自作12月・1月/車 『星霊魚』 中
- カテゴリ:自作小説
- 2015/01/06 21:44:09
目を開けたら一面、雪が積もっていた。
林檎の匂いのする花ではない。
白綿蟲でもない。
ほんとうに本物の雪だった。
首をかしげて手にすくいとってみたら。
ほんとうの雪だからすごく冷たくて、
手のひらの上でふわりと溶けていった。
考えてみれば雪はひさしぶりで、
たぶん数十年ぶりぐらいで、
最後の思い出は海の上で、
その時のことはすっかり忘れていた。
忘れていた方がいいのだが。
あの時私は丸木舟を漕いで。
がむしゃらに漕いで。
さらわれた私の子を必死で追いかけた。
あれはかなりな黒歴史で、
今もあのまがいもの確定なくっちゃべるくそ剣をへし折って、
海の底に投げ捨ててやればよかったと、後悔ばかりが沸き起こる。
思い出せば思い出すほどむかつくので、やっぱり忘れていた方がいい。
しかし、ちょっとうたた寝してるあいだに雪が積もっただと?
ありえない。島中まっしろだ。黒い衣一枚ではかなり寒い。
庭の円堂の床に古文書をたくさん広げてたが、そこにもだいぶ侵食している。
壁が無いから、風も雨も雪も盛大に吹きこんでくるわけだが。
う。足の踏み場が無い。すこし片付けるか。
このところ徹夜で仕事していたから、円堂は書物と巻物でぐちゃぐちゃだ。
む……籠にリンゴ? 私の子が差し入れてくれたのか?
資料を調べるのに夢中で、全然気づかなかった……
しかしものすごく寒い。だいぶ北に来てるようだ。
島の軌道は常春のところを周回するように設定していたはず。
私の子は寒いのが苦手だ。
猫みたいに丸まって木の下で寝るのが大好きだ。
しかも雪はかなりまずい。特にまっ白な山は鬼門だ。
だから北の地方は避けるようにしていたのに。
なぜ、島の軌道が外れた?
設定は家の地下室と映し見の鏡の遺跡の二箇所でできる。
操作板で行き先を指定する簡単設計だ。
まさか私の子が自分で変えた?
それは……考えられない。
積雪はどのぐらいだ? 足がずいぶん沈む。
まずい。まじであの子、埋もれてるんじゃないか?
うちにスコップってあったか?
だめだそんなものじゃ追いつかない。
だが除雪車なんて便利なものはここにはない。
日が沈んで辺りが暗い。灯りも要るな。
銀の杖は、どこだ? ……あった。
ずいぶんほこりを被ってるが使えるだろう。
導師ではなくなってだいぶ経つが、韻律の呪文はまだ覚えている。
杖の先に光を灯す。また雪が降り出している。見上げれば、一面白い雪雲。
雲の下にいるなんて!
私の子を確保したら、すぐに軌道をもどそう。
暖かく。高いところへ。
「レク!」
呼んでみる。……返事が無い。
杖から白熱球を飛ばして雪を溶かす。……熱すぎた。
地面の花まで焼いてはまずい。
よい香りのする花を、私の子は丹精こめて育てている。
なんだあの雪玉は。ずいぶんでかいぞ。
私の子が作ったのか? 二つあるがそのひとつが割れてつぶれている。
ああ、もう一方の玉の上に載せようとして失敗したんだな。
顔だけの雪だるまにできるか。うちにニンジンはあっただろうか?
なんだこれは。小さな雪の玉がたくさん転がっている?
木の幹に何個も雪玉をぶつけたあとがある。
ぶ。木の幹に私の似顔絵が貼ってあるじゃないか。
どへたくそな絵だが、黒髪の人間の顔。
あれは確実に私だ。雪まみれ……標的にされたか。
やばい。
仕事にかまけて、最近あの子を放っていた……。
どのぐらい? 一週間? 一ヶ月? いや……もっと?
「レク!」
呼んでみる。……返事が無い。
足跡がある。たどってみるか。
おや? 下界が見える映し見の鏡の遺跡に光の玉がたくさん?
光飾りだ。小さな玉の中に魔力を入れて輝かせるもの。
赤 蒼 黄色 緑 紫。
すごい数だ。しかもぴかぴか点滅している。
とん・つー とん・つー
何かの信号みたいに。
そのすぐそばで――
ざく、ざく、と雪を掘る音がする。
見つけた。長い銀髪の後ろ姿。
小さな小さな私の子は、しゃがんで雪を掘っている。
あちこち掘っている。何かを……探しているように。
「レク!」
呼んでみる。……返事が無い。
まずい。思い出したか……。
「レクリアル」
近づいて、後ろからそっと腕を回す。
「いやあ!」
ううっ。いきなり手足バタバタ八連打。
みぞおちに数発入ったがなんとか耐える。
しかしずいぶん掘ったな。あたりが穴だらけだ。
「はなして!」
「ここにはいないよ」
優しく囁いてやる。きつく抱きしめながら。
かわいそうに手が真っ赤だ。
そっと両手で包み込んでさすってやる。
「山のパパは、この島にはいない」
「わかってる! でも、そばにいるような気がして……
すぐそこに埋まってるような気がして……」
しゃくり上げて泣きながら、私の子はまた雪を掘ろうとする。
かじかんだ手を伸ばして掘ろうとする。
その腕ごと抱きしめ直し、ぎゅうと力をこめて阻止する。
思い出したら、探さずにいられなかったんだろう。
ここにはいないとわかっていても。
「生き返らせたかった……僕にはそれができるのに。
涙のひと粒でそれができるのに。なのにどうして……」
はらはらと真っ赤な涙が、紫色の瞳からこぼれおちた。
「どうしてパパは、みつからなかったの?」
私の子は、メニスという種族の純血種だ。
本人がそれを知ったのは、ごく最近のこと。私と出会ってからだった。
メニスはとても長命で、何十年たっても老いない。
私の子はその中でもとても血の濃くて、ずっと子どもの姿のまま。
私と出会うまで、この子は男の子のふりをして生きてきた。
いつまでたっても背が伸びず、涙が血のように紅いから、長いこと人から隠れて生きてきた。
石を投げられないように――。
それは結果的に賢い選択だった。
とりわけ血の濃い純血の子の紅い涙は、人をよみがえらせる奇跡の力を持っている。
その力を求めてメニスを狩る者どもが、下界には溢れかえっている。
だから私は、この子を守るためにここに住むことにしたのだ。
だれも昇って来れぬ天の島に。
私におのれの奇跡の力を教えられたレクは、かつて一度、養い親を生き返らせようとした。
大昔に、幼かった自分をかばって盗賊に殺された人を。
「僕を拾わなかったら、パパは死ななくて済んだんだ」
私の子はそのことでずっと自分を責めていた。
どうしても償いたくて、もういちど優しかったパパに遭いたくて、 大きな山へ探しにいった。
場所はしっかり覚えていたはず。
雪を掘って。深く深く掘って。
涙ひとつこぼさずに、その人の亡骸を自分の手で埋めたから。
だが。
その人の体は、どこにも見つからなかった。
正直、ほっとした。
もし本当によみがえったら、そいつに私の子をとられると思ったから。
私と出会ってこの子は泣くことを覚えた。
笑うことも覚えた。
この子は、私の子だ――。
「レク、パパは大丈夫だよ。今はきっと幸せでいる」
思い出して嘆く私の子。どうしたら泣き止んでくれる?
「きっともう、どこかの誰かに生まれ変わっている。
だから、よみがえらせなくていいんだ」
「ほんとにそうだと思う? ちゃんと生まれ変わったと思う?」
「また人間に生まれたかどうかはわからぬが。きっと幸せでいるよ」
「ほんとにそうだといい……でも、なぜかそんな風に感じられないの」
「レク……」
「パパの魂はまだ、この世界のどこかをさまよってるんじゃないかって……
天上にいけなくて、迷ってるんじゃないかって……」
前に登場した子のような…