算数の先生は算数を知らないらしい。
- カテゴリ:勉強
- 2014/10/11 18:07:44
http://girlschannel.net/topics/207224/
まぁ、こんな感じの元ネタはずいぶん前見たんだけど、結局草稿書いたまま、放置すること数週間。結局リライトしてほぼ別物になって、以下のような日記が出来上がったのが今日である。
問題は色々あるのだが、式に書かれた数字の位置関係で何も思わずに正誤を判定する「算数もわかってない馬鹿」は今すぐ教壇を降りるべきだと思う。
求められていることが何か?といえば、「加減算しか知らない相手」に
1.乗算記号と、その意味を教え、正しく式から答えを導く計算能力。
2.文章題を例として、掛け算という道具によって、与えられた問題に対応する式を構成し、答えを導くこと。
この二つを習得させることだ。
それ以前に「式に存在する値が示すのは、数量など『数』だけであり、それ以上の意味も心情も一切持たない」という前提すらわからないようなら、誰かに教えることにその人間は不適格だ。
その式が意味を持つのはそれを導いた人間が、「何かの意思を持って、その道具に対し値を与えた」のであって、「式に意味がある」のではなく「計算者」が「意味を定義して式を使っている」というのが「算数/数学」の計算とか以前の基本である。
ましてや、交換法則が存在する以上、「答えを導くことが出来る関係性を維持している限り」は「正しい」式で、「間違いの烙印を押すやつの頭のほうがどうかしているし、式から読み取れるべきことの正誤からすれば間違ってるのはそいつだ」。その関係性については、後で学ぶことになるのに、「今は間違い」と自分の都合を前提に「自分が楽な」採点を行うのは何かを教える態度ではない。
では、「順番は無意味か」といえば、それは「理解していない人間に説明する」という前提が抜けている。
先にこれを書き、次にこれを書いて、それを掛ける。単位の相関関係は、場所を決めてるからここだと。これは「式を立てる時点で迷わないためのガイドで、便宜上の方法論」だ。自由と不自由は紙一重であって、掛け算の次には割り算がある。前提となる数字の位置関係を便宜上制限するのは、自転車に補助輪を付けるようなものであって実用例の明示だ。それを使ってもいいし、「使わなくてもいい」。大事なのは、ちゃんと目的を果たせることで、「従う必要は無いが、従うことによって、達成できるなら使わない理由も無い」だけだ。
だから「無意味、無駄」というひとは「相手に乗除算の前提条件が存在していない」ことを忘れている。方法論に従いながらでも、「式を立てられるようになること」が大切で、「式を立てられる人間や、正しく立てられている状況にたいして、便宜上追加した条件を優先して正しい答えを誤っているとする」のは「自分が何を教えることを求められているのか」を理解できもしない読解力が欠如した人間であることの証明だ。
もし、「制限」がなくても「正しく式を立て、求められる答えを得られる」ならばそこにあるのは理解で、「補助輪なしでも大丈夫」な、数学/算数的には、「言われたとおり以外では出来ない」児童よりもセンスは持っていることだってありえる。
但し、正答率が低いなど、「現状に問題がある」ならば「方法論に頼らせる」ことで、「アドバイスとして」教えたとおりに数字を考えて当てはめると間違えにくいよと、促すこともまた間違っていない。そもそもその意味を持たないものに「ローカルルールで意味を与え、教えている内容からすれば正解であるにもかかわらず『不正解である』と『クレームを付けること』が大間違い」であって、「お前は何を教えているのだ?」という話になるほどばかばかしい採点だ。「言われたとおりにしかできない」人間を育てることが仕事では無いだろう。「正しい結果が導け、理解を伴っている」なら「それを否定する資格は教育者、教員ごときには無い」。
三羽のウサギの耳は何本?という例もコメントでは示されており、3×2では、三本の耳のウサギが二羽になる。というのは「方法論が掛け算の仕様と合致するとき」にだけ正解になることだが、掛け算にそんな仕様は含まれていない。数字は数以上の意味など持たない。
だが「式をきちんと立てられるか」はテストでは評価する必要があるのは事実だ。なぜなら、「計算が出来る」ことは「反復練習」によって、多くの場合実現される以上、「掛け算の単元で、どこに数字を書いても同じだから、出てくる数を入れればいい」という出鱈目も「成立するから」だ。
しかし、「だから順番で式を評価する」のは「論理性のかけらも無いアタマ」でしかありえない話だ。どう世迷言を並べようと、掛け算の式の「数字」に「数以上の意味」なんてものは存在しない。存在しないものを便宜上教えたことを根拠に「絶対のものとして」「従わないものは間違っている」というなら「問題が間違っている」。
どうすればいいのかなんてのは簡単だ。「数字の隣に単位を書かせれば」いい。「三本」が「二羽」と書く児童がいるなら、当然その式には、「バツ」をくれてやると同時に飼育小屋で、実際のウサギの耳をアタマでもなでさせながら、指折り数えさせてやればいい。「何を間違ってるといわれたか」くらいはわかってもらえるだろう。でも、「三羽」に「各々二本」と解釈し書かれた式に「バツ」を付けるやつは「採点より前にお前が掛け算の勉強をやり直して来い」というしかない。
それらの補記は計算式としては不要なものだが、「習熟度」を判断するには必要なことだ。明示されていないことを勝手に断定するなど論外だからだ。式を立てることに不慣れなら、「自分が何を書いているつもりで」そこに数字を入れたのかを意識するのは大事だ。「書くように」明記されていれば、回答ではその要求を満たさなければいけないのだから「書かないといけない」。児童が馬鹿じゃない限りは、「式がわかってかかれている」ことを確認するために書いてもらったといえばいいのだし、途中式に少々ごみが増えたところで、それこそ「答えがあっていれば、バツを食らうことのほうが稀」だろうと思う。
判断、評価したい対象をきちんと篩にかけられないような問題に欠陥があるのであって、必要な条件を明示する問題じゃなければ「問題が自身の存在に必要な条件を満たしていない」だけだ。
「そう教わったから」と「当然のように」語る人を見ながら、自分たちの仕事と責任の重さに震えればいいと思うよ?ちょっとは。
こんな馬鹿なことが、「当たり前」とは思いたくないのだが、「教材を作っているところ」が「間違っている」と明記するということは「そういう運用が存在する」ということだと思う。
そういう立場の会社にとっては「客がバツ食らった答案をもらってくる」ことが、クレームにつながる以上、丸がもらえる答案を書けるように教材を作る必然性があるからだ。
実際、そういう採点をされた…って話は、出てくるのだよね…数からして、「全部が思い込み」とは言えないわけで。
こうするとらくだよ。と「こうしなければいけない」の区別がつかない奴が国語も教えるって季節はずれのホラーみたいなもんだよね。
…うそ教えて、国を滅ぼす気ですか?世の先生様は。自分が出来てないことを児童に教えようなんて無理に決まってんじゃないですかw
多くの場合は「本気で」言ってるわけではないんだけど、しかられたときに軽口でも、それを言われるのが「不愉快」なだけだろうと思う。
そもそも、「最適解」や、ソレを使うことには問題が無い。
だが、「既定された条件に逸脱しない」答えに「何も思わず×をつける」のは「論外だ」といっている。
「だから要らない」という人も、「出来るんだから、言うこと聞けよ」という人も「論理的な思考や、提示された条件による制約、制限」を「まったく理解していない」ということで、それが、「理論や、論理によって構築される教科」でヘラヘラと行われていることが「頭がどうかしている」という話。
理解に到達しないなら、ガイドや公式に従うことで、「考える量」を減らすことは「目的の達成」の為には、悪とはいえない。計算によってほしい答えを求められないのがワーストケースであって、理解は出来ないけど答えは出るのは、ベストではなくてもベターな結果だ。車の仕組みや電子レンジの仕組みをしらなくても使えるのと大差は無い。
計算式は「日常使う道具」だから。目的を達成できれば「選択しなくても良い」道具だ。
だから、「例が少ない」ことは「不向きな人」に合わせた結果でそこは「此処では」否定していない。
「本質を欠片も理解していない」やつが、「不十分な欠陥問題」によって「自らの問題に欠陥があることを省みることすらせずに、真剣に答えを書いた児童/生徒に大上段から、×をくれてやる」ことがふざけているといっている。
問題の中で未定義で、「使うべき道具の仕様、条件」は満たしている答えを不正解とし、コレが平気だということは「本来の仕様を出題した人間はわかっていない」証左で、証明にしかならない。誰に×をくれてやるべきかは自明だ。
問題が「そう書くべき条件」を「そう教えたから」という意味の無いものではなく、問題にきちんと定義すれば、ソレは一つの解決(正しいとは微塵も思わないがな!)ともいえる。だがそんなことすらされていない。
押し付けるからでも、柔軟性が無いからでもなく「要求している正答の範囲」にある解答を、「それを正答に含むような条件設定で作られた問題で間違いとする」ことがおかしいといってるのです。
それ以外の話は「ここでは、別の問題」です。
子供に向けた教え方のマニュアルは存在しないから、押し付けるだけしかできない教師
市販されてる教員用の教科書には・・・
他に正解があっても、高確率で正解の考え方が一つだけしか載ってない現状
真面目に塾へ行ってる子達は、学校の先生より色々知っていて上げ足を取って笑ってたり・・・
そんな現代の問題点の発端が此処に書かれてたりして・・・