Nicotto Town



アスパシオンの弟子29 常若玉(後編)

 僕の肌はざわつき、粟立ちました。

 灰色の導師の胸には深く白い手が埋まっているのに、一滴の血も流れてこないのです。

 美しい人の銀の髪がざわりと揺れ。一瞬、紫紺の瞳に苦痛が浮かぶや、胸に埋まった手がするりと

出されました。その手の上には、丸い小さな珠が乗っていました。

 真珠のように光沢のある、真っ白い珠。

 これは? 

 息をつめて見つめる僕の前で、灰色の導師は横たわる本物の僕の口元にその珠を近づけました。

「これは常若玉(オチダマ)。純血のメニスにだけ作ることのできる、命の珠。飲んだ者はたちまち

不老不死の体となる」

 その小さな珠が体内に入るだけで、不老不死に?

 灰色の導師は刺すような視線で僕を見据えました。

「これを飲めば、おまえは永遠に死ねなくなる。輪廻の輪からはずれてしまう」

  え……? 生まれ変われなくなる?

「そしてこの珠は、私そのもの。おまえの中でおまえを支配するのだ」

 それでもよいのだな、と灰色の導師は問うてきました。

「だめ!」

 フィリアの声が船窓の向こうから響いてきます。

「ぺぺ! たとえ主人を亡くしても、魔人は主人のしもべとして、永遠に生きなきゃならないのよ!」

「フィリアの言う通りだ。おまえは自由にはなれぬ。おまえはわがしもべのまま、生き続けねばならぬ。永遠に」

 それでもよいのだな、と灰色の導師は再度問うてきました。

「僕は……」

 僕はおののきながらも、目を大きく開いて灰色の導師を見つめました。

 これは、代償。

 人智を越えた破格の効果を得るための、代償。

 でもそれで我が師が生き返るなら。あの人が、戻ってこれるなら……

「僕はアスパシオンの弟子です。我が師のためなら、どんなことだってできます」 

 僕がこの世に生まれて一番はじめにみたものは。

 黒い髪の男の子――。

「よくぞ言った、アスパシオンのペペ。揺るぎないおまえに、メニスの大いなる呪いを与えよう」

 台座の上に横たわる僕の口の中に、白い珠がねじ入れられました。

 僕の魂が低い韻律の調べに導かれ、我が師の体から引きはがされると。

とたんに僕はおのれの体に引き寄せられ、体内へ入り込みました。

 どしりと落ち着くように自分の体の中にはまった感触がした瞬間――

「くはっ……!」

 すさまじい閉塞感と激痛が襲いかかってきました。

「なっ……ぐっ……あぐっ!」

「胸の傷は相当深いようだな。呼吸もまだ止まっている」

 目を見開き、胸を抑えて激しく七転八倒する僕を、美しいメニスの人は冷たく見下ろしました。

「大丈夫だ。どんなに苦しかろうが、死なぬ」

「がっ……がはっ……はぐっ……!」

 僕の体から、じわじわどす黒い液体が染み出してきました。

 口や鼻や耳の穴からだらだらと大量に液体が流れ落ち、結晶がびっしりついた台座を黒く

染めました。

 息ができず。言葉を出すことができず。僕は激しく痙攣して台座の上でもんどり打ちました。

 苦しい。苦しい。苦しい。

 痛い。痛い。痛い。

 死ぬ。死ぬ。死ぬ。

 だれか。だれか。だれか。たすけ……!

「おろかなウサギ」

 悪魔のような笑みを浮かべる灰色の導師が僕の顎をつかみ。顔を近づけて口元を引き上げました。

「おまえには、一分の救いもなくなった」

 カッと紫の双眸が輝いた刹那――



「うわああっ!」

 僕はがばりと起き上がりました。

 ごんごん

 ごんごん

 飛空艇の翼の音が聞こえます。

 見れば僕は、結晶がびっしりついた床の上に寝かされています。でも体は……

「え? ゆ、夢?」

 ぺたぺた触って確かめた顔と体は、我が師のもの。

「夢ではない」

 冷たい声が降りかかってきました。

「私が送った幻覚を見て、おまえは気絶したのだ」

 目の前の台座には、本当の僕の体。背後には、真っ白い珠を手に乗せた灰色の導師。

「これでは本番にはとても耐えられまい。やめた方がよかろう」

「いいえっ!」

 がくがく震えながら、僕は美しい人の灰色の衣のすそをつかみました。

「大丈夫です! お願いします!」   

 そのときガンッと強い衝撃が飛空挺の横っ腹を襲ってきました。

 船窓にびたっと白い手がかかり、フィリアの顔がぬっと現れました。

 フィリアは窓からそのまま船室に滑り込んできました。

 少女は突進して母親から白い珠を取りあげようとしましたが。

「邪魔をしないでください!!」

 僕はとっさに少女を押しのけ、灰色の導師の手から白い珠を奪い。

 自分の体に飛びつき、その口をむりくりこじ開け――

「ペペ! ダメ!!」

 白い珠を押し込みました。

 たちまち僕の体から、どす黒い液体がじわじわ染み出してきました。

 魂が入っていないのにその体は弓なりにのけぞり。びくびくと痙攣しました。

「導師さま、僕の魂を早くこの体に戻してください!」

「今入れば傷の痛みに耐えられず気が狂うぞ。しばし待て」

 灰色の導師が痙攣する僕の体を押さえつけました。

 フィリアが眼に真っ白い涙を浮かべています。

「ぺぺ! なんてことを……!」

「無茶をする奴だ。だが、気に入ったぞ。見上げたやつめ」

「お母様! 感心してる場合じゃないわ! こんな状態の子を生き返らせるなんてひどい!」

 フィリアが叫んだ通り。僕の体はお話にならない状態でした。

 ほとんど血液が残っていなくて、胸は深く裂けて、解凍されかかっている肌はふやふやのボロボロ。

 ところどころまだ霜がこびりついていて、体全体が黒ずんでいます。

 でも。一刻も早く、我が師を天上から引き戻さなければ。

 すでに三日以上経っているのです。

 もう間に合わないかも……!


「ぺぺ!」


 気づくと。僕の魂は自らすぽりと抜けて、自分の体に勢いよく飛び込んでいました。

「なんてやつだ」

 灰色の導師はさすがに目を丸くしました。

「ウサギよ。おまえにとって師とはそんなに大事なものなのか」   

「う……う……」

 返事しようとしても、まともな声が出ませんでした。

 僕の体はぴくとも動かせず、猛烈な痛みに苛まれて、勝手に痙攣し続けています。

まぶたや鼻からはどろどろと濁った体液が流れています。

 フィリアは僕のかたわらで涙をこぼし、なぜ常若玉を出したのかとしばし母親を責めました。

 でもこれは……僕が望んだこと。

 いいのです。

 これで、いいのです。

「勇敢なウサギ。おまえに免じて、おまえの師の魂をおろしてやろう」 

 視界は霞み。導師の声もフィリアの泣き声も、どこか遠くで聞こえるこだまのよう。

 あたりに降りた魔法の気配はまるで鉛のように重く、僕の体をぺしゃりと押しつぶしてしまいそうでした。

 苦しくて。痛くて。体液と一緒に涙がとめどなく流れました。

 ああ、でも。

 それからほどなくして、すぐかたわらで聞こえたとある声だけは。

 はっきり聞こえて。

 とても懐かしくて。

 暖かくて……。


「ちょ……何ここ! ふわふわ雲のテーブルなんで消えた! 俺の超霜降り雲肉入りスキヤキ、どこいったぁあああ!」

 

 ああ……よかった……。

 

 おかえりなさい。

 おかえりなさい。

 

 僕のお師匠さま。

 僕のハヤト。

 






 ……愛してる。

 

アバター
2015/01/07 08:15
スイーツマンさま

読んでくださってありがとうございます。
まさに悪魔の契約ですよね;
裏切り昇天できますかどうか……ウサギくんにはがんばってほしいと思います。
アバター
2015/01/07 08:12
かいじんさま 

読んでくださってありがとうございます。
このあとととととんでもないことに……なるのかもしれません・ω・;

アバター
2014/12/21 22:59
ゲーテのファウストだと、土壇場で博士がメフィストをいっぱいくわせたかっこうで裏切り昇天してしまうのですが
いまは誠実な弟子クンにもふてぶてしいそれを期待しましょう
アバター
2014/12/20 22:38
この後、どうなってしまうのでしょう?
アバター
2014/12/20 16:43
kobitoさま

読んでくださってありがとうございます。
某小説サイトでは、主人公が異世界へ転生して無双する、と言うタイプのお話が
大人気で、その手のお話しかアクセス数が伸びない、という現状があります。
リセットして何度でもやり直せるゲームの影響が大きいのだと思われます。
(舞台は能力が数値化されて見える、ゲーム世界のような異世界が多いです。)
たとえ輪廻があるのだとしても、「この」人生は一度きり。
おざなりにはしたくないし、してほしくないですよね。
生き返った?ぺぺがこれからどんな代償を受けるのか、
がんばって書き進めたいと思います。
アバター
2014/12/20 16:35
夏生さま

いつも読んでくださってありがとうございます。
たしかに今回のぺぺさんは、尽くす愛ですね^^
本当に相手のことを大事に思っていると、自分ではなく相手のことを第一に考えたり
思いやったりする気持ちが自然と出てくるのかなぁと思います。
続きがんばります^^>
アバター
2014/12/20 16:27
よいとらさま

いつも読んでくださってありがとうございます。
老獪なアミーケ、かなりの策士です;
死ねないという地獄。まさに生き地獄になりそうな予感です;
毎回楽しみにしてくださってありがとうございます。
執筆がんばります^^ノ


アバター
2014/12/20 15:43
むぅさま

読んでくださってありがとうございます。
余韻ぶちこわしてすみませんw
すき焼き食べ損ねた師匠、のちのちまでぶうぶう言いそうですw
しかしそれだけお話に入って読んでくださったのですね><
とてもうれしいです;ω;
感謝!です。
アバター
2014/12/20 15:41
優(まさる)さま

第三章でお話は転がる転がる……
どこまで転がるのでしょう。
スムーズにクライマックスまでいけたらいいなぁと思います^^
アバター
2014/12/20 15:39
おきらくさま

いつも読んでくださってありがとうございます。
これからいよいよこの時のために作った某人の無双が……
はじまるのかもしれません(・・;
執筆がんばります^^
アバター
2014/12/14 20:34
最近の子供の中には、死んでも生き返ることができると信じている子が、けっこう居るそうです。
転生や復活の物語を書くときに、私はこのことを考えながら書くようにしています。
これはファンタジーの面白さであり、問題点でもあると思います。
アバター
2014/12/13 18:52
今晩は!

この章を読みながら、「愛は惜しみなく尽くす」という言葉を
思い出しました。

打算のない愛は、男女の愛を超えて人間愛にと広がって
行きますね。夏生にもそんな時代があったような。。。。

転生のなかの登場人物の結びつき。興味深く拝読していま
す。

次作を鶴首してお待ち申し上げます。
アバター
2014/12/13 16:34
こんにちは♪

若い魂は決意する
愛してやまない魂のために
隷属の軛を得ようとも

今回もまた映像が溢れ出てきます。
作風はジブリ調で^^;

ぃぁぃぁ、そーぜつなシミュレーション結果を見せつけておいて、
お前には無理だろうと問うたら、返ってくる答えはひとつですよねぇ。

永遠の命は時間軸方向の無間地獄。
ぺぺさんは最凶クラスの地獄の苦しみを背負ってしまうのでしょうか。
それとも・・・

お話がどんどん動いていきますね♪
続きがとても楽しみです。
アバター
2014/12/13 14:29
読み終わった後の感動 わくわくのおさまらない中
・・・・・・・
siianさんのコメ 近況のつぶやき↓に笑ってしまいました。
私の余韻を返して
(T-T)www
アバター
2014/12/13 08:26
物語は終盤ですかね・・・。
アバター
2014/12/12 17:44
いよいよ佳境に入ってきたなぁ♪
次は、どうなるのかな?ドキドキ
アバター
2014/12/12 16:28
カテゴリ:グルメ?
お題:冬に食べたい料理
雲の屋台だからおでんもいいかなと思ったけれど、
何でも出してくれるところなんで、
豪華にすき焼きー・ω・♪
据え膳師匠南無。




Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.