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シン・ドラマ汁


ドラマ【花燃ゆ】

花燃ゆ
NHK 日曜夜8時~
【あらすじ】杉家の裏に新学舎を築き、塾生も増えた松下村塾に、江戸へ遊学中の稔麿から書状が届き、寅次郎たちはアメリカ総領事のハリスが将軍への謁見を許されたことを知る。へはお菓子の料理本が届いた。そんな時、寿が帰ってきて、椋梨の妻・美鶴に届けるお菓子を作るよう頼むが、塾生の世話で忙しいと、は断る。頭にきた寿は、寅次郎をこき使わないよう談判し、自分がの縁談を見つけると宣言。美鶴に縁談を頼もうと考えていた。一方伊之助は、幕府への建白書を書くよう椋梨に命じられる。幕府への全面服従を唱える椋梨伊乃助は意見するも、椋梨は頑として聞き入れなかった。

【感想】今回は文の結婚が決まるということで、さぞかしスイーツな回になるかと思いきや、そうでもありませんでした。伊之助と寿の結婚が決まった回の方が、よっぽどスイーツでしたねw 実は玄瑞は文との結婚を「好みの容姿ではない」と断ろうとしましたが、中谷正亮という塾の年長者から妻を色で選ぶことに失望され、やむを得ず承諾したというエピソードがあります。ドラマでも、一度は顔が好みではないと言ってましたが、どう見ても文に惚れているという設定でしたよね。しかし、もうこれはあちこちで放映されていることなのでバラしてしまいますが、久坂は後に京都で芸者との間に子をもうけ、その子が久坂家を継いでいます。文と結婚してすぐ京都や江戸に遊学したところを見ると、やはり文に愛情はなかったのではないでしょうか…。普通、尊敬する松陰から結婚を勧められれば、多少相手に難があっても承知するでしょうに、一度断ってますしね…。彼にとってこの結婚は、松陰と兄弟になるという意味しかなかったのかもしれません。でも芸者との間に子をなしたということは、結構な面食いだったんでしょうねw
あと、松下村塾についてですが、どうやらこれまで松陰が開いていた塾は正式には松下村塾ではなく、杉家の敷地に築いた新学舎に移ってから、松下村塾の名前を引き継いだみたいですね。つまり、松下村塾を開いたのは文之進で、その名前は松陰の塾に引き継がれたけれど、松陰の塾は名前を引き継ぐ前に松陰自身が開いた塾だった…ということになるのかな。ややこしい……これは誤解されても仕方ないw
あと、伊之助が書いた建白書ですが、これがよくわかりませんでした。さすがに小田村はもちろん、椋梨、周布あたりとなると、wikipediaの記述もそんなに詳しくないです。敬親のところに1858年に攘夷の密勅を受け、周布を登用し、藩論としての攘夷の意見を幕府に提出したとありましたが、今回のお話はその前年なんですよね。文の結婚が1857年12月のことですし、攘夷の密勅とか来てませんしね。ドラマでは椋梨を退け周布を登用はしてましたが、椋梨の失脚も1858年なんですよねぇ。なんかこのへん、ちょっとズレがあるのかなと思いました。まぁ、続きを見てみないことにはわかんないですけどね。




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