明日来るといえば
- カテゴリ:日記
- 2014/10/06 08:19:10
書いている途中で謎の動作が起き、消えてしまいましたが…もう一度書きます(笑)
明日、劇団四季のミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」が来るってことを書いていました。
ずっと観たいと思っていたんですが、悩んだ末にその機会を手放しました。
チケットはまだ売れ残っていたんですが。
休みが取りづらかったというのと、ひとりで見る勇気が湧かなかった、というのが理由です。
ジーザス(以下略)は、一度テレビで映画を見たことがあります。
イエスが死んだのちにキリスト教の教祖として祭り上げられることになった男の真相に迫る内容です。
斬新な舞台設定ながら、圧政に疲れ果てた民衆によって、いつの間にか勝手に救世主にさせられたイエスの苦悩が真に迫る演技で演じられており、裏切り者の代名詞となったユダの心理描写も多くあって、娯楽の粋を越えた内容じゃないかと思います。
「さんまのからくりテレビ」で、たしかお年寄りの特集の時に「ジーザス・スーパースター」と歌が聞こえてきましたが、あれはこの映画の主題歌だったんですね。w
ミュージカルの話に戻りますが、見る勇気が湧かなかったのは、クライマックスでイエスの磔刑のシーンがあるためです。
写真で見ると、十字架をゴルゴタの丘まで背負い歩く姿があり、暗く陰惨に作られた舞台装置と相まって、言い知れぬ迫力があります。
ポスターもリアルなイエスの磔刑の姿ですし、だからチケットも即完売しなかったのかな。
このポスターを見たとき、イエスの生涯について改めて知りたいと思い、高校生の時に学校でもらった、日本聖書協会の新約聖書を引っ張り出して、数日にわたって読みました。
ずっと昔の私なら、それに書かれていることを事実だと思い、信じ込んでいたかもしれません。
しかし、以前ニコ友さんに教えてもらった本「イエスという男」を読了してからは、宗教というものへの考えが変わり、目が覚めた気がします。
そういった意識で新約聖書を読むと…あれこれ気づいてしまうことも多いんですね。
まず、福音書を書いた人によって内容が違うとは聞いていましたが、本当にあからさまに違う。
ルカの福音書にいたっては、イエスの人物像があまりに救世主として統一されすぎていて、言ったらなんですが、マンガのヒーローみたいです。
それから、改宗してバリバリの宣教者になったパウロの福音書がすごい。
俺はものすごい迫害を受けているけど、みんな俺と神を信じなきゃだめだ!的なことをああだこうだ言いながら、聖書の半分くらいを占めています。
彼の書くことは「~しなさい」ばかりで、イエスの言ったことを実践しようというよりは、自分の感じたことを広めようという意図が感じられます。
この「~しなさい、すべきだ」という内容は、たとえば奴隷は主人にまごころで尽くすようになどと書かれているため、植民地支配のためにに聖書を持って行って、人々に何かを命令させるには実に都合の良いことばかり書かれています。
それに、妻は夫を敬うようにだとか、宗教を通さなくても、人間として当たり前のことが「神のみ名のもとに」書かれているってことも、改めて気づかされました。
そこで改めて、宗教ってなんだろう…と考えたのです。
別にキリスト教を否定するわけではなく、でも、盲目的に何かを信じること、信じ込ませることへの怖さを覚えたのです。
昔の人達は、それこそ私達が先祖の墓参りを当たり前にするように、聖書の教えをなんら疑いもなく信じ込んできたのでしょう。
自分の祖父母や親がそうしてきたから、という理由で。
そして、何の疑いもなく、教会に飾られたイエスの磔のむごい姿を拝み、自分の運勢が良くなるようにとか、家内安全などを願ったのでしょう。
これもまだ怖くて見ていないのですが、イエスの受難を描いた「パッション」という有名な映画があります。
アマゾンやブログなどの感想だけで、もういろんな映像が頭に浮かんでしまったのですが、実際にこの作品を観た人達は、映画館で絶句するか、すすり泣いたそうな。
中にはショックで亡くなった方もいたとか。
映画の内容は、2時間にわたってイエスが虐待を受けるものだそうですが、どうして観客が泣いたのか、わかる気がします。
人間は、同じ人間に対してここまでむごいことができるのだという事実に、です。
映画では、ルカ福音書で書かれている(実際にイエスが言ったかはわからない)、「彼らは自分が何をしているかわからないのです」というセリフがあるらしい。
それをレビューで読んで、ふと思いました。
一番最初に、イエスの磔刑の姿をそのまま形にして後世に残そうとした人々は、同じ気持ちだったんじゃないかと。
映画を見て泣いた人々のように、実際に処刑を見てイエスの死に涙した人々が、このおぞましい事実を忘れないようにしたのではないか、と。
そう考えれば、出回るアクセサリーや、日本のホテルの教会に飾ってあるような薄っぺらい十字架に対して印象が変わるのではないでしょうか。
私はすでにそういう考えを持ったうえで、造形としてニコタのアバターで十字架グッズを使っています。
十字架自体の造形は、バランスが良くて美しいですからね。
布教のために書かれた新約聖書。
イエスという人物を、ただの人間としてとらえた時、随所に書かれている「彼は人類のために罪を背負って死んでくださった」という言葉に、ある種の嫌悪を抱きます。
なんて都合の良い言葉なんだろう、と。
しかし同時に、磔刑の姿を偶像化したことは、大昔の人間が犯した一人の人(イエスと言う人間)への罪と悪意を伝えるのに十分すぎるともいえます。
そして「そのこと」に気づいたとき、人類は何かを変えることができるのではないでしょうか…。
ちなみにアバターは、聖☆おにいさんに登場する、天使長ミカエルです。
このマンガは伝承をパロディ化していてとても面白いのですが、伝承そのものがガセだったりするので、丸のみしないように(笑)
たとえば、マンガではイエスは一人でゴルゴタまで十字架を背負ったことになっていますが、聖書を読めば、どこにもそんなことは書いてません。通りすがりのシモンという男が代わりに担がされたとあります。
イエスの一番弟子ペトロが初代ローマ法王になったという事実も、まったくの他人が教会を設立してローマ法王を名乗った時に、ペテロの名を借りただけという話。
あくまでネタとして、作者も理解して書いていると思いますが、元ネタとマンガのネタを読み解くのも聖おにいさんの楽しみ方の一つかもしれませんね。
一番個人的に笑えるのが、彼ら神様の業界での裏話ネタ。
人間界では、幸運を呼ぶと信じられている行事や何かが、あっちの方では全然別の意味だったり、人間の方のでっちあげだったりしています。
神も宗教も、案外そんなものかもしれません。
お父様が仏教ファンですかw
ファンっていうのは珍しいですね。お寺とか仏像がお好きなのでしょうか。
そう言う意味なら、私も神社や寺、仏像など好きなので、ファンといえるかも。
みんな黙っているけど、実はキリスト教徒でした、という人は多いようですね。
神道の人もいたりしますね。冠婚葬祭ブックを読めば、「~式」の葬式についてとか、いろいろ書いてますね。
宗教は冠婚葬祭のみならず、その人の存在理由まで決定づけるデリケートなものなので、触れるには難しいところです。
仁川アジア大会の女子バレーの試合では、宗教の関係で頭の被り物を取れないチームが出場できなかったとか。
これは信仰の問題以前に、人間と社会の問題なんですよね…。
聖おにいさん、かなりヒットしているので、新品はもちろん、マンガ喫茶や古本屋にたくさん置いてあると思います。
偉大な神である(ブッダは神じゃなく、正式には仏)ブッダとイエスが、東京の立川の安アパートに同居して、ゆるい生活を送る話です。
世紀末を無事に終えた(世界を維持した)仕事のごほうびに、下界で休暇を取っている、という設定になっています。
巻数を重ねるごとに、ブッダとイエス以外にも、出てくる神や天使、聖人たちがどんどん俗っぽくなっていってますが、ネタにするためには仕方ないことでしょう^^;
高潔な偉人達があんなことを~?みたいな面白さが売りです。元ネタを知っていると、もっと笑えるしくみになっていますが、そのままでも十分面白いです。
聖母マリアが氷川きよしの大ファンだとか、そういうところがねw
日本も、かつてはキリシタン迫害がひどかったですよね。それ以前にも、織田信長が比叡山焼き討ちとかしていますし、日蓮も迫害されています。
仏教伝来の時も、政治に利用しようと、日本統一のためにいろいろやってますし。
今でこそ宗教にゆるい国ですが、かつては葛藤がたくさんあったんですね。
その結果、ある意味本当の八百万の宗教社会になったのは、良いことなのかもしれません。
キリスト教徒じゃないのに、教会で結婚式するのは子どもの時から疑問でしたが(笑)
(中国とかでも、ファッションだけで教会結婚式をする人はいるそうです)
考えなくていい、ということは、おっしゃるように楽ですよね。
岡野玲子の「陰陽師」で、こんなセリフがあった…「(民衆は)誰も目覚めたくないのです」
作品の内容が意図する意味とは違いますが、今の世の中の人々にも言えることなんじゃないかな…。
パッションは一度だけ、おすぎだったかピーコが解説している映画の宣伝を見ましたが…。
イエスが血まみれになっている場面がチラッと出て、こいつはやべえと思いました^^;
暴力シーンが苦手なもので…。いつか観られる日がくるのだろうか…。
貞子の映画は、初めて見たとき寝れなくなりました~。
あの歌はテレビの主題歌でしたか。張り裂けそうな声が今聞いても耳に痛いww
ホラーの一番怖いところは、出てくるモンスターの顔とかじゃなくて、それを生んでしまった人間の悪意です。
それに気づいてからは、もう見なくなりましたね^^;
キリスト教について知らずに過ごしてきました。
だから、この記事を読んで、知らないことばかり!
姉の旦那さんのお父さんが、牧師だったので、
旦那さんの葬儀がキリスト式で、ぜんぜん雰囲気違う~!と思いました。
聖☆おにいさんは、気になってたけど読んでなくて…。
読んでみようかなぁ~^^
“来る、きっと来る~♪”の貞子が一番最初に思い浮かんだっすww
日本みたいに、八百万の神様がいて、神社と寺と教会が普通に混在してるゆるーーーい国に比べて、単一宗教で自分の神様を一途に信じる国では、宗教とか神様の意味が全然違うんだろなーって思うっす。
“正しいこと”があらかじめ決まっているのはある意味楽なんじゃないかとかね。
パッションはすっげぇ話題になったっすよね~。
何か覚えてるっす。見たことはないんすけどね。