Nicotto Town



アスパシオンの弟子31 楽園(前編)

「ペペ。調子はどう? 暑くない?」

 柔らかなフィリアの声で僕は目覚めました。

 うっすら眼を開ければ、そこはさんさんと眩しい陽射しが注ぎ込む温室。

 柑橘系の橙色の実や葡萄らしきものがたわわに実った果樹がずらり。

 目の前の透けているギヤマンの大きな壁の向こうには、とうとうと流れる小さな滝と、可愛らしい鏡のような泉が見えます。

「あつく、ありま、せん」

 まだ言葉がうまく喋れません。柔らかな寝椅子に寝せられているようです。

 姿が見えませんが、すぐそばにフィリアがいる気配がします。

 甘い、甘い、甘露の香り。

 手を伸ばして触れたくなるような、魅惑の香り。

「あ……手……」

 思わず伸ばした手の先を見て、僕の心は暗く沈みました。

 右腕の先は、失われたまま。まっ白な包帯が丁寧に巻かれています。

「ここにいれば大丈夫よ。ここは、癒しの空気に満ちているの。すぐに体が治るはずよ」

 フィリアはギヤマンの窓を少し開けて外へ出ていきました。

 目の前に見える澄んだ泉にしゃがんで、両手で水をすくって飲んで。

 こちらを振り向いて。笑顔で手を振っています。

 風がこおっと吹き抜けて鳶色の髪がなびき、少女のスカートが……

「ちっ、みえねー」

 黒衣の導師――我が師が隣の寝椅子にだれた格好で寝そべっています。

 鼻くそをぴんと飛ばした顔は超不機嫌です。

「サービスわりいぞ……いてえっ! なにすんだよエリク! 頭ぶつなよ!」

 兄弟子さまが我が師の向こうにぬっと現れました。

「エリクじゃねえから。アステリオン様だから。いつの間にくつろいでるんだおまえ?

病人じゃねえ奴はここからさっさと出ろ。ぺぺ、おまえはまだここで眠っとけよ」

 兄弟子さまは我が師をずるずる引っ張って、外へ出て行きました。

 この温室はとても暖かく、空気が濃くてしっとりしています。呼吸をするのがとても楽です。

 温室から見える空には一片の雲もありません。雲の海は、ずっとずっと下にあるのです。

 そう。ここは、天上に浮かんでいる島。

 天の楽園。オプトヘイデン――。

 

 

 

 

 雲海を飛んで僕らがここへ至ったのは、つい昨日のことでした。

 滑るように雲の海の上を飛ぶ大きな鉄の鳥。

 その後ろについてくる瑠璃色の大鳥。

 一機と一羽はひたすら星降る空を飛び続け、追いかけてくる飛空船からどんどん逃げました。 

 フィリアの鳥の速かったこと。グライアになった兄弟子さまは、ついてくるのがやっとでした。

 怒れる灰色の導師の船は、みるみるうちに小さな豆粒。飛空船から鉄の鳥たちの群れが

弾丸のように飛び出してきて、フィリアの行く手を阻もうとしましたが。

少女が韻律で何か命じると、彼女と仲良しの鳥たちはパッと飛び散って、今度は飛空船の

前に立ちはだかりました。

 まるで目隠しのようになった鳥の群れを飛空船が割る隙に、逃げる僕らはいったん

雲の中にもぐりこみました。

 フィリアは手足を満足に動かせない僕がずれ落ちてしまわないように、ずっと抱きかかえて

いてくれました。どこへ向かうのかとおぼつかない口で聞くと、彼女は何かを探すように

雲の上を睨みました。

「いっぱいあるの。島なのよ。今も天に浮かんでいるの」

 しばらく雲の中を進んだ僕らが、フッと雲海の上に出てみると。

 削り取られた大地のような形をした島がいくつか、雲の上に浮いていました。

 ゆっくりゆっくりその島々は動いていて、どの島にも緑の木々がうっそうと生えていました。

 天空の島。

 本当にあったのだと、僕は目を見張りました。

「何千年も昔、統一王国の時代に移動要塞として作られたのよ。今はもうみんな朽ち果ててる

けれど……霊水が湧き出ている島があるはず。そこにいけば、体の治りが早くなるわ」

「それなら二十番ぐらいまでの島がいい」

 まばらに浮かぶ島々の合間をぬい飛ぶ鉄の鳥の隣に、大鳥グライアが横につけてきました。

「島は五十個ぐらい浮いてると思うが、水源に霊水を使ってるのは初期のものだけだ。

あと、まだ韻律遮断の結界装置がこわれてないところがいいな」

「あら、詳しいのね」

「あー。えっと。寺院のふっるい記録にそう書いてあったんだよ。うん。ほら、俺様って勉強熱心だから」

 兄弟子さまは、フィリアには自分の前世のことを隠していたいようでした。

 たしかにひげぼうぼうのおじさんが実は自分の母親だと打ち明けられたら、かなりショックでしょう。

 島の番号なるものは兄弟子さまが判別してくれました。

 どの島にも灯台のような細長い尖塔がひとつ建っていて、そこから絶えず光の点滅が出ていました。

その点滅は光信号と呼ばれるもので、たえず島の数字――すなわち住所を発信していました。 

「その島は八番島だな。航空機の発着場が果樹園の裏手にあるぜ。鉄の竜用だが、フィリアちゃんの

鳥も十分置けるぜ」

 こうして僕らはグライアの先導で第八番の島、オプトヘイデンに降り立ったのでした。

 降り立つなり、僕はすぐに温室に入れられました。

 特殊な配合がなされた癒しの水――霊水と呼ばれる錬金の水が循環し、その気体が流れる部屋に。

『はいつくばっていろ』

 しかし灰色の導師にそう命じられた僕の体は、傷こそみるみる治ってきたものの、こちこちに

固まったままでした。

 僕の右手が放った虹色の光の鎖にがんじがらめにされた我が師は、兄弟子とフィリアが二人がかりの

韻律で鎖を砕いて、なんとか自由にしたのですが……。

 う? なんか目の前にタコ……いえ、我が師?

 べったり窓にはりついて顔を押しつけてコッチを見てる? 

「弟子、まだ動けないの?」

「こらハヤト! そっとしておけって」

 温室の窓を開けて我が師が入ってこようとするのを、兄弟子さまがぐいと引っ張って阻止しました。

「ハヤトって呼ぶな! この黒い衣が見えねえのかよ。アスパシオン様って呼べよ! エリク!」

「弟弟子のくせになんだその口のきき方は。おまえこそアステリオン様と呼べ! ハヤト!」

「むがー! はなせええ」

 本当に心配性ですね。大丈夫ですよ、お師匠さま。

 たぶん動けるようになります。たぶん……

 

 

『ウサギ。私のウサギ。私のしもべ。どこにいる?』

 

 あ……ここです……

 

『どこにいる? 私の声が聞こえないのか?』

 

 ここです……よ?

 

 

 うとうとしていると空が紅く染まり、無数の星が浮かんできました。

 星の瞬きがなんだか変な感じに見えます。うっすら幕がかかっているようにぼやけています。

 あ、もしかして。結界が張られている?

「そうよ。今、この島は結界装置のおかげで外から見えないようになってるわ」

 フィリアの声がしました。ふわっと芳香が漂ってきます。

「すごい機能ね。何千年も前のものなのに、ちゃんと作動したわ。だから絶対、見つからない……」

 目の前に広がる星空を、黒い影がすうっと横切っていきました。

 大きな鳥の形をしたもの……灰色の導師の船?

 僕たちを必死に探しているのでしょう。船は何度も、僕らのいる島の上を横切りました。けれども船は、

決して降りてきませんでした。

 決して。 


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2015/02/27 15:03
E.Greyさま

 コメントをありがとうございます><
 天に島を浮かべたり手足を自由に付け替えられたりいろんな生き物を生み出したり……
 行き着くところまでいった文明が大昔に栄えていたのを想定しています^^
 たぶん宇宙船も万万飛んでいたんだろうなぁと思います^^
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2015/02/21 03:22
浮いているだけでもふつうは手が出せないのに
魔法防御がなされている
かつてよほどすごい文明があったのですね
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2015/02/20 16:31
優(まさる)さま

スイーツマンさま

こめんとをありがとうございます><

衛星よりは軌道が低いのだと思いますが、空調設備が完全になされているんだろうなぁと思います。
大地を丸ごとくりぬいて浮かべた仕様ですけれど、どうしてそんなものができたのか、
お話を考えてみたいと思います^^


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2015/02/10 18:51
浮き島は空を移動する要塞にしてステルス機能まであるハイテクランド
ぺぺの回復も早まるというものですね
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2015/01/12 21:23
安全装置が有る島で良かったです。




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