Nicotto Town


ま、お茶でもどうぞ


今にして思う

今年もあの季節がやってきた。

誰もが予想できなかった地震、大津波、福島の原発事故。
3月11日が来ると、必ず思い出す。
およそ3日間、電気が通らず余震におびえた時間をだ。

しかし私は当時、まだ楽観的だった。
1人暮らしではなく信頼できる家族がいたことと、海から近くとも高台に住んでいたため、津波の被害は免れたせいだ。

津波が押し寄せてきたとき、私の家の近くの住民や避難してきた人々は、こぞって海の方を凝視していた。
けれど私は、あえて見ようとしなかった。建物や車が流される光景―いわゆる「人の不幸」を見るのは良心に反したからである。

でも本音は見たい気持ちだった。今でも見ておけば良かったと後悔している。
その半面、高みの見物丸出しの己の根性をいやしく思う。

津波が去ったあと、高台の下は流された車や真っ黒い砂で埋め尽くされていた。
どこの冷蔵庫のやつなのか、生の鶏肉が落ちていて、カラスが数羽、そのごちそうにありついていた姿が忘れられない。

私はぼうぜんとするしかなく、これは悲しい光景なんだ、と無理やり胸で思おうとしたが、涙は出なかった。今でも涙は出てこない。

ただ、そのあと…電力が復旧してネットにつながったあと、むしょうに怒りがこみあげた。
どこもかしこもお祭り騒ぎだった。
誹謗中傷、風評被害、あらぬデマ、そして拡散。

戻ってきたら、ニコタもその祭りにざわついていた。
ブログ広場には「これを広めてください」の書き込みが多数見られ、一番苦々しく思ったのが、「黄色いタンポポ運動」であった。

「震災でニコタに今は来られない人々を私達は待っています。その証にタンポポをみんなで植えましょう」
というものである…。

被災地在住の身としては、何考えてんだろう、と怒鳴りたかった。
本当にひどい目に遭った方々は、今それどころではなかったのだ。
食料、電気、水道、暖房。そして何よりプライバシーを守れる住居が必須だった。
ニコタでCコインの花をいくら育てたところで、彼らには何の役にも立たない。
あなた方のためにタンポポを育てていましたよと、戻ってきた後に聞かされても、私なら嬉しくはない。
「もしあなたに何かあったら、こちらはタンポポを植えて待っている証にします」という、黄色いハンカチのような約束事があるのならまだしも…。

もしかしたら死んでしまった人もいたかもしれないのに、永遠に帰ってこない人のために、あなた方はいったい何年その活動を続けられるのですか?
どうせ1か月もすれば、飽きてやらなくなるでしょう。
いかにも良いことを思いついたと、それを広めようとするあんたはヒロイン気取りかい?

と、私は問いかけたかったが、私の近隣にもその活動をしていた友人がいたので、声を大にはできなかった。
彼らの「気持ちを一つに、とにかく何かしたい」という思いは、むげにはできなかったからである。

しかし、気持ちが行動のベクトルをおかしくしていたような気がした。
みんなが浮き足立っていたのだ。

その後長く続いたのが、募金運動の脅迫である。
何かにつけて、東日本大震災にご協力を…と、芸能人の口も借りて募金運動がしきりに行われていた。まるで募金しなければ日本人の恥だというように。
でも実際、その募金が全て被災者の手元に届いてはいない。届かないであろうことは、私も薄々思っていたし、事実その通りになった。

家を失った人たちの多くは、今も新しい家を建てられず仮設暮らしだ。
自治体に分け与えられた復興予算は、津波対策タワーや防潮堤など、防災対策に充てられて結構なことだが、避難住民への生活の保障は打ち切られ、なされていない。
あの時集まった莫大な募金はどこへいったのかと思う。
まるで身を削るように募金しまくった人も少なからずいただろうが、その人たちは本当に自分があげたお金が、被災者一人一人に届くと信じていたのだろうか…。

原発の被害は今も深刻である。
風評被害はまだ続いている。誇らしげに「私は東北産(主に福島)の野菜は買いません」と言い切る人を見るとブン殴りたい衝動に駆られるが、それも人間の自己防衛の性なのだと諦めてもいる。
私だって、よからぬ噂の立つ外国産の品は買うのを控えているのだから。(その国のは事実だけれども)

震災の傷は、いまだ癒えてはいない。
東電に賠償を求めた地域住民を、あつかましいと言う心無い人もいる。
多額の賠償を求めることが、復讐行為に映るからだろう。
それは事実、復讐である。
でも大切な家や故郷、生活の術などを奪われた人々にとって、怒りは正当な行為だ。
お金では買えないものを奪われてしまったのだから当然である。

お役人が適当に決めた賠償金額を、もらえた人とそうでない人が線引きされているのはあまり知られていない。もらった側はもらえない人からヒガミを受け、苦しんでいる。
みんな傷ついているのに、さらに傷つけあっている。

震災復興ソング、というのも私は嫌いだ。
国営放送の番組の合間に、一生懸命住民らが歌を歌って、それがリレーになるという企画があったが、何の意味があろうかと…。
どうして日本人は何でも美化したがるんだろう、とまた腹が立った。
その歌をリレーしたからどうなるんだ。失ったものは戻ってこないし、今も苦しんでいる人がいるというのに…。

しかし、フィギュアスケートの羽生結弦は、この歌を主題に見事な演技を披露していた。
彼が何かのインタビューで言ったこの言葉が忘れられない。
「どうか被災地(とその人々)を忘れないで下さい」
自分が踊ることで見る人に勇気を与えたいと思うだけでなく、自分の存在を被災地と重ね合わせるよう訴えたのだろう。被災地のシンボル―その柱となるように。
彼は自分の役割を理解していた。立派な決意だった。


震災の悲惨さは薄れてきている。
被災地在住のこちらでさえそうだ。みんな自粛はしないし、いつも通りに暮らしている。
でも、あれから毎年、其処ここの会社や店舗では、今日この時間が来ると、黙とうをしている。(ついでに避難訓練も実施されている)
これからも黙とうは、続いてほしいと思う。
忘れないこと、語り継ぐこと、同じ過ちを繰り返さないこと。
それが未来を良くする手段だからだ。

あんなに嫌だった震災復興ソングも、その一部なのだろうなと最近思うようになった。
歌を思い出すことで、震災の日や出来事も思い出すことができれば、それは意味があることなのかもしれない。




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