「契約の龍」(109)
- カテゴリ:自作小説
- 2009/09/02 03:19:20
「…やっぱり、何とかして欲しい?」
お替りのお茶を注ぎながらクリスが言う。カップが空になる前に注ぐ様子を見て、やっぱり親子だなあ、とぼんやり思う。
「それはもちろん」
せっかくクリスがめったに見られないドレスを――それも目にも眩しい深紅のを――着て、お茶をお給仕してくれているというのに、この頭痛では堪能できない。
「……まあ、頭痛でへたばっていては、エスコートも頼めないしな」
などと何か不吉な事を言って、ポットをテーブルに置く。
優美な動作で俺の背中側にまわり――テーブルを前にしているせいだと思うが――俺の両肩にそっと手を置く。手のひらを内側に向けた「集中」の姿勢だ。珍しい事に。
頭の周りがひんやりと冷たい空気に包まれる。と、ずきずきする頭の痛みが引いていく。と、今度は手のひらを下に向ける。クリスが手を置いたところから、温かいものが広がっていく。
「…気分は?」
「大分、よくなった。どうもありがとう」
それはよかった、とクリスがにっこり笑い、その笑顔のままで、「じゃあ、汗、流してきてくれる?頭も丁寧に洗ってね」と続ける。
「頭まで?」
と反論を試みたが、「…何かご意見でも?」と睨まれた。見てくれは気にしない、って言ってたのは、気のせいだったか。
「全身からアルコール臭がするぞ。一体どれだけ飲んだんだ?」
「陛下ほどには飲んでないと思うが」
「父上なら、今朝見たが、平気な様子だったぞ」
…年季の差か?それとも元々の体質の差か?
「とにかく、これ飲み干して、つべこべ言わずに風呂場へ行ってくる!」
まだ四分の三ほど中身が入ったマグをこちらへ突き付けながら、そう言う。飲み干せ、って言われても、そろそろ限界なんだが。
また見覚えのない服がクローゼットから発掘されたらしい。ひょっとしたら、食事時とかで留守にしている間に、こっそり誰かが運び込んでいるのではないかという気がする。万一、試着した覚えのないドレスが出てきたとしても、きっと驚かないんじゃないかと思う。
「…これを、着ろ、と?」
「そういう事らしいな」
クリスの深紅のドレスを見て喜んでる場合じゃなかった。クリスが「エスコート」と言った、という事は、俺にも対になった服が用意されている可能性がある、という事だ。…いや、ちゃんとチェックしてないから分からなかっただけで、実はクリスに用意されているすべてのドレスに対し…想像するのが怖いから、やめておこう。
「……宿酔のままでいた方が良かったかも」
「いまさら言っても遅い。うなだれないで頭を上げて。これやるの、あまり慣れていないんだから」
クリスに頭を弄られるのは、これで何回目だろうか。やられるたびに手が込んできてるような気がする。今回は、編み込みだ。
「こんなとこかな」
クリスが手を離す。こめかみのあたりが引っ張られて痛いのでそれを指摘すると、自然に解けるまで我慢しろ、と言われた。一体どうしたいんだか。
クリスと一緒にいると注目されるのは、今に始まった事ではないが、こんな大勢の目を集めたのは、おそらく初めてではないかと思う。 声高に登場を案内された訳でもないのに、その場に足を踏み入れただけで、自然に人の目が集まる。クリスが何者であるか、という事は、それほど知られてはいないので、視線は集めるが、話しかけてくるものはいない。
「…おかしいな。マルグレーテ妃がこの広間のどこかにいるはずなんだが」
「妃殿下に呼び出されでもしたのか?」
「まあ、そのような。で、お前を引っ張り出すように、とな」
…何で俺を引っ張り出したがるんだ?
広間の中を流れる音楽の曲調が変わった。こんなに早い時刻だというのに、ダンスの時間だ。
「…どうやらこれにつきあわせたいらしいな。…これはちゃんと踊れるうちに入っていたっけ?」
「クリスほどではないが」
「では、一曲お相手願えるかな?」
「…こういう場所での作法が解らないんだが」
「私も知らない。仕事に熱中していたせいでほかの人が出て行くところを何回も見落としているし」
ではクリスも、「お仕事」中のお誘いは断っているのか?
長い前奏の間に、踊らない人たちは広間の隅の方へ移動していった。踊る者たちが自然と中央部に取り残される。中には既に組んでいるペアも。
「なるほど。どうして一曲目はいつもこれなのかと思ったら、こういう訳か。…では、行くとしようか」