Nicotto Town


ま、お茶でもどうぞ


ざらりとした反戦映画~「風立ちぬ」


金曜ロードショーで放送されたので、ついに私も宮崎駿「風立ちぬ」を見ることができました。
録画してしばらくしてから見たので、この時期ですが。

この映画を、ストーリーの良し悪しで面白いかなんて言えません。
監督はストーリーではなく、映像や描写で見せることに専念しており、この風立ちぬも、映画館から出た人がすっきりした顔でいられたとは思えない作品です。


感想を書くに当たって、外部ブログも見てきました。
私も気づかない視点で書かれていて感心しました。
映画名で検索すると一ページ目で出るから、すぐ分かると思います。

その方によると、主人公の堀越二郎は薄情だったそうです。
え、そうなのか…。
映画をいっぺん見る限りでは、二郎は大震災の時に出会った令嬢菜穂子ととても仲が良く、純愛夫婦だと思っていました。
薄情とされるのは、妹の扱いや駄菓子屋の店先で夜遅く仕事で帰らぬ母を待つ子ども達に、シベリアを施そうとする場面。仕事がなくて右往左往している人々を見て同情もしないなどがそれに当たります。

ああ、そういえば…。
指摘を見て初めて思い当ると同時に、私自身がハッとしました。
その場面を見ても、本当の本当には、画面上で困っている人々に胸を痛めていなかったのです。それこそ、通りすがりに眺める二郎と同じように。

これは私も含め…多くの人が平和ボケしている証でしょう。
震災の場面では、被災した人々や破壊された町、混乱の様子に同情しましたが、人間そんなものなのです。
自分が実際に体験しないと、そのつらさは胸に迫ってこないということ…。
だから、軽々しく「気持ちは分かる」なんて言ったらいけません。

二郎もその一人でした。子ども時代から生まれも暮らしも恵まれ、文武両道で成績も良かった。美男でもある。
国全体が貧乏なのに、好きな飛行機に携わって優秀に働いている。挫折がありません。
だから弱い人の気持ちにうとかったのでしょう。
元々の気質が、自分優先だったことは確か。妹の約束も毎回反故にしていましたし。

しかし彼は天才でした…家族も放り出す集中力は、やがてゼロ戦を生み出しますが、結果、戦争で多くの人命を奪うことになりました。

世界的飛行機設計者カプローニが二郎の夢で言う「ピラミッドのある世界に生まれたいか?」という問いかけは、二郎だけじゃなく見る人全員にも問われています。
ピラミッドのある世界の意味は、見る人によっていろいろ分かれるでしょう。

ピラミッドという技術の粋。それは動物ではできません。
動物にはできないことを、人類はできる。その代わり、その道具を使ってどんな残酷なこともやってしまう。
文明の抱える矛盾がこのシーンに込められています。

このシーンで、カプローニが設計した爆撃機にたくさんの女子供も乗せているのは皆さんも印象深いと思います。
ここのセリフがまた皮肉です。「乗せているのは爆弾でなく技術師の家族だけどな」
飛行機に爆弾なんぞ載せるな。人間だけにしろ…そんな声のように感じ取れました。

この映画では、機械などの効果音が人間の声マネで出来ていたのですが、この描写にはぞわっと来ました。
冒頭で二郎少年が見る夢で、最初は気持ちよく小型飛行機で空を飛んでいたのに、いきなり上空で巨大戦艦が飛んできます。
その腹の下には、ボウボウとつぶやきを放つ気味の悪い爆弾の数々…。
二郎少年はそれに当たって墜落してしまいます。

大震災の瞬間、大地がざわめく、ゾウッ!とするさざめきの声。
二郎と黒川が乗る国産飛行機が、苦しげにオイルをまき散らすエンジンの声などです。

その声マネ効果音は、大地や機械そのものが心を持って話しかけてくるようです。
それだけに、失敗して墜落した飛行機の残骸は無残です。無機質な物質が、人間の死体にも思えてきます。
同時に、「人間の悪ふざけ」にも感じ取られます。子どもが口で銃の発射音を真似て遊ぶように、戦闘機を造って飛ばすことは、シャレにならない「大人の悪ふざけ」なのだと。

全編通して、飛行機は落ちまくります。
夢の中で、現実で、二郎の想像の中で。
そしてようやく現実に飛んだ飛行機はゼロ戦となり、人命を奪う兵器となりました。
彼の上には暗雲、足元には無数の無残な飛行機の残骸が埋もれていました。

映画のラストシーンで、二郎の飛ばしたゼロ戦が、大空をゆっくりと飛ぶ飛行機の群れに合流するところなどは、2回目に見ても胸に迫るものがありました。
この場面、紅の豚でも同じところがあります。敵も味方も同じ空を同じ方向へ飛ぶ、飛行機と飛行士のあの世です。

似たような場面といえば、二郎が倉庫で見た墜落機の一場面もそう。
天空の城ラピュタで、ラピュタから墜落した戦闘ロボットが、軍基地に保管されているところです。
何度も出てくるモチーフというのは、その人の根底にあるものを出さざるを得ないのだろうと思います。決してネタ切れという意味ではなく、たとえば画家が同じモチーフを何度も描く、それと同じです。

宮崎監督は反戦を訴える人ですが、同時に軍用機などの愛好家でもあります。
この矛盾、私もあります。武器や武術は殺人のためにあるけれど、そのフォルムや洗練された動作は美しいです。
残念だけど、カッコいい。この矛盾は、人類が人類である証のような気がします。

二郎達がドイツ視察に行った場面で、ドイツ製の飛行機が出てきますが、板金に刻まれた溝一本一本が手描きでした。
板金にドイツの職工の人肌を感じると同時に、職人の手仕事やこだわりも見せています。
二郎の職場の人間も、皆、戦争の事より自分達がいい仕事をする、それだけに情熱を燃やしていました。そのまなざしは純粋そのものです。
設計をしている二郎のポージングやアングルも、さりげに男の色気がにじみ出ていました。職人は裏方のようでいて、裏舞台の主役かもしれません。

でもそれが兵器だという点が問題。
この世は矛盾だらけ。肉はおいしいけど生き物を殺したものであることと同じ。
残酷さなしに、発展と繁栄は成り立たないのです。

日本の戦争映画は美しいところばかり流されます。
目の澄んだ母国思いの青年兵士、それを支える貞淑な妻や家族。
だけど現実はそんなんじゃねえんだよ、と、風立ちぬはうっすらと不穏な風を吹きつけています。
人声の機械音や、墜落する飛行機に、私は何とも言えない気持ち悪さを感じました。
戦争はひどいもの、と頭で理解するのではなく、肌で、恐ろしさ、おぞましさを感じたのです。

子どもの頃、戦争童話を読んだ感覚と似ていました。
「凧になったお母さん」とか…感動よりもおぞましさが先に立ったものです。

こういった感覚を、人は失くしてはいけないでしょう。
この映画を見た子どもたちも、その辺トラウマとして脳裏に焼き付けてもらいたいなと思いました。

今自分が豊かだと、持たない人への同情は持ちにくいけれど…人殺しがカッコいいなどとは、絶対に思ってはいけないんだと。


そして人間は地球の恩恵で生かしてもらっているのだということも、です。
二郎と黒川が国産機に載って母艦にたどり着く場面。
苦しそうに飛んでいたボロい飛行機。あれは補助翼というんですかね…それが、風を捉えてパッと開くんです。
ただそれだけの場面なのに、「あ、飛行機は自力で空中に舞うんじゃない。大気に飛ばさせてもらってるんだ」と思いました。
2回目に見たらその感動もなく、何でもない場面になってました。
なんだかそこが、この映画の主旨にも思えたんですけどね。
捉え方、人それぞれです。

アバター
2015/03/18 14:53
そらさん、コメント感謝です。

う~~ん、この記事は自分でも上手く書けていませんね。
まとまりに欠けてて恥ずかしい限りです。
もっと短くまとめようと思ったら、ダラダラ長くなってしまいました。
二郎は二郎、反戦はそれと絞って書けば良かったです。

二郎達が良い飛行機を作ろうとするのは、国のためじゃなくて、とにかく良いものを作りたいという情熱だったんですね。
でもまっすぐな情熱も、世に出れば文明の発展と同時に戦争に直結するのだと、カプローニのセリフでも出てきますね。
飛行機は狂った夢だ、みたいな。それが人類の性であり、避けられないことなのだと。
ウィキにありましたが、宮崎監督は軍事マニアでもあるので、その矛盾を作品にしたんだそうです。
この世はどうにもならないですからね。永遠に悪はなくならない。
ピラミッドのある世界云々は、つまり、文明があって悪と同時に発展する世界か、野の獣のようにおとなしく生きるだけの世界か、それを言ってます。
発展の裏に殺戮と犠牲がある。

息子さんの進路にそんな事情があったんですね。
日本の企業にも兵器部門があるんですか…。
旦那さんの「何でもやれ」はちょっと乱暴すぎましたね。
息子さんの選択は正しかったと思います。

今日本はどんどん軍事化が進んでおります。ノスタルジーにひたる一部の政治家によって、また昔の悪い所に引き戻されようとしている。
NHKの朝ドラもそれに加担してますね。どうして戦時ものばかりやるんだ…。これも一種の洗脳じゃなかろうか。
アバター
2015/03/18 11:16
ふ~~~~~む
あの映画を反戦という視点で批評したもので、ここまで長文は私は読んでいません。
ふ~~~~~む

私は、あの映画、そんなにふか~~く考えてみませんでした。
戦闘機の手描きのすごさ、アニメに対する宮崎監督の思い入れと、戦闘機に対する二郎の思い入れは同じなんだろうなと。
私にとって、あの映画は息子の生き方を思い出しました。
息子を戦争にはいかせたくないないな、ということと、就活においての彼の姿勢。
機械工学の研究者を目指す息子は、企業の研究所に就職希望だったのですが、自分の論文では、すぐ兵器研究に回されてしまうと。そして、兵器研究では、たくさんの企業が自分をとってくれるだろうと。
どうしても兵器には行きたくない。だから、医療、介護のロボット研究と銘打って、それ以外にはいかないとかたくなに押し通しました。
カラシニコフやノーベルにはなりたくない。

兵器研究でもなんでもやれ、といううちのダンナと、私と息子のまっぷたつに分かれて、大変だったんです・・・・・・



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