろん、ずっとそこに住まれるわけではありません。島の中央に建つ館の改装が終わるまでの、

おそらくひと月か、ふた月ほどのことです。

 そこは東インド会社の社員が所有する地であるのですが、南北に長く広がる庭には白い野薔薇が咲き乱れて

おります。海風に運ばれる薔薇の香りはとてもかぐわしく、思わずあのマルメゾンを思い出せるほどです。

 しかし、懐かしいパリや我が祖国フランスのこと、そして今は溶岩の黒い岩だらけの中にいるのだと

いうことを想いますと、忘却の川レーテーの水を飲む方が、まだいかほどましであろうかと悲観せずにはいられません。

 精神的に高度で善良な我々パリジャンが、黒人奴隷や黄色人種、赤褐色の肌の人々と顔を合わせて話を

しますと、我々の持つ「美」というものについて深く考えさせられるのです。

 ああ、ヨーロッパを発ってから、誰からも一度も手紙をいただいておりません。

 私がいかに心細くて不幸であるか。私の絶望をどうか察してください。

 あなたが私に、あなたのお体のことや周囲の出来事について、いくばくかの言葉を書き送って下さったら

どんなに嬉しいことでしょう。

 かけがえのない友からの報せを受け取った時に私が感じる喜びを、どうか思い浮かべて下さい。

 故郷からはるか遠く、2000リーグも突き放されたところで感じねばならない幸せを。

 ゆえにどうかお返事を下さいますよう。私もまた手紙を書き送ります。

 お書きになられた手紙にはあなたの封蠟をつけずに、手紙の便箋に、

『ムッシュー・ルジェネラル・バロン・グールゴー、セント・ヘレナ島

A Monsieur le général baron Gourgaud, à l'ile de Sainte-Hélène≫

と私への宛名を書き、封筒には、

『サー・ジョージ・コックバーン、S. M. B.セント・ヘレナ海軍局長』

Sir George Cockburn,commander of the naval station of S. M. B.St. Helena≫

と書いて、セント・ヘレナ島を統轄する提督へ宛てて手紙を出して下さい。

 封筒の隅には≪秘密≫と書いて下さい。

 これで確実に提督へ直接手紙が届き、英国政府の検閲から逃れられるでしょう。


 ここでは、たくさんの困難があります。

 あなたからの手紙を拝読することで、私はこの上ない勇気と幸せを得るでしょう。

 私が敬愛するあなたの夫君、私の前任者、すなわち陛下の副官であられたカファレッリ将軍閣下と、あなたのために

祈ります。

 善良である将軍とあなたに、私の敬意を贈ります。

 

ガスパール・グールゴー


 神よ、私の手紙と一緒に旅するすべての同胞たちに、良き道中を。




「ムッシュー、だれに書いてらっしゃるの?」

 広い庭の一角の東屋でペンを走らせていると、少女の声が私の頭に降りかかってきた。

ふと見上げればまだ十二、三であろう小さな子が、私の手元をしげしげとのぞきこんでいる。そばかすだらけで、

愛嬌はあるがお世辞にもきれいとはいえない。 

 この娘は、バルコム氏の二番目の娘だ。名前はエリザベス、ベッツィと呼ばれている。

 陛下が物好きにもお住みになると決められた小さな離れが、目と鼻の先にある。その隣にはバルコム氏の

本宅――インド風のひらべったいバンガロー風の家が建っている。

 バルコム氏は本宅の方を使うよう申し出てくれたが、陛下は彼の家族が家から追い出されるのをよしとはされなかった。

 陛下は今、小さな離れの中でまどろんでおられるので、私はお目覚めになられるのを待っているところだ。

「ねえ、恋人に書いてらっしゃるの?」

 私は眉をひくつかせた。少女の目が好奇心でキラキラ光っている。

 真面目に答えてやるのはひどくおっくうだった。早口で言ってやろうか。フランス語をどれぐらい聞き取れる

ものか、試してやろう。

「へえ、恩人の奥様で、お母さまみたいな方なのね」

 驚いたことに聞き取りは完璧だった。喋る方も遜色ない。

「恋文じゃないのね。あたし、婚約者に書いてるのかと思っちゃった」 

 大きなお世話だ! 

 少女はころころと遠慮なしに笑った。

 天使と言うよりむしろ、いたずらな妖精といった顔つきで。

 




 

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2014/09/29 20:28
ミコさま
読んでくださってありがとうございます^^
ありましたねー^^! ベルばらのキャラが数人出ていたかと思います。
今、電子貸本屋さん(Renta!)で全10巻読めますですよ~♪
電子書籍業界はすごいですね。懐かしい漫画いっぱいです。
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2014/09/29 20:12
MC202さま
読んでくださってありがとうございます^^
古典古代が専攻ですがこのナポレオンあたりの時代もとても好きです^^

封建的な男性社会ですが、女性もなかなかどうして、すごいですよー。
中世の騎士のごとく忠誠を誓わせてはべらせるとか、
芸術家のパトロン兼愛人になるとか(←例:ショパン)……
上流貴族の恋愛や結婚のお話はとても興味深く面白いと思います。
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2014/09/28 22:28
そういえばベルばら続編で『ナポレオン』があり、
コンビニで買いましたが次巻からみかけなくなりました
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2014/09/26 07:58
(((‥ )( ‥))) ワーテルローを知ってるとは ナカナカの歴史愛好家やなぁ (!o!)

欧州の高位高官の女性関係は 日本の大奥より恐ろしく感じる (~_~;)
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2014/09/24 09:22
かいじんさま
読んでくださってありがとうございます^^
主人公は育ちのいい貴族の独身の青年なので、こういう口調や思考かなぁと
うんうん唸って考えながら書きました。
思い描く着地点まで無事いけるよう、がんばります^^
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2014/09/24 09:20
優(まさる)さま
こちらの方にもコメントをありがとうございます^^*
皇帝ってどの皇帝? って思っていただけてよかったです^^!
名前をわざと最後の方まで出さないで、だれだろう? って
思っていただいて、徐々にお話に入っていけるような感じにしたかったのです~^^
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2014/09/24 09:12
むぅさま
こちらの方にもコメントをありがとうございます^^*
昔の時代の言葉はとてもきれいで、そこはかとなく漂う古めかしさが素敵ですよね。
今私たちが使っている言葉も、後世では古い言葉になりますけれど、
「古めかしい素敵な言葉」になるのかなぁ。古くはなるけれど、美しいとか、きれいとか
感じてもらえるのかなぁ? と時々疑問に思います。
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2014/09/23 23:06
興味深い内容で、文章の雰囲気がとても良いですね^^
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2014/09/22 19:56
フランス皇帝のお話でしょうか?

それとも、ドイツ皇帝のお話でしょうか?

少々、気に成ります。
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2014/09/22 10:27
美しい言葉だと思います。
言いまわしなどは 絵画と同じで その時代時代を反映させるものですよね^^
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2014/09/22 09:29
9月の自作小説倶楽部お題:手紙、薔薇

歴史小説?みたいなものに挑戦してみました・ω・




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