悟浄出立
- カテゴリ:小説/詩
- 2014/11/09 02:41:21
万城目学の「悟浄出立」
本屋でたまたま見かけたのだが、その豪華な装丁とは裏腹に1300円というお手頃価格、挿絵つきの帯に書かれた、「なぜか主役になれない脇役たち」というコピーにそそられ、財布のひもが固すぎる蒼雪がレジに持って行った、稀有な本。
しかし、タイトルが悟浄である。三蔵法師、孫悟空、猪八戒と天竺へ旅をした、世間ではカッパとよく間違えられてしまう、あの沙悟浄。
悟空の八面六臂の活躍や、三蔵のお人よしぶり、八戒のおまぬけぶりが目立つ中で、悟浄の活躍というのはとても地味だ。
言っちゃなんだが、冷やし中華のキュウリくらいな存在感である。
いなくても別にいいかもしれない、なんて思いつつも、実際本当にいなくなると困る。
それが沙悟浄という存在である。
なぜ悟浄の話を書こうとしたのかと、あとで万城目学のインタビューをネットで読んだら、中島敦の「悟浄歎異」という作品に感化されて、書きたくなったというもの。
それは、ぜひとも中島敦の作品も読まなくてはなぁ。
お話だが、これがまた…非常になんというか、おだやかーな物語である。
ひと言では言い表せない、滋味というか、しみじみと人生について考察させられる。
そんな作品群だった。
蒼雪は万城目の作品を読むのはこれが初めてなのだが、この人はこういう作風なんだと思った。
ものすごく文章に卓越しているわけではないが、描かれる人物たちには、血肉が通っている。
単純に言うと、身近に感じる。
「悟浄出立」では、八戒が山越えに疲れたと、文句をいうところから始まる。
西遊記を読んだ人なら、おなじみのシーンである。中国は山が多いので、三蔵一行はいつも山を越え、大河を越え、その繰り返しで西まで向かう。
ここで、八戒の愚痴に「膝に来る」というのがあって、いきなり親近感を抱いた。
八戒がふとっているのもおなじみだが、昨今ぽっちゃり体型の人が、自身の体重の負荷に足がやられることを「膝に来る」というが、まさにその表現を古典の世界にもってきているのである。
舞台が古典なのに、もうそこで、我々は妖怪であり、もと天の将軍だった八戒に親しみを感じるのだ。これは書き方のマジックといえよう。
八戒は過程を嫌う、と、悟浄の目線で語られる。
でもそれは単なる彼の怠け癖から来るものではなかった。
もとは天の川で超優秀な将軍をつとめていた八戒は、戦略においても右に出る人はなかったという。
兵の無駄のない作戦と指揮であっという間に勝利を収め、大手柄を立てたこともあった。
妖怪に堕ちる前の彼を知る者達は皆、口をそろえて才能をほめたたえたが、八戒の軍略の思惑は、単なる才気によるものではなかった。
八戒は、過程を嫌う。それは戦ごとに関わっていたとき、ずっと考えていたことだという。
彼は悟浄に言った。
「戦は、大将がもうやめた、と思うまで続くものだ。
戦争を続けようとする大将のやる気を殺ぐ、精神的抹殺さえ済めば争い事は終わるのに。それを手っ取り早くすませるなら、くじ引きで十分足りるのに、兵士を前に出して無駄に殺し合いをさせる。俺はそれがいやだった」
まあ、こんな感じのセリフを八戒が語るのである。あの食い意地の張った八戒が!
しかしこのセリフを読んだ時、ほほう、とうなった。
戦争がどうして行われるのか、その理由や、終結の仕方が、とてもシンプルにまとめられている。まったく本質を突いている。
優れた作家というものは、こういう本質に気づき、言葉にできる人だと思った。
悟浄はそれを聞いて、いつも傍観者だった自分にも何かできることはないか、考え始める。
物語は人物の語り合いだけで進む。
原作に親しい人は、山の奥深くで見つけた館を見た悟空が、これは妖怪のすみかだからと言い、注意を促すも結局八戒はじめ三蔵もだまされ、悟浄もまきぞえを食い、結果妖怪につかまってあわやというところで悟空が助けに来てよかったね、というおきまりのパターン(これがほぼ毎回)に沿ったこの短編にも親しみを感じるだろう。
でも、あまり読んだことのない人には、こういうもんなのかと流されてしまうような展開でもあった。
これは同時収録された他の短編にも顕著で、もうちょっと話の中にも原典の説明が欲しかった。せめてタイトルの脇にどこから案をもらってきたのか、原典の題名を入れるとか、配慮がね。
なんか同人のアンソロジーみたいだなあ、と感じたのはそのためで、惜しいと思った。
わからない人には徹底的にわからない仕様。
でも、ひとつのお話としては、じゅうぶん楽しめるのではないか、とも思う。
俺、このままでいいのかなあ、と悩みを抱えていた悟浄。
出立というタイトルは、なんてことはない。彼が悟空の代わりに、一行の先頭に立って旅をする、というオチである。
てっきり彼が家出するかと思ったが、穏やかに話は終わった。
でも、そこがいい。
妖怪である(もとは人間の道士だったが、修行の末に天界に召し上げられた捲簾大将)彼が、誰もが一度は悩む問題に向き合い、仲間を通じて自分なりに答えを見出していく、その過程に、しみじみと味わいを覚える。
そして、答えを出した彼に、悟空たちも温かい目で背を押してやる。
先頭に立つと言いだしたものの、どっちへ行ったらいいかわからないとしりごみする悟浄へ、彼らは、
「お前の行きたいように行けばいいさ」と言う。
それで悟浄は前を向き、歩き出すのであった。
それだけ、といえばそれだけの話…でもなんとも心温まる話ではないか。
こういう話があってもいいと思う。
他の数編はまた少し違ったおもむきだ。
字数が限られているので、ここでは感想は省く。
だがどれも共通しているのは、遠い時代のことなのに、そこにはたしかに、私達と同じ人間が生きていたと感じられること。
成都制圧のために船で進軍する趙雲(50歳)、冒頭は彼の船上からの放尿から始まり、やがてほどなく彼が船酔いの体質であると明かされ、同行した張飛に至っては痔持ち、孔明はひどい鼻風邪にかかっているときた。
この描写だけで、あの超人めいた彼らが、普通の、どこにでもいる男達に成り下がる。
遠い存在だった彼らの肌に、直に触れた気がする。
ついでにこの趙雲の話、軽く紹介すると、ニューフェイスの諸葛亮孔明にジェネレーションギャップを感じ、張飛は尊敬する劉備のお気に入りだし、なんか俺寂しいよ!という感じ。
ラストで、泣きながら船上にある太鼓をたたきまくる趙雲でした。
いや、この話もこう紹介するとなんだそれは…と思われそうだけど、面白かった。
しみじみと、「五十路になった俺」「故郷とはなんぞや」について書かれていて、若いころは無茶したけど俺も年取ったなぁ…俺も帰る所がほしいよぉ、という趙雲の哀愁が、じわじわ来るほろにがい作品だ。
ところで、成都制圧の時には趙雲、50歳にもなってたんだね。
かなり長く活躍した武将だから、若いイメージしかなかったんだが…。
蒼雪は30代にして、もう人生の峠を越した気でいるけどね。
そのせいか、この趙雲の気持ちも、ちょっと解った気がするよ。
実際に自分が50代になってみないと、本当のところは気づかないだろうけど。
ですね、カッパだけにキュウリ…w
ハムや卵焼きだとイメージじゃないと思ってキュウリにしましたw
原作だと、八戒はたしかにすごい将軍だったけど、蟠桃会で美人の侍女にセクハラしようとして、その罪で地上へ落とされたことになっています。
だから、悟浄出立で書かれた、八戒の思慮深さ~過程を嫌うのは、無駄を嫌うため。人生をよりよく生きるために、明らかに無駄だということはしたくない~は、万城目の想像のものです。
でもこういう頭の良さを隠したキャラってかっこいいなと思いました。
ちなみに、なぜ悟空たちが何度も何度も同じパターンで妖怪につかまるかというと、三蔵が前世で犯した罪をつぐなうためだったんですよ。
三蔵は自ら苦しい目に遭い、悟空がそれを助けることで、罪が昇華されて功徳を積んでいたんです。
だから原作の最後の方の試練では、これでラストの浄罪とばかりに、三蔵が妖怪に殴られるシーンがあります^^;
よって、八戒の言う無駄な過程…苦しい道のりも、人生において決して無駄ではないと。そういうお話でしたw
成都制圧で趙雲50歳…一応調べて書いたでしょうから、間違ってはないと思うんですが、ずいぶん年配になってますよね。張飛が彼よりちょい下になってました。
劉備が蜀入りしたのも50歳くらいでしたから、同い年なんですかね。
趙雲の生まれた年は不明なので、いろいろ説があるのかな。
人間、としを取ると寂しがりになるのはなぜなのか…。
たぶん、死を身近に意識するからでしょうね。
親も兄弟も、友達もいつかいなくなる。あと何年、と数えてしまうから。
いつかひとりぼっちになると理解して、だからこそ心のよりどころを欲するのかもしれません。
だから中年になって結婚を急いだりするんでしょう。
この趙雲も、故郷=自分の帰る場所を欲しがっていました。そしてそれは、流浪の生活が長かった諸葛亮も同じでした。張飛も、同じように居場所を劉備に求めていた。そんなお話です。
趙雲の話、面白かったですよ~。
あくまで万城目の想像する趙雲たちなので、他の人が心に描くキャラ像とはちょっと違うと思います。
でも基本は外してないので、こういう趙雲もありだな、と。
趙雲の声は戦場暮らしで割れている。しかしそれでも、ひとたび戦に出れば兵士達を鼓舞する――これだけの描写で、作者は三国志が好きなんだなとわかって、同じく三国志を好きな人に同調するでしょうね。
前にも書きましたが、私は自分が面白いと思った本しか紹介しないですからww
読んでみたい、と思ってもらえるだけで書いたかいがあります^^
中島敦がお好きとは!
ざくろさんは読書家でいらっしゃる。
私は興味を持ったものをあちこち拾って歩くタイプなので、中島敦は山月記しか読んでません…お恥ずかしい。
李陵もむかし教科書か図書館で読んだことあったかも…ああ、でも忘れてしまった。
中国の故事とか好きで、読んだこともあったんですけどね。
あ、李陵…これ司馬遷の話でもあるんですね。悟浄出立にも、司馬遷の話があるんですよ。
李陵のために宮刑を食らって、世間の恥と己を責めつつ、それでも生きようとする司馬遷を見つめる、娘の話です。
中島敦、読まなきゃなあ。今がきっとそのときかもしれない。
ところで中島は、悟浄が大好きだったんですねぇ。
みんな悟空とかに目が行くのに。優しい人だったんですねぇ。
ざくろさんの悟浄の読書感想文、読んでみたいですよww
本編を未読だから彼らの事がどの程度まで描かれてるかわからないけど、今そうやって脇役たちに光を当てるのは、書く方も楽しかったのでは?と思います(o^-^o)
脇役にも思うところも立場もある。
沙悟浄だけでなく八戒にも色々思惑があって、悩んだりしてるんですねぇ…
西遊記は仲間たちがなかよしなイメージがあるので、少し安心して見られますね^ - ^
仲違いしてもちゃんと仲直りできる、みたいな♬
そうそう、三国志ってヒロイックに描かれるから気付きにくいけれど、オッさんだらけの話なんですよね(笑)
劉備が立身出世頑張るわ!って決意したのだって、なんとなく長い年月を過ごしてきて腿に贅肉ついてきて、オレこのまま終わるのかな…ってブルーになってからですもんね^_^;
でも、成都制圧時に趙雲50代とは思わなかった!
人間、歳をとると、寂しくなってくるのは何故なのかなあ…
私も昔は意地っ張りで、人前でなんか泣くもんか!なタイプだったけども、意地張らなくなったらすごい寂しがり屋の甘えん坊になってしまったので(笑)
少しさびしんぼうの趙雲が出るこの本、読んでみたくなりました(*´ω`*)
人間らしい姿が描かれた、しみじみ楽しめそうな作品っすね~。
最近そういう系統の話、読めてねぇから、気になるっすー!
趙雲、読んでみてぇな…。
蒼雪さんの本のレビューは、その本に対する愛情とか深い考察が感じられていつも参考になるし、あ、読んでみたいって思わせられるっす!
中島敦、大好きなんすよ~。実は全集を持ってるというw
漢文調の文章がめちゃ美麗! 中国故事の話とかもたくさんあって、蒼雪さん李陵とか好きなんじゃねぇかなァ…。
悟浄歎異は他に悟浄出世ってやつもあって、これ、もっとシリーズで読みたかったなって思うっす。これで読書感想文書いたこともあるっすよ、懐かしいw
かなり早逝しちゃった作家なんで、つくづく惜しい…。
中島敦と倉橋由美子はかんおけに入れて持っていきたい。