ふっと、いなくなります
- カテゴリ:人生
- 2015/03/06 13:05:32
この間まで元気そうにしていた近所の大型犬(ゴールデンレトリーバー)が、いなくなりました。
自分の犬の散歩途中で、通りすがりにいつも姿を見ていたのですが、一週間前から庭先にいないのです。
小屋はからっぽ。
もしかしたらその犬は、高齢か病気のために、外から室内飼いに変えてもらったかもしれない。そんな考えがよぎりました。
でも、外飼いの犬が家の中に入れてもらって、室内飼いにされるケースはまれです。
死んでしまった、と考える方が正しいのでしょう。
なんてあっけなく…ふっと、いなくなってしまうのか。
それまでも、近所の犬がちらほらと見えなくなることがありましたが、そのたびに命のはかなさを突きつけられて切なくなりました。
私が飼っている犬2匹も、もう10歳を超えつつあります。
あと5年も生きれば、彼らにとっては大往生に入るのでしょう。
あと5年…長くて7年。
同じ季節を迎える回数が、あとこれしかない。
なんて少ないんだろう…。
犬たちはそんなことを考えず、今日も目をきらきらさせています。
これが生きるってことなんだ。
残された時間に、できるだけ多く傍に寄り添ってあげたいと思いつつ、空いた時間はゲームにうつつを抜かす自分に自己嫌悪と焦りが湧いてきます。
でもゲームは楽しい(苦笑)
自分の時間も大事にしつつ、別れの時に悔いのないような過ごし方をしなくては。
私だって、いついなくなるか分からないんだから…。
それはネットの友達も同じことです。
長く訪問していなくても、確かな安心がある方もいますが、病気と闘っている友達に関しては、しばらく顔が見えないと、とても心細いです。
いなくならないでほしい、と思います。
時々考えます。
自分が死の間際に、ニコタに遺言を書き遺せないかと。
自分が死んでしまったら、ここに生きた蒼雪はどうなるのかな、と…とりとめもなく。
ニコタのサイトがある限り、宇宙に浮かぶ小惑星のごとく、このアカウントもブログも残り続けるんだろうな、と思います。訪問者が完全に途絶えたまま、ひっそりとね。
3.11が近いからか。
生き死にについて、ぼんやり思うようになりました。
なるほど、婚約者さんとご家族が…。婚約までいったのに亡くなられたとは、ご本人もさぞ無念でしょう。
そらさんのお気持ちもお察しいたします。
私も、ニコタ在籍で亡くなった方の島へ訪問に行ったことがありますが…。
友達とかではなく、知り合いの勧めみたいな伝手でしたが。
ご遺族のコメントが書き遺されていて、なんともやりきれない気持ちになりました。
こういうとき、残された人の存在もまた大きいですね。故人の遺志を書き遺すことができる唯一の存在ですから。
自分が明日死ぬと分かっていたら、自分で書き遺せますけどね。
死について考えていたら、折しも坂口安吾の作品を読む機会があり、そこに「何がなんでも生きろ、生きてこそだ」というような文章を見つけて、何やら因縁めいたものを感じました^^;
婚約者と妹さんが引き継いで、お友達に形見としてアイテムをプレしていました。
もらい泣き、しました。
いつかいなくなると頭で分かっていても、事実そうなってしまうと、よそ様の犬でもひどく寂しくなります。
同じ時期に人間も亡くなったり、車が買い替えられたりしますね。
お迎えって人も物も同じように来るのかなと思います。
ふうこさん、そんなことがあったんですか。もう亡くなられていたとは…。
でも、ご遺族の方とお話できて良かったですね。何も知らないまま待ち続けるのもつらいですから…。
3,11の時、ニコタの友人たちは、私の事も結構心配してくれたみたいで、その気持ちが有難かったです。
あの当時のニコタの混乱ぶりも、まだ覚えています。そのことについては11日に書こうと思っています。
ふと、小学校のころ、近所で飼われてた犬の種類や名前を思い出してました…。
3.11の時の連絡が取れないままの友達と、
やっと繋がったときのことを思い出しました。
あと、病気してた友達のとこに訪問したら、
もう亡くなってて、その方のお姉さんとチャットしたことも…。
もしものために、親族にココを教えておくという手もありますね。
あぁ、3.11、近いですね…。