キーボードなんてもういらない?
- カテゴリ:パソコン/インターネット
- 2014/10/23 20:36:07
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141021-00000006-pseven-bus_all
まぁ、なんとも悩ましいw
ある意味、「高効率と、高精度が維持できるならジジイどもうっさいわ!」と思わなくも無いんだが…。
「高速入力」とされてる動画みても、まぁ、せわしなく指を動かす割りに、入力される文字列の少ないこと。
いやいや、それらの動画は、操作そのものはとても器用だと思うし、端末特性を考えればよく練られた実装だと思う。マルチタッチなら、キーボードにおける、nキーロールオーバーや、チャタリングに近い問題も少ないだろう。ただ、効率を向上させるためには、予測変換による補助が必要で、これって、個人で使う端末じゃないと効率が低いってことだよね。…自分の端末を持ち込ませて仕事?セキュリティーの問題があるので無理ですね。
「制限のあるフットプリントで、高い効率の入力の実現」という意味では「優れた実装」で「携帯端末で、使うことや、実際のフィードバックが無いタッチパネル用」としてはよく出来ているとはおもう。思うんだが、この程度だったら、スペースが確保できる状況でこれは遅い。ましてや、口語を前提とした辞書と予測で、社外に宛てた文章の入力効率を考えるとちょっと眩暈がする。
予測変換が最大限に使えれば、かなりの速度は出てるんだけど、「入力作業の代替」としては、やっぱり遅いので、「事務作業をする人」としてはこの程度の効率の人間は使えない。ああ、そうだねって言葉は「少なくとも、標準的なフリック入力での入力速度を当人のタイピング速度が上回っていない」なら「使えるうちに入らない」ので、ブーメランが突き刺さるだけだから、安易にドヤ顔で同調や批判なんてしないほうがいい。「実用になっている」なら「問題は無い」し「優位性を証明できない習熟度」なら「作業者としての価値に大差が無い」ってことを考えてから、「テンプレートみたいな批判」はするように。優位性を証明も説明も出来ないのに、既存の物を贔屓するのは執着っていうんですよ。
自分が出来ないからって、「タブレットやスマホは使えねぇ」なんて意見ももう聞き飽きた。好き嫌いや合う合わないは優劣ではない。自分もまた、それらを「選ばない」人間ではあるが、「目的に対して、用を成している」人が、それらを選択肢、積極的に活用することは、間違ってるとは思わない。目的を達成する道具が多くは手元にある以上、「重複する目的と用途の物に対して、積極的に代価を払って手にする必然性が無い」だけで、自分が選ばないものが無価値であるわけでも下であるわけでもない。自称マニア様とちがって、新しいだけのものには代価の価値を感じないだけだ。
外回りが多かったり移動が多い部署なら、むしろこういった端末での作業が出来る人のほうがキーボードが無いと入力できねぇっすって人よりはマシのことがありそうなことは想像に難くない。何事も適材適所である。
会社なんかで作業する場合、特に事務職なんかの場合は、堅めの文章なんかを結構たくさん作らざるを得なかったりするわけだ。結局最終的なところ、「その成果物である文書作成を既存の手段に相当する程度の生産性で作成できるかどうか?」が「フリック入力でもいいんじゃね?」と言えるかどうかの判断基準となる。そこには前述のとおり、自分用に極端に育った辞書や癖による変換予測を除いて、セキュアな状況でその手段が使えるという前提条件も整わないといけないのだけども。勝ち組はオンラインゲーマーとか抜かしてるのもどこかで見たけど「入力する速度じゃなくて、構文とか、語彙のほうをやつらは何とかしたほうがいい」と思うので、「即戦力にならない」のは同じである。まぁ、母集団に個人の特性が必ずしも一致しないのは、確かだけど、発言の中身が脳みそかゆくなる人たちが「多い」のは経験則として事実だったりはする。
キーボード入力のほうが、「習熟度が同程度なら」理論上は速く入力が可能なはずなのは、指の数と、その並列性からいえると思うのだけど、フリック入力なんてって層は、「自分が練習した」ことを多分忘れている。日本語入力だって、机上の話をすれば、カナ入力の方が打鍵は少ないはずだが、それを選ぶ人は少ない。これは、アルファベットも使うという状況もあるのだが、そういう意味では、机上での最適解を誰もが選択しているわけではない。
既に慣れているなら、「本人にとっては間違いなくフリック入力の方が速い」んだから、「別のデバイスは非効率的」で、キーボードによる入力は、反復練習によって、その速度を越えない限りは、非効率なのではないかと思わされ続けるということでもある。これは、自己流で見ながら中途半端に入力が出来る人に「キーを見るな」をいえば、極端にポンコツになるのと同じだ。そのストレスや不満を押し殺して尚、練習するモチベーションはどこに見出せばいいのだろうとは思う。
というか、「そういう経験をしている」自己流で見ればそこそこの速度で叩けてしまい、「見ないで入力する」ことがつらいことは「見れば思ったとおりに入力できるのに、それでは練習にもならず、出来るようにもならないという状況から、キートップから、文字消してしまおうかとか、カナ入力ならとか、あがいたりした。カナの配列は知らないのだから、見てもどうせ探すことになる。だったら、見なくても大差が無い。と。そのせいで、実は、タッチタイピングだけなら、カナでもローマ字でも出来る。ただ、文字と動きのイメージが乖離するので、一時間くらいモードを切り替えて叩き続けないと、脳内の方が切り替わらないので何の価値も意味も無いけれど。なので、「それなりの効率で目的が果たせる場合」の練習の不愉快さは知っていたりもする。いっそ何も出来ないときのほうが何かを練習するのは楽なんだ。
尚、場所をとって、練習しないと入力効率が上がらないキーボードであるが、一応現時点でのメリットも明示しておくと、実は、視覚障碍者にとっては、タッチパネル系のデバイスよりもよっぽど使いやすい。
券売機の類が、そういう実装になって困ってるなんて話もあって、だから、今でも、「ボタン」が券売機や、ATMにはついている。物理的なスイッチという原始的な実装は、意外と人には優しいのである。極端な数叩かせると怪我にもつながるけどもw
altタグ?空欄か画像とでも書いておけばいいんでしょっていうような「仕様書に目を通さない馬鹿」とか、Flashとか使って俺のクールなデザインみてくれー的な「頭の悪い」実装をしていない限り、読み上げツールなどの使用によって、障碍のある方たちも、実は、Web上からも、多くの情報を手にすることが出来ている。
また、キーボードはその組み合わせによるショートカットによって、使いこなせれば、編集はしやすくなっており、このあたりも、タッチデバイスが入力機器としてまだ残している課題だ。自分もエディタを使うときにはポインティングデバイスはあまり使わない。
さて、よりよい未来、答えはどこにあるんだろうね。 使いたいものと、それに付随するものが重複していた時期があっただけで、常識とか、出来て当然は、変わってきたものだけどさ。