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シン・ドラマ汁


ドラマ【花燃ゆ】

花燃ゆ
NHK 日曜夜8時~
【あらすじ】松下村塾は、武士・町人の区別なく昼夜に渡り開かれている型破りな学び舎として、徐々に知られるようになっていた。そんな中、塾生の吉田稔麿は、江戸へ遊学したいと熱望していた。はそんな稔麿を応援すべく、文之進稔麿を重臣たちに推挙するよう頼み込む。寅次郎も意見書を送り、出身の関わらず優れた人物を江戸に派遣するよう求める。しかし、保守派の椋梨は、罪人の門弟を江戸に行かせることに反対。椋梨の派閥にいる伊之助は、この件を自分に一任するよう、椋梨に頼んだ。

【感想】今回は吉田稔麿がメインでしたね。久坂、高杉ときて、今回が稔麿なので、四天王の残りの1人である入江の回もあるのでしょうか。以前廃屋に久坂とともにいたことがありましたが、まだ塾では顔を見かけませんね。早くしないと松陰先生投獄されちゃうよ!
さて、稔麿は久坂、高杉と並び、三秀と呼ばれるほど出来がよかったらしいです。久坂・高杉が双璧と呼ばれ、久坂・高杉・稔麿・入江が四天王と呼ばれるということは、吉田は塾で3番目に出来がよかったということになりますね。ちなみに、稔麿という名前は1863年に改名してからなので、松下村塾時代は栄太郎という名前だったはず。ややこしいから稔麿で通すことにしたのでしょうかね…。そして、稔麿の吉田家は杉家と近く、実は松陰が塾頭になる前から、松下村塾に通っていたらしいです。名字が松陰と同じということは、親戚関係だったのかもしれませんね。田舎には結構同じ名字の家が連なっていることがありますからね。で、ここの感想をずっと読んで下さっている方はご記憶でしょうが、松下村塾は松陰が開いたのではなく、松陰が子供の頃、文之進が開いたもので、少なくとも文之進と松陰の間に、久保五郎左衛門という人物が塾頭を務めていたことがありました。その久保時代に入塾したようです。やはり、近在の若者や親戚の子を集めて教えていたんですね。ドラマではまるで松陰が塾を開いたかのように描かれているので、そこがちょっと不思議ですね。
吉田は松陰も認めるなかなかの秀才でしたが、残念ながらというか、やはりというか、あまり長生きはできませんでした。思うに、松下村塾で優秀だった塾生は、ほぼ全員早死にしてますね…。攘夷を掲げ、ずっと幕府との戦いの矢面に立ち、その間に長州は優秀な人材をかなり失ったと言います。吉田もそんな1人だったのでしょう。吉田がいつ死ぬか、知りたくない人は、吉田について調べない方がいいですよ…。悲しくなっちゃいますから。
しかし、何故松陰の塾にこんなに優秀な人物が集まったのでしょうか。優秀といいつつ、実はそんなでもないんじゃないかとも思ったりしましたが、要因は2つあると思います。まず1つは、身分にとらわれず学業を志すような人物は、元々気骨があるからだと思います。近在だけてなく、遠くからも入塾を希望する人が現れたということは、環境には恵まれないけどその土地土地で出来のいい人物が、こぞってやってきたということでしょうね。つまり、名門校の推薦枠のような状態だったと。もう1つは、松陰が塾生をたきつけるのが、非常に上手だったからではないかと思います。今回も、あろうことか塾生たちに「狂え!」と言ってましたが、ああいうふうに、人を奮起させるのが上手だったんでしょうね。そして、その調子で才能もブーストさせたわけです。まだ若く、貪欲に知識を吸収した塾生たちは、松陰の元で驚くべき成長を遂げたのでしょう。なかなかそこまでの教師はいません。しかし、それが彼らを短命にしたと考えると、家族としては微妙ですよね…。
今回気になったのは、伊之助が塾の手助けをしたこと。むくれる椋梨を何とか言いくるめましたが、椋梨もバカではありませんから、伊之助がまだ松陰に肩入れしていると、薄々感づいているでしょう。これが、悪い方に転がらなければいいのですが…。




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