Nicotto Town



アスパシオンの弟子35 闇市(後編)

 何が起こったのか、一瞬わかりませんでした。

 僕の視界に映ったのは、手のひらの上のコマを高く掲げ上げる老婆の姿。

 ずしゃりと彼女の足元に落とされた僕の鼻先に、そのコマがつきつけられました。

 しわくちゃの手の中でそれは金色にぐるぐる回転しています。信じられないことに、少しだけ宙に浮いて。

「ご覧なされ」 

 口調は穏やかなのに、老婆の貌は全く笑っていません。

 回転するコマが目に映ると、とたんに頭がぐらぐらしてきました。唸るような高音が放たれています。この音は……そしてこの魔法の気配は……!

「高音韻律!?」

 音波で物質に作用を起こす韻律の中でも、かなり原始的な部類のもの。

 回転するコマの渦に吸い込まれるような感覚を覚えた僕は、顔を覆ってその引力に抗いました。しかしコマの

残像は頭の中でもなお回転しつづけていて、僕の中から何かを引きずり出そうとしています。

「吸い込まれぬか?」

 老婆が目を細めて睨んできます。

「魂が離れぬか?」

「そうか……僕の魂を抜くつもりなんだな!」

 でもそれは、不可能なこと。魔人となって輪廻から外れてしまった僕の魂は……

「無駄だ! 僕の魂はここから抜き出せないっ」

 叫んだとたん、サッと目前を銀の一閃がほとばしりました。

「ほう、魔人か!」 

 老婆の姿がフッと消えて、すぐ後ろからその声が聞こえました。

 ふわりと僕を飛び越えた老婆はいかがわしい店の扉の前に立ち、たちまち身の周りに結界を張っていました。

 僕は振り向きざま倒れました。足の甲に銀の短刀が食い込んでいます。深々と、根元まで。痛くもなんとも

ないですが、足が縫いとめられて動きません。

「血が出ぬとはやはりメニスの魔人か。じゃがあの娘は混血ゆえ主人ではなかろう。だれのものじゃ?」

『あの娘』。

 この老婆は、フィリアのことを知っている。つまり、彼女はやはりここにいる!

「ほかに主人を持つ魔人が、なぜあの混血の娘を連れ回しておる?」

「いろいろ事情があるんだ!」

 短刀を足から抜いて力いっぱい老婆に投げつけても、結界は割れません。

 素朴な発動方法ながら、かなりの威力。おそらくこの店の扉の結界もあの老婆がかけたもの?

「まさか、店に雇われている用心棒?」

「昼間から店を開けろとうるさい輩がおるでな」

「くそ! てことは、夜に売買するんだな?」

「売買? なんじゃそれは」

「そんなことは、させない!」

 僕は一目散に路地をさかのぼり、すぐそばのオモチャ屋から売り物のコマを引っ掻き集めました。

「ちょっと借ります!」

 店主から怒声が飛ぶのも構わず、僕は老婆が守る店へ全速力で戻りました。

「足が速いのう。さすが魔人」

 手のひらでコマを回し続けている老婆は、僕が持ってきたコマを眺めて忍び笑いました。

「それを、どうするおつもりかね?」

『回れ疾く! 疾風起こせ隼の息吹!』

 バラバラと地に撒いたコマを、僕はひとつひとつ試しました。

 相手と同じように、手の上で韻律で回転させました。

 魔法のつむじ風で超高速に回るコマから、キンキンと超高音の波紋が広がっていきます。

 対韻律の基本は、同じ音の逆相をぶつけること。

 老婆が出している音域と同じで、かつその音波とは真逆の周波を出せれば、魔法は消えるはずです。

「おやおや。人の手で逆位相を出すつもりかえ?」 

 老婆が眉を細めました。口の端がニヤリと上がっています。

 同じコマですらないのに、そんなことが可能なのかと言いたげです。

 似たような大きさと形のを選んで回せば……。

「ほほほ無理じゃよ」

 くそ、似た音は出るのに。もっと精密に回転速度を変えて魔力をのせないと……

『はぁ? 弟子、なんだって? 大光弾を教えろぉ? なんで? 地震だの雷だの光弾だの、派手っちい魔法は

ぶっちゃけそれに足りる魔力があれば誰にでもできるのよ? 適当にぶっぱなすだけだから。そんなの

いちいち教えるもんじゃないでしょ。導師はなぁ、超細かいとこまで制御できねえとだめなのよ? 飛ばした

鼻毛をこっそり最長老の肩にひつけるとか。飛ばした鼻くそをこっそり長老の杯に入れるとか。そんなことが

できなきゃだめだってば』 

 まったくどうしてこんな時に、我が師の説教なんか思い出すのだか!

『鼻毛を高速回転で超震動させてさ、最長老が張ってる物理結界をこっそりこじあけるとか、もぉ面白くて最高♪ 

 最長老の結界って、人の耳にゃ聴こえねえ音波出す護符で張ってるからさ、それに合わせた音を

鼻毛から出して小穴あけても、ぜーんぜんバレないんだよな♪』 

 なんで鼻毛なんだか! 

 あんな小さく細いものにどんな魔力の載せ方をしたら逆位相の音が出せるのか、全くわけが分かりません。

 ヒアキントス様だったら鼻毛じゃなくて毒針で絶対それやってますよ。できるものなら。

 できないでしょう、普通! 

『つまりさ、弟子はまずこれで遊べってことだよ』

『なんですかこれ、コマ?』

『昔、俺の師匠からもらったもんだ。これな、回ると音が出るの。これをやるから――』

『バカにしないで下さい。僕はもう子供じゃないです』

『いや弟子、これは』

『お師匠様が僕に教える気ないのはよくわかりました。でも中庭で寝てばかりいないで、せめて韻律書の

朗読を聴いてくれるぐらいしてくれたって――』

『ちっ。聞く耳ねえのか。やめやめ! もうやめ! あっちいけ!』

 ちくしょう! なんであの時『これは真面目な修行の一環だから』とか、はっきり

言わないんだあの人は――! 

「ほほう?」  

 老婆が感心したように目をすがめました。風に強弱をつけてコマを調整していくうちに、音がだいぶ近づいて

きたようです。しかし逆の位相をどうやって出せばいいのか。

 韻律なら話は簡単。あれはすべて定型で、それを打ち消す真逆の位相音での韻律が確立されています。

 その典型は、『その言葉は無に帰した』。かなり万能な韻律です。

 しかし回り続けるコマには効きません。

 偶然の一瞬に頼らなければ。そう、まさに一瞬。

 でも。

 老婆を睨みつけ、手のひらのコマを回転させながら、僕は前進しました。

 フッと一瞬だけコマの音が合わさった瞬間――相手の結界が弱まりました。

 そのとき僕は目にも留まらぬ速さで手を突き出し、唱えました。

『膨らめ息吹!』

 手の先からブワッと広がった空気が結界に刺さると、老婆がくわっと眉を上げました。

「ぬ? これは……」

 そう。消せなくとも。

「なめるな……」

 壁の薄い結界なら。

「蒼き衣をなめるなぁあ!」

 吹き飛ばせる――!

『砕けろ! 風の門番、その刃を振り下ろせ!』

 

 

『ごり押しかぁ? あーあ』

『お師匠さま、韻律教えて下さい……』

『あのさ弟子……扉、ふっ飛んでるんだけど』

『結界なんか張って隠れるからだ! いいから教えて! 教えてよぉおお!』

『あーあー泣くなよバカ。よしよし。じゃあ、特別ちょっとだけな。おいで、俺のペペ』

『だいっきらい! だいっきらいい!』

『俺は大好きだよ。愛してる。ほら、涙拭け』


 

 目の前で老婆が吹っ飛びました。扉も、吹っ飛びました。

「フィリア!!」

 ぽっかり開いた入り口に、僕は飛び込みました。

 まばゆく輝いている銀の右手を、そっと布の中に隠して。


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2015/04/11 13:59
ミコさま

読んでくださってありがとうございます><
白ではなく黒でした>ω<!
まだまだトンネルは抜けておらず、
長く続いているのかもしれません。
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2015/04/11 13:58
E.Greyさま

いかがわしい雰囲気なのだけれど
どことなく懐かしげな、楽しいような。
嵌ったら抜け出せない魅惑の場所^^
人情もきっとあるはずですよね^^
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2015/04/11 13:57
スイーツマンさま

読んでくださってありがとうございます><
脱出はできたものの……どんどん試練、どんどん冒険。
がんがんいきます・ω・!
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2015/04/11 13:56
かいじんさま

読んでくださってありがとうございます><
日々これ修行なり、ですね^^
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2015/04/10 17:33
長いトンネルを抜けるとブラック・マーケット
『雪国』とは正反対の色
でもハチャメチャな展開が期待できそうです
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2015/04/09 02:21
闇市…ネガティブな世界だけれど
案外そこに人情があったりするのがお約束ですが
ここではどうでしょう
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2015/03/18 22:22
戦闘終了?
これから大脱出!
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2015/03/16 20:39
何気にかつての日常が役に立ってるものですね^^
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2015/03/12 07:39
夏生さま

読んでくださってありがとうございます><
いつも頭の中にアニメのようにお話の映像が浮かびます。
見えたものをちゃんと描写したいのですが、
いつも難しいなぁと思いつつ書いています。
場面の色合いを感じていただいて、とてもうれしいです。
続き、がんばります^^!
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2015/03/12 07:35
よいとらさま

読んでくださってありがとうございます><
韻律はその名の通り詩歌の魔術。つまり音を操る技です^^
導師の技の大半は音波による結界、言霊による呪いです。
炎や氷の属性魔法も、発動キーには正確な音程が必要です。
(属性の複合ってことになるのでしょうか)
しかし他の属性魔法はどんな化学反応で作用するのか……(・ω・
ちょっと導師さまたちに聞いてきます(
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2015/03/12 07:23
優(まさる)さま

読んでくださってありがとうございます><
はい、見つかったようです^^
し、しかし>ω<!
メキドの地下街はこわいところです^^;
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2015/03/12 07:21
おきらくさま

ご声援ありがとうございます><ノ
ぺぺたちがうまくメキドの地下街を抜けられるといいなぁと思います。
ちょっと難儀しそうな予感です。
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2015/03/07 18:24
今晩は!

緑のトンネルを抜け、一気に闇市に来てしまいました。
この展開の小気味良さ!

光と闇という二つの世界が見事に絡みあい、ゾクとする
ワクワク感が昂ぶります。

この小説が映画化されたなら、さぞ面白いでしょうね。
と、思いつつ、鶴首して次作をお待ち申し上げます。

m(_ _)m
アバター
2015/03/07 12:19
こんにちは♪

尋ね尋ねたどりついた先は猥雑な闇市場。
危険な香りしかしない街の片隅で繰り広げられる魔法戦。

前編から後編へ、ハラハラしながら一気に読んでしまいました^^

音は風の属性だったのですね^^
空気の振動ってところで納得です。


闇に浮かぶ闇の街
飛び交う静寂の音
道の開けたその先に
希望はあるか


いつも楽しいお話をありがとうございます。
ぺぺさんの行く先に何があって何が起こるのか
次回をわくわくしながら待っています♪

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2015/03/06 22:32
見つかりましたかな?
アバター
2015/03/06 19:59
がんばれ~ /(・ × ・)\
アバター
2015/03/06 15:19
カテゴリ:家庭
お題:理想的な休日の過ごし方
異国の闇市ぶーらぶら……(・ω・

※対韻律、すなわち魔法の打ち消しはノイズキャンセルの原理の応用だと思ってください;

※最長老も長老も、呪いよけのため護符や韻律で物理結界だの魔法結界だの普段から張りまくっています。
 これらの結界と呼ばれるもののほとんどは、音波で作られています。

※師匠は超音波が聴こえるみたいです。(人より可聴域が広い)聴こえるどころか、発声域も広いようです。
 彼が使ういたずら韻律は超音波の音域を出して作用させるので、
 普通の人間には全く気づかれないようです。(←新韻律発明してるってことですね)
 ですが犬など、可聴域の広い動物には感知されちゃいます^^




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