死に慣れておくってひどい事?
- カテゴリ:日記
- 2015/03/01 20:03:29
死に慣れておくってひどい事でしょうか?
私の、離婚した父方のお母さん(私にしたらおばあちゃん)が
去年「乳がん」で、左の胸を全て切除しました。
とてもショックでした。
「なんで、おばあちゃんが?」って。
しかし、私がまだ幼くて家族がみんな仲が良かった時は
おばあちゃんは、全く私を可愛がってくれませんでした。
いつも兄ばっかり。
お客さんや、近所の人が来た時必ず
「うちの男孫はね」って。
私は、小さいながらに
「あぁ、私おばあちゃんから嫌われてるんだ」って
思ってました。
だから、家族がバラバラになった時
複雑ではあったけど
「これでいいのかな?」って、思ってました。
しかし、家族がバラバラになったけど
兄はどうしてもおばあちゃんが恋しかったようです。
だから、私や母の知らないところで連絡を取り合ってたみたいです。
私が、おばあちゃんに再会したのは
3年前。
兄が車の免許をとって、ある日突然
「お母さん、車を貸してくれ。そして、いきたいところがあるから
すずも来てほしいんだ」と、言われわけもわからず車に乗りました。
行きついた場所は、父、母、おばあちゃん、兄、私、が
住んでいた家。
もう来ることはないだろう、と思っていたから驚きました。
そこには、別れたころと全く変わらないおばあちゃんがいました。
「すず、久しぶりだな。ばあちゃん、すずに会いたくて
たまらなかった」と、言って
私に、抱き付き大声で泣きだした。もちろん私も大声で泣いた。
たまらなかった。感情が雪崩のように崩れ去った。
それから、お茶を飲みながら私の話を聞きたがり
しばらく会ってなかったからそのことを全て話しました。
私が、高校の頃は平日は暇をしていたので
兄が会社を休みおばあちゃんのところへ連れて行ってくれた。
おばあちゃんも、私たちが行くとすごく喜んでくれた。
しかし、2年前ちょっとした段差で転んで足を折ってしまいそれから
施設への入居が決まり、簡単に会いに行けなくなりました。
そして、昨日通院のついでにおばあちゃんにあって来ました。
相変わず元気そうなおばあちゃん。しかし、何だかいつもと違う気がしました。
おばあちゃんに
「元気?私は、元気よ~。何か最近いい事あった?」と、聞くと
「実はね、左脇にしこりができたんだ」・・・。
えっ?!うそでしょ?
話しをよく聞くと、病院の先生も大丈夫ってしか言わないから・・・。って。
頭が真っ白になった。
思考回路が全面ストップ・・・。
そして、私は何事もなかったように
「また、会いに来るね!」と、言って帰って来ました。
母にそのことを話と
「おばあちゃんは、糖尿病持ちだし
麻酔かけて認知症になる確率を考えたら
大丈夫って言ってあげるのが一番のお薬なんだよ。
癌だったとしても歳が歳だし
進行は遅いはず。すずが元気な姿を見せてあげれば
おばあちゃん喜ぶから。少ない命かもしれないけど
人間いずれ死んじゃうんだから。」と、母がいってました。
母は、仕事柄「生きるか死ぬか」の
究極の現場で働いてます。
だから、母がよく言うのは
「この人、今日はすごく元気なのに
来月もまた会えるかどうか分からないんだよね」って、思いながら仕事してるよ
って。
おばあちゃんが、大好きな兄。
お母さんいわく
「もしかしたら、今日ばあちゃんに会って
また、来月来るからね。って、言って別れたら
もう会えない気がして嫌なんだって。
もし、それがばあちゃんが生きてた最後の日だったら
辛くて、悲しくて、虚しくて、寂しくて
そういう感情に流されちゃいそうだから
ばあちゃんには、会いたくないんだって。」
そのてん、あんたは強いね~
とか、言われました。
私だってイヤ。
おばあちゃんに会えなくなるのは。
だって寂しいもん。
辛いし、苦しいし、虚しいもん。
だけど、ばあちゃんは一人で寂しい思いをしてる。
少しでもそういう時間を減らしてあげたい。
私は、「死」に関しては
誰にも負けないくらい強い心を持ってるって思ってる。
母方のお父さん(私のおじいちゃん)が、亡くなった時
お別れしなきゃいけなくて「手紙」を
孫代表で書いて読んだことがある。
お母さんも、おばさんも、おじさんも、いとこのお兄ちゃんも、兄も
泣いてたのに
私だけ泣けなかった。
亡くなったという事が分からないのか
実感がわかなかったのか・・・。
だから、おばあちゃんが亡くなるってのが
わかってないだけかもしれない。
だけど、私は来春から動物病院に就職することになるかもしれない。
その時、預かっていた子が死ぬたんびに泣いていたら
涙が足りない。
私は、今年で二十歳。
まだ、早いかもしれないけど「死」に慣れておく必要があるのかな?
心にとどめ置いておくことは大切なんじゃないかな?
僕も人並みに祖父母や父の死に立ち会ってきたけれど
生きているものはその「死」からどうやって立ち直っていくかが
大切なんだと思う。
すずさんはこれからいろんな「死」に立ち会ってゆかねばならない。
その覚悟は大切だと思う。
私は死がすごく身近に感じるの
私も死にかけた経験があるからなのかなぁ
名古屋のおばあちゃん(母方)はママが子供の頃から乳がんとかいろんな病気にかかってて、今は元気で家事もこなして、趣味の編み物もして、お出かけもよくするけど、睡眠が足りないと体力がもたないから、時間さえあればリビングでごろんと寝てるよ。
ついこの前孫の間でインフルエンザが流行ってた時に、「病院の先生に熱が出て免疫力が低下するとまた病気が再発するって言われてるの。」って話してくれた。
その瞬間に、おばあちゃんは元気そうに見えるけど、いつ危ない状況になってもおかしくないのかなって私ながらに感じた。
中三の秋に東京のおじいちゃんが亡くなったの。
棺に入った、真っ白で生気を感じない(もちろんそうよね)おじいちゃんを見て、死は目の前にあるんだって、実感したの。
おじいちゃんは癌で入院してたから、覚悟はしてたけど、想像以上に心にぽっかりと穴が開いた気分だった
ついこの前は、彼氏のお家で飼ってる、文鳥のりんちゃんが亡くなった。
ついこの前まで話しかけるとちゅんちゅんって返事してくれていたりんちゃんが、動かない置物みたいになって、亡くなった直後に冷蔵庫で保管されてたのを見たの。
やっぱ私はすごーく身近に感じるの
「死」についての考え方。深いね。
「泣いた=悲しい」とは限らないのだから。
私は母方の祖母が亡くなった時、中学生でまだ本当の「お別れ」の重大さが判ってなかった。
「もしかしたらこれが最後かもしれない」なんてピンとこなかった。
だから最後にお見舞いに行った時、恥ずかしいのもあって何も言えなかったし何もできなかった。
父方の祖母が癌で入院してどんどん衰弱していった時は「もう二度と同じ悲しみは味わいたくない」と思って、祖母のところへ行く度に足をさすったりした。
受験前夜に息を引き取ったのだけど、母や伯母が私に知られないようにと隠そうとしてくれても、判ってしまった。
だって、祖母の部屋に入った途端に白い布が祖母の顔の上に乗せてあったのが目に入ったから。
母たちは慌ててその布を隠したのだけどね。
でも、足をさすることはできたけど、どう声をかけていいかは判らず、結局あまり話ができなかったかも。
母方の祖父が肺炎をこじらせて入院し、やはりどんどん衰弱していった時は、運悪く父が足を骨折してあまり自由に動けず、母ですら偶にしか病院に顔を出せなかった。
1度だけお見舞いに行ったのだけど、その時は不自然な体制で液状の食事をチューブで摂っていたから、背中や肩が凝っているんじゃないかとマッサージをしたが・・・痛そうな反応をされてビビってしまった。
父方の祖母の面倒を看によく我が家に出入りしてくれてた伯母(前出)が亡くなる間際には、伯母の意識が少しでもある時だけだったけど「伯母ちゃんに会いたくて来たんだよ」って笑顔で言えた。
伯母の反応を見ながら痛がってた足をマッサージすることもできた。
およそ1週間後、伯母は息を引き取った。
勿論ベストを求めればキリがないけれど、今のところ一番後悔のない最後だった。
これを「成長」と言っていいのなら、人は成長するのだから後悔したのなら同じ様な後悔をしないように努力を重ねていけばいい、というかそれしかできない気がする。
「成長」と「慣れ」は同じじゃないし。
実家の近所の坊さんは、「人の死と言うのは何度見ても慣れないもんだ」なんて言ってたけど。
その一方、父の知り合いの医者は「人が死ぬのが怖いと感じるのは最初の2,3人目くらいまで」って言ってたらしいw
結局、死をどう感じるかはその人次第なんじゃないかなぁ・・・