アスパシオンの弟子38 変化(へんげ 前編)
- カテゴリ:自作小説
- 2015/03/27 20:54:21
ダゴ馬は、とてもがたいの大きな馬。
胸筋も足の筋肉ももりもり盛り上がっていて、一見すると牛とみまがうばかり。
どちらかといえば力仕事向きで、速さは期待できません。
でも人気の多い大通りに出られれば、韻律を使う敵とて、見境なく街の人々を危険に晒すような
真似はしないはず。
僕はフィリアを乗せて必死に馬を走らせました。しかし音速で迫ってくる地走りは、あっというまに
馬の足を捉えて地に引きずりこみました。
どうと倒れる馬の巨体。宙に投げ出される僕ら。
「ぺぺ! 結界が追いつかないわ!」
「飛ぶしかないっ」
僕はフィリアを抱きかかえ、韻律で風を巻き起こしました。
兄弟子さまのように鳥に変身できればいいのですが、今はウサギにすら変身できない身。
むりくり高位の韻律を使うしかありません。
でも、いくら魔力が増幅されている魔人といえども、僕は導師としてはまだまだ未熟なわけで……。
「うぁあガス欠ー!」
情けないことに、浮いた体はすぐに落下。
「物理法則に反する自然現象は、持続性に問題があるわよね。魔力も使うし」
「フィリア、冷静に分析してる場合じゃ――」
「分かってるわ。交互に風を起こしましょう」
「お姫さま」は取り乱すことなく韻律を唱えて、僕と同じように風を起こしてくれました。
僕らの体はぶわっと宙に舞い上がり。大きな樹木の並木を突き抜けて――
「うわ、まぶしい……!」
輝く青空のもとに浮上。緩やかに放物線を描いて落ちる僕ら。タイミングを見計らい、僕はもう一度
風を起こしました。
繁る大樹に覆われて、眼下はまるで緑の海のよう。
今度はフィリアがタイミングよく風を出し、ゆるゆる下降する僕らは、またふわりと飛びあがりました。
「いい感じ。私たち、息がぴったりね」
嬉しそうにそう言ったフィリアが、僕の胸元をギュッとつかんで来ました。
「あの人たち……怖かった」
あ……震えてる。菫の瞳がうるんで、今にも泣きそう……。
「大丈夫。守るから」
「ぺぺ……」
「君を、絶対守るから」
「ありがとう。ごめんなさい、私のせいでこんな……」
「フィリアがあやまるのはおかしい。メニスを捕まえるってのが、おかしいんだ」
僕らはうまく王宮の方向へ飛ぶよう、風を交互に出しました。
安全な場所は、もうすぐ。あとひと飛びで――
ところがそのとき。ボッ、と木々の合間から黒々とした影が飛び出してきて、みるみる僕らに迫って
きました。
地走りを打った覆面男です。背中になんだか、光輝く炎が見えます。たすきがけにして背負っている
金属のベルトから、まばゆい光が噴き出しています。
「なにあれ! あの人の装備、尋常じゃないわ!」
「くそ、あいつだけじゃない!」
緑の海の中からたてつづけに、ボッ、ボッと、光を噴き出すベルトを背負った覆面男たちが飛び出してきました。
ふわふわ飛ぶ僕らとは、月とすっぽんの速さ。
瞬く間に僕らは追いつかれ。次々と恐ろしい勢いでヴンヴン突っ込んでこられ――
「きゃああ!」――「フィリア!!」
連続して突進された僕の腕から、フィリアが奪い取られてしまいました。
韻律使いにいやというほど背中を突き飛ばされ、あえなく落ちる僕。
フィリアが自分を捕らえた相手の胸に右手を当て、韻律ではじき飛ばすのが見えました。
赤い薄絹をパラシュートのように大きく広げ、ぽすんと緑の木々の中へ沈んでいく彼女。
それを矢のように、一直線に飛んで追いかける覆面男たち。
木の枝に引っかかれながら地に転げ落ちた僕は、自分の左腕が変な方向に曲がっているのもかまわず、
フィリアが落ちたとおぼしき場所へ突っ走りました。
王宮は、目と鼻の先。なんとか逃げ込めれば……!
「うわ!」
でも突然、片膝がガクリと折れました。痛んだのは腕だけじゃないようです。
地にもんどり打った僕は、必死に這い進みました。そこは建築用の資材置き場で、すぐ隣の区画では、
大きな建物が建造されている真っ最中。隣に落ちれば作業員がいっぱいいたのでしょうが、ここは運悪く、
ほとんど人気がありません。
フィリアは、敷地をうっそうととり囲む木々の中の、ひときわ野太い大樹の根元にいました。
「倒れてる!」
覆面男たちが、わらわらと彼女を取り囲んでいます。
無造作に彼女の頭を掴んでひきずり起こして。薔薇色の服によってたかって手をかけて――
「や……! やめろおおおおっ!!」
流れてくる、フィリアの悲鳴。ぱっと舞い上がる、裂かれた薄絹……。
ちくしょう! 足! 足がもっと動けば……!
そのとき僕は、無我夢中でした。
たぶん、無意識に変身の韻律を唱えたのだと思います。
人間より足の速いものになろうとしたのです。
一瞬でフィリアのもとへ――そう強く、念じたのです。
たちまち信じられないことが起こりました。
僕自身、予想だにしなかった事態が。
「フィリアああああ!!」
たぶん。オリハルコンの布は外からの干渉だけでなく、僕の体内の変若玉(オチダマ)の働きも
抑えてくれるのでしょう。
僕の体は――変化しました。
頭から長い耳が生え。手足は縮まり。後足が異様にでかく。白く、もふもふとしたものに。
僕が唯一、変身できるもの。
そう……
ウサギに――!
――「フィリアに、さわるなぁあああああ――!!」
がしゃんと、銀の右手が地に落ちました。ふわりと、青い服も落ちました。
僕は……片足で思い切り踏み切って、弾丸のように敵の渦中に飛びこみました。
オリハルコンの布でできた手袋に、むりくり小さな胴体をねじ込みながら。
「ったああああああああ!!」
『ってええええ! ぺぺいたいっ! やめろこら!』
だまれエリク! まーたハヤトをいじめたな。おいらが成敗してやる!
『いたいって! まじでやめろって! 内臓破裂するう! この殺人ウサギ!』
ふん! おいらの後ろ足は百万馬力なんだぞ。これにこりたら、もうハヤトを泣かせるんじゃねえ!
『わ、わかりましたごめんなさいぺぺさん! このとおりですっ! もぉ勘弁して下さいっ』
ほんとエリクは、イタズラが過ぎるんだよな。ハヤトのサンダルを床に接着するとか、何考えてんだよこいつは。
あれ? ハヤト? どうした? 何真っ青になって……。え? 何そのウネウネ。いったい何抱えてんの?
『ぼ、僕の寝台に、こ、こんなものが……』
ちょ……そ、それおま……い、生きた毒蛇だとぉ?!
『あ。やべえ。もうばれ――おっと』
おまえが仕込んだのかエリクうううう!
『いやそれ、呪術用の触媒だって! 今度全体講義で実習するっていうから、ハヤトにあげようと思ってさあ!』
ちゃんと干物にしてから、突っ込めごらあああ! ハヤトが噛まれたらどうすんだごらああああ!
『ご、ごごごごめん! ひいいい! いやあああ! ぺぺさん蹴らないで! もう蹴らないでえー!』
『黙れこの性悪兄弟子!! 天に変わって、』
――「お仕置きだああああ!!」
僕は後ろ足を思いっ切り、覆面男の胴にめりこませました。
渾身の力をこめて。
みつけて良かったですね
この後、無事王宮に辿り着けるのでしょうか?
良かった。