セントヘレナの天使① 9月自作 (後編)
- カテゴリ:自作小説
- 2014/09/22 07:55:57
「怒らないで。お庭の果物を食べさせてあげるから」
ベッツィことルチア・エリザベス・バルコムは、屈託なく笑った。全く悪気のない顔で。
この子は皇帝陛下に初めて拝謁した時、自分はフランス語が話せるのだと、面と向かって自慢したそうだ。
乳母がフランス人だったらしい。
陛下は大喜びで、それでここにしばらく留まることを決めたんだと、ベルトラン元帥が冗談まじりに言っていた。
フランス皇帝に遠慮なしにものを言うなど、一体どんなしつけをされているのだろうとあきれるばかりだ。
『姉の方は結構きれいだぞ。君の奥方にいいんじゃないか、ガスパール?』
私がいまだに独り身なので、ベルトラン元帥はことあるごとにからかってくる。街の宿屋でちょっときれいな
娘を見るなり、ほら求婚しろ、などとせっついてくる。全く、余計なお世話だ。
不機嫌になった私の腕をつかみ、恐れを知らぬ少女は果樹園の方へとぐいぐい引っ張っていった。
白い野ばらの匂いが鼻をくすぐる。いい匂いだ。薔薇のそばには池やきれいに刈られた芝生がある。
ここがアフリカだとは思えぬほど、よく手入れされた欧風の庭だ。
「まあ、ベッツィ! なんてはしたないことしてるの!」
果樹園に入るなり。リンゴの木の下に座っていたバルコム氏の長女が、私たちを見て大声をあげた。
かたわらの籠の中にレースの糸玉が入っている。何か編み物をしていたようだ。
「殿方をそんなに引っ張って! 早くお離しなさいよ。ムッシューの軍服がしわくちゃになってるじゃない」
姉の方はしごくまともでごく普通のようだ。卒のない良妻になるタイプだろう。
ベッツィはしぶしぶ私を解放すると、あっという間にするする木に登ってリンゴをもいで、なんと私たちに
投げてよこした。
「ムッシュー、食べて」
あっけにとられる私のそばで、姉のジェニーがまたはしたないと怒っている。ベッツィは気にもとめずに
木の上で無邪気に笑っている。年頃の女性の恥じらいやつつしみなど、まだまったく身についていないようだ。
「トビーがつくるものは、どれもすごくおいしいのよ」
ベッツィは誇らしげにいい、枝から垂らした両足をぶらぶらさせながらリンゴをほおばった。
「トビー? 雇い人かな?」
「ううん、奴隷なの。ずうっと昔に、マレーシアから連れてこられたの。あたしたちが引っ越してくる前から、
ここに暮らしているわ」
リンゴは、とてもおいしかった。これだけのものを作るとはたいした腕だ。
「食べたい時はいつでもおっしゃってね。あたしが取ってあげる」
「それはどうも、ありがとう」
私は苦笑しながら野ザルのような少女に礼を言った。ふりあおいだとたん、少女の白いシュミーズがちらりと
目に入ってしまった。私はあわてて空に目を移した。
青空に輝く太陽が、ひどくまぶしかった。
午後もだいぶすぎたころ、皇帝陛下がやっとおめざめになられた。従僕のマルシャンが報せにきたので、
私は姉妹と別れて小さな離れへ向かった。別れ際、ベッツィにリンゴをたくさん持たされた。
「カエサルにさしあげてね」
思わず私はにこりとしてしまった。この子は我が陛下が何者か、ちゃんと理解しているじゃないか?
離れは東インド会社が管理するささやかな迎賓館だが、最近は客人もなく、ベッツィたちがしばしば遊び場
として使っていたそうだ。
コックバーン提督は、あのウェリントンがかつてこの小さな離れに逗留したことがあると教えてくれた。
インド遠征から帰国する際、ここでしばらく怪我の療養をしたのち、ペニンシュラに投入されたのだという。
ウェリントンの軍は我が陛下にずっと抵抗し続けたポルトガルを助け、陛下の兄君が王となったスペインを
蹂躙し、スペイン・フランス同盟軍を破って、ピレネーを越えてきた。北からはオーストリア、プロイセン、
スウェーデン軍が迫り、パリは陥落。陛下は失脚させられ、エルバ島に追われた。
陛下がエルバから不死鳥のように舞い戻った時、ウェリントンは敵同盟軍の総大将として陛下の前に立ちはだかった。
ワーテルロー。陛下の命運はそこで尽きたのだ……。
あのウェリントンと、繋がりのある地。我が陛下は偶然にも、その地に腰を降ろしたのである。
離れの中にはこぢんまりとした広間がひとつ。陛下はそこで、侍従長のラス・カーズ伯爵になにやら文書を
読ませて検分していた。伯爵は英語を解するので重宝されている。陛下はここに入られてすぐに彼を呼び、
屋根裏部屋に彼の息子と共に住まわせることにされた。うらやましいことだ。
陛下が検分している手紙は、ベルトラン元帥に書かせた陳情書だった。
この島に上陸してから、陛下はささいなことに過敏になっておられる。
宿屋にネズミが出たことや、館の改装工事が遅延していること。
この島には、まともなコーヒーがないこと……。
陳情書の内容は、公式記録にしては非常にばかげたものに聞こえた。たとえば、
「陛下の従僕でパリの善良な市民の息子が、陛下の寝室の前でマットレスに寝なければならなかった。
まともな寝台も供給されないとは、これは不当な扱いである」。
これは皇帝たるものが訴えるほどのものではなかったが、コックバーン提督に逐一訴えて少しでも圧力を
かけるようにと、陛下がベルトラン元帥に命じたらしい。
たしかにここは非常に居心地が悪い。
常に監視の目があることは、言わずもがな。我々の銃や剣は、いまだに提督にとりあげられたままだ。
これは囚人の扱いである。亡命者に対するものではない。しかも陛下の財産はかなり没収された。
我々随員が、陛下の現金を服に縫いつけて隠し持っておいて、本当によかったと思う。
「コックバーン提督は、余のことを『将軍』と呼ぶ。そのことが一番遺憾だ」
陛下は不満やるかたないといった顔で、バルコム氏が本宅から貸してくれたソファにうずまった。
「いい匂いだな」
私が腕に抱えているものに気づくと、陛下は鼻をひくひく動かした。
「マドモワゼル・ベッツィ・バルコムがくれました」
「ああ、あの子か」
とたんに、陛下の顔に満面の笑みが浮かんだ。
「朝方、バーンズの歌を披露してくれたから、お返しにビブラアンリを歌ってやったんだ。そしたらな、突然腹を
抱えて爆笑するんだ。余のことをひっどい音痴だと指さして笑うのだよ。それから二人で一緒にビブラアンリを
歌った。いやあ、楽しかった!」
陛下は声をあげて笑った。ベルトラン元帥がため息をもらした。ラス・カーズ伯爵は理解不能といった顔で、
陛下と元帥の顔をちらちら見比べている。私はあんぐり口を開けた。
フランス皇帝を笑いものに? この方を?
この、ナポレオン・ボナパルトを?
「リンゴをくれ。そいつはひどくうまいんだ」
陛下はニコニコしてリンゴを頬張った。うまいうまいと仰って、おいしそうに召し上がった。
とても上機嫌な顔で。
陛下のところから街へ戻った私は、翌朝、港からブリック船を見送った。
私の従僕を乗せた船だ。
英国の軍艦が島の周りを交差して哨戒している。これから外国船はことごとく、接岸を拒否されることに
なるらしい。
心がうつうつと沈んでいく。
従僕には、カファレッリ夫妻と、母と妹へ書いた手紙を託している。とくに家族には、私の指輪を添えた。
形見のつもりで。
今はただ、私の書いた手紙が無事に届くことを願うことしかできない。
はるか二千リーグのかなた。我が祖国フランスの地に。
読んでくださってありがとうございます^^
この時代は特に好きなので、ふだんから趣味的に本やマンガを読んだり
サイトを見ていたりしています^^
テレビっ子でしたので、三十分アニメ番組一年間とか
やたらお話が長く続くものばかり見てました。その影響でしょうか、
考えるお話の筋がだらだら系になりがちなので
きちっとした短編が書けるようになりたいなぁと思っています;ω;
そして、豊富な時代背景の情報をぶれないで、お話に落とし込む
力量、引き込まれました。
長編、お得意なのでしょうね^^
読んでくださってありがとうございます^^
セント・ヘレナ島はまさにインドや中国まで行く貿易船の中継点、補給用の島で、
当時東インド会社が領有していました。
島の住民は、ほとんどこの会社関係の人たちと、彼らが抱える使用人や奴隷たちだったそうです。
最寄?の港は、オランダから英国領になって間もないケープタウンで、
島では手に入らない物品はこの街から手に入れていたようです。
東インド会社はオランダの同名会社とずっと争っていて、東南アジアには進出できませんでしたが、
インドを征服して支配しました。本当にすごい会社だと思います。
読んでくださってありがとうございます^^
やはりいきなり皇帝とベルトラーンに加え、侍従長まで出したのは、無理があったかもですよね><
10話ほどでまとめようと思って急ぎすぎた感が>ω<;
改稿版では皇帝以下小宮廷の面々を出すのは2話目以降にしてみます^^
アドバイスありがとうございます^^!
いえいえもう、かなり失意のどん底、
島に着いたばかりのナポレオンは、精神的には相当危ない状態だったと思います~。
その様子を、これからおいおいと描写できればと思います。
読んでくださってありがとうございます^^
亡命者、それも、もと英雄にして皇帝ということで、ナポレオンはかなり厳重で丁重な扱いを受けていたようです。
しかしナポレオン本人や随員の上流貴族たちは、その待遇をひどく窮屈で不便なものだと感じていたようです。
当事者の日記とか読むと、もうみんな文句たらたらです^^;
ほんと、今の私たちの感覚では、かなり贅沢なリゾート生活に見えるのですがー^^;
ナポレオンたちが感じた違和感や、疑心暗鬼といったものをうまく描ければなぁと思います。
セントヘレナに東インド会社の施設があったとは…
当然あってしかるべきなのに、しりませんでした
けっこう重要な航路上にあるのですね
冒頭からキャラがいきなりこれでもかという感じででてくるので
もっと絞って2、3人にならないかなあと感じました
同じく歴史ものをかいている私
S氏の別キャラではないかと疑われたことがあります
腹が立ったので逆よと答えておきましたが ーー;
とても興味深く読む事が出来ました^^
ナポレオンがこんな生活をしてたのなら、それはそれでセントヘレナも悪くはなかったのかな~とか、いろいろと考えてしまいました。
読んでくださってありがとうございます^^
歴史もの試作、という感じで一話目を書いてみました。
私の専攻の時代じゃないので無謀かなと思いましたが、資料がたくさんあるので^^;
とりあえず月一ペースで十話ほど(6~7万字)でまとめて、それから推敲、と思っております。
でも西洋史ってほんとに日本では認識薄いですよねえ><
超マイナーだけに超コアなファンもいると思うのですが(私のように(ェ
カタカナの名前が入ってこない……なるほど@@!
うちの実父もカタカナだめです。そう考えるといまどきの子なら、結構いける?のかもしれません。
(アニメの登場人物やファンタジーって洋名が多いので)
言語表現も難しいですよね><
数年前にベッツィ視点で試作品を書いたのですが、
これは公表する作品ではなかったので、フランス語の部分のセリフのフォントを変えて表現してました。
エンデさんの「はてしない物語」みたいに、現実世界と本の中の世界を色で分ける、という
荒業もありますが、(現実:茶色の字 異世界:蒼い字)、この本のペンギンのペーパーバック版では
さすがに色文字で印刷できないので、やはりフォントを別にすることで表現されていました。
方言なるほど@@!ですが、京都弁ではんなりなナポレオンは……想像するとおなかが痛いですw
私のコーヒーを返してくださいw(←噴き出しました>ω<♪)
クイーンイングリッシュは超お上品にしないと、きっとエリザベス女王陛下にぶたれますw
でもコックニーは、江戸前のべらんめえ調でぴったりかと思います^^
読んでくださってありがとうございます^^
こちらのお話は、月一の自作小説サークルのお題に合わせて、ゆっくり書いていきたいと思います。
ネットのある現代、セントヘレナのHPや、昔の図入りの本、当事者たちの回顧録が家にいながら
見たり読めたりできて、とても楽しいです。
結末までしっかりお話をきれいにまとめられるようがんばります^^
読んでくださってありがとうございます^^
大学の専攻は古代ギリシア・ローマ史でした。
ナポレオンの時代は本来守備範囲ではないのですが、
ピアノをならっていたおかげでかなりなじみ深いところなのです。
(ベートーヴェンとか、まさにその時代の人です^^)
この時代は資料がたくさん残っていて、しかもネットですぐに拾えますので
読み物として楽しんでいました。
これからグールゴーさんの悩みとか絶望感をうまく表現できるとよいなぁと思います。
読んでくださってありがとうございます^^
はい、フランス皇帝の方です^^
はじめどちらの国の人の視点で描くか迷いました。
英国側は「島から出してはいけない」とがんばる人たち。
ナポレオン側は「島から出たい・もっと自由に暮らしたい」人たち。
ちょっと恋愛要素を入れたかったので、ナポレオン側のグールゴーさんが主人公になりました。
双方の思惑とか事情とか周囲の環境とか、これからうまく入れていければいいなぁと思います^^
読んでくださってありがとうございます^^
自作小説サークルのお題で書いてみました。こちらはあまり長くはしない予定ですが、
月一の亀更新になると思います><(資料みながらですので)
グールゴーさんの日記はとても簡潔で、三行日記と言う感じで読みやすいかと思います^^
ラス・カーズ伯爵の日記はすっごい冗長でだらだらでフランスの内政の話も入ってくるので、とても参考になるのですがくどいです^^;
同じ日のことを記しているのに書く人が違うと……>ω<
読み比べるととても面白いですよ~^^
読んでくださってありがとうございます^^
気がきかない子と実母に言われつづけてうん十年、
大人になって結婚して子供ができて、ようやくちょっとはマシになったかしらと^^;
自分が見聞きしたもの、経験したものしか書けないので日々勉強です。
読んでくださってありがとうございます^^!
絵も文章も自分が知っている物しか出せないので、
毎日精進精進勉強で少しでも成長できるよう(もうかなり年ですが……)がんばります^^
(三国志でおなじみの中国以外)で、外国を扱った歴史小説はほぼ全滅するといいます。
理由は歴史に馴染がないからだといいいます。いやしかし、人物そのものがカタカナで漢字ではないから、絵としても閃かないのだとも思います。私はそういう場合、禿げの○○、デブの○○、チビの○○といった叱られるような略した外形描写を本名と併用し、フランス人に京都言葉、イギリス人に土佐弁とかしゃべらせるとまたイメージしやすくなるかなあとも思います。
主要登場人物は短編の場合、五人が適正ですが、この短さだと三人くらいだと、読み手が把握しやすいかなあと感じました。いずれにせよこの作品。このシーンだけをつかって、50頁以上の短編か中編にして、人物・風景・バックグランドの描写なんかをたっぷり織り込んで、贅沢に描けば相当に映える作品だと感じた次第です。
……あ、失礼。第1話ですね。
情景描写がしっかりしていますね。
現地に取材に行ってきたような・・・・。
歴史ものを扱いながら、切口を変えての展開!
たいした文章力です。
実にイイですね。(・・||||rパンパンッ
m(_ _)m
セリフが少なく、情景描写が主なので、筆力の高さが際立っています。
歴史にはあまり興味がないので、ナポレオンが島流しにあったことくらいしか知らないんですが、Sianさんは凄く物知りなんですね。
フランス皇帝の軍は負けましたからね・・・。
でもこのお話は良いお話です。
また読みたいですね。
飛び石連休の間を埋めるように休暇をとったら、
新しいお話が!
島での生活が目の前で展開されているような、
そんな気持ちになります。
明暗、緩急を自在に操って、音まで聞こえてきそうです^^
さて、参考文献として紹介されていた
Sainte-Hêlène, journal inédit de 1815 à 1818;
をダウンロードしてみました。ePub形式があったので
早速iPadに取り込み^^ 便利な世の中です。
これから少しずつ、のんびり読もうと思います。
ふっと感じてしまったむぅなのですわ^^
品のある笑いを誘う文体から 一変して 暗い場所へ という
うん 飽きさせない手法は日常から自然に出来た配慮から来るのかしら(^^)
Sianさん~~シリアスな文面から突然笑いをそそる書き方、すてきです~!
こういう書き物って、書いた人の人柄や興味、人生哲学など、色々なものが現れますね。
お話を通して、Sianさんのことをもっと知ることも楽しみにしてます★
ナポレオンの随員としてセント・ヘレナへ一緒についていった副官(エイド・デ・キャンプ)、
ガスパール・グールゴー男爵視点のお話です。
ナポレオンはこの追放先のセント・ヘレナで1821年に没します。
グールゴーはナポレオンの護衛官としてがんばるのですが……。
ベッツィ・バルコムのお話が映画化されると報じられて
首を長くして待ってたのですが、どうもまだ作られてないようで;
(主演がハリポタのハーマイオニーの人で、ナポさんがアル・パチーノという配役)
いつできるのかなぁ……待ってるんだけどなぁ・ω・
参考文献
GENERAL BARON GOURGAUD 著
「SAINTE-HELENE
JOURNAL INÉDIT DE 1815 A 1818 」
トロント大学所蔵。ネットアーカイブからDL。
今回の手紙の部分は、カファレッリ夫人が受け取った手紙が現存されており、
「後にこんなものが発見されている」と、後世に入れられた注釈部分に載せられていたものに
ちょっと状況説明などをぶちこんでアレンジしました。(手紙の内容は半分以上オリジナルのままです)
Betsy Balcome 著
「To Befriend an Emperor,
Betsy Balcombe's Memoirs of Napoleon on St Helena」
ベッツィ本人の回想録。1844年に書かれました。
私が持っているのは2005年出版の、J.David Markham がイントロダクションした新装版です。
あとはラス・カーズ伯爵の回想録、
ドク・オメイラの回想録、
ハドソン・ロウの記録
などをアーカイブから拾い読み^^;
ここらへんをしっかり読めるといいのかなぁと思います。