アスパシオンの弟子41 祈願玉 (前編)
- カテゴリ:自作小説
- 2015/04/18 11:02:02
メニスの繭が誰かに割られた?
結界を張っていたのに?
「そんなこと、ありえない!」
思わず叫んだ僕でしたが。セバスちゃんによると、僕の風送り隊二人は侵入者に韻律で攻撃され、
命からがら温室の前で狼煙のような非常用の信号弾を打ち上げたそうです。
「繭に駆けつける兵士たちの気配を察して、敵は逃げた模様です。繭の中の方をお救いしようと、
導師様方が現在手を尽くされておられます」
驚き心配して起き出そうとする陛下を、妃殿下がなんとか止めました。
今日だけは無理はさせられないと、彼女はセバスちゃんを陛下のもとへ残し。サッと僕を
お姫様抱っこにして、一目散に温室へ走ってくださいました。
まさに音速と思われるかのような速さ。びゅんびゅん空気が切れる音が聞こえました。
「ごめんなさい! 僕のせいだ!」
温室へ向かう間、僕は半泣きで妃殿下に謝りました。
いかなる理由にせよ。僕は自分の持ち場を人任せにするべきではなかったのです。
己が気持ちを抑えてしばし待ち、我が師と交代してからゆっくり陛下を見舞うべきだったのです。
しかし優しい妃殿下は、何にも置いて陛下を見舞ってくれた僕の気持ちがとても嬉しいと仰って
下さいました。
「陛下は胸の内を開けてお辛い身の上話をされるぐらい、ぺぺさんを気に入ってらっしゃいます。
どうかこれからも、ずっとよいお友達でいてくださいませね」
なぜ陛下がこの方を奥方にされたのか、分かるような気がする言葉でしたが。しかし残酷な
光景を目のあたりにして、僕は打ちのめされました。
ケイドーンの巨人たちが幾人も警戒態勢をとって温室を取り囲む中。僕らと入れ違いに、
二つのいたましい担架が王宮へと急ぎ運び出されていきました。
それは僕に風を送ってくれていた、あの風送り隊の二人でした。日の暮れかけた赤銅色の空気の中でも、
だらりと垂れた彼らの手から赤い血が流れ落ちているのがはっきり見えました。
「僕のせいだ……」
持ち場を離れなかったら、彼らを守れたかもしれないのに……。
後悔に苛まれる僕の目に、無残にも割られた繭が映りました。
僕がかけた結界など、あとかたもありませんでした。
メニスの繭は何かの刀ですぱっと袈裟懸けにまっぷたつに斬られ、どろどろと、中から絶え間なく……
「あ、赤い、血?」
メニスの血なら白いはずでは? なのに、流れてくる液体はまっ赤。
くらくらするほど甘い芳香が温室中に充満していました。
繭の回りに集まる人々が、繭の斬り口を必死に両手で抑えていました。
ケイドーンの巨人に侍従たち。すすり泣いているフィリアに、それから……我が師。
「ごめんなさい! ごめんなさいっ!!」
僕は繭に飛びつき、切り口を塞ぐ作業に加わりました。我が師が繋ぎの韻律を
唱えていました。こんなに怖い声で唱えられる韻律は初めて聞いたかも。
どうしてこんな事態に、と僕が震え声で我が師に聞くと。ふりむいた我が師は、布で鼻と口を
完全に防護していました。フィリアを除くみなが同じ格好で、メニスの甘い芳香にやられる
のを防いでいました。
「襲撃者は、この繭からメニスの血を取って行こうとしたらしくて」
我が師は布の奥からもごもごつぶやきました。
「でもさ、血の色が赤かったんで、びびって逃げたみたい。そこに血を入れた容器が落ちてるし……
あわてて走り去ってったような足跡がついてるわ。靴に血糊がべったりってやつだよ」
――「アミーケを連れてきたぞ!」
兄弟子様が温室に入ってこられました。息を切らせるその背に、灰色の衣の導師を背負って。
僕は身震いしました。アミーケは、鋭い目でこちらを睨んできたからです。
「その布……やはりオリハルコンで遮断していたか。あの天の島には、かつてメニスの魔人がいたのだな」
鬼の形相を浮かべるもと伴侶を、兄弟子様が宥めました。今はそれどころではないと。
「頼む、割られたわ。でも中身真っ赤」
灰色の導師はまだ傷が癒えていないようで、兄弟子さまに下ろされるとびっこを引いて繭の
前に座りました。
「フィリア、元気なようで何よりだ。おまえがつつがなくここで暮らしている事に免じて、私は
そこの無能なしもべをしばらくの間無視しよう」
「お母様……! どうしたらいいの? 中の子が無事かどうかすら、私には解らない」
フィリアは涙声で母親に抱きつきました。
「かわいそうに……! なんで血が赤いの? どうして白くないの?」
「まず一番に考えられるのは――」
灰色の導師は硬い表情で言いました。
「中の子はすでに死んでいた、という可能性だが」
フィリアはそんな、と悲鳴をあげました
「でも! でも繭の色が変化してたんです!」
その無情な言葉を信じられず、僕は横から叫びました。
「ちゃんと表面の色が変わってきてたんですよ? 兄弟子様が二、三日後には出てくるだろうって!」
そう、繭は生きていたはず。絶対生きていたはず。
「なるほど。生存が確認されていたということは……」
灰色の導師は硬い表情で皆を下がらせ、サッと繭の割れ目に手を入れ、中身をずるりと引き
出しました。
皆が息を呑む中、真っ赤な肉塊のようなものが、繭の前にどそりと落ちてきました。
よく見ると小さな子供のようなものが……。
「やはり、幼体のまま、か。メニスの幼体は人と同じく体液が赤い。繭篭りで大人になると、
まっ白な体液に変わる」
灰色の導師は腕の傷が痛むのか、もう一方の手で肘を支えるようにしてそっとその塊に触れました。
「も、もしかしてわたくしが洞窟から移動したせい……ですの? 揺らさぬよう慎重に運んだつもりでしたのに……」
妃殿下が茫然として聞きましたが、灰色の導師は、違う、ときっぱり否定しました。
「たしかに移動しないに越したことはない。しかしこの子が幼体のままなのは、動かしたせい
ではない。通常なら繭を作った直後におのが体を液化させるはずだが、それができていないと
いうことは……つまりこの子は、変異体だということだ」
慄きの吐息が、兄弟子様から漏れました。
「おい、こ、これが変異か? とりわけ血の濃いメニスに起こるっていう?」
「おそらくな。片親がメニスの純血種なら、たとえ相方が何であろうが二割以上の確率で起こる。
純血種特有の遺伝病のようなものだから、防ぎようがない。血が薄まった混血の子ならば、
ほとんど起こらぬのだが」
「これ、フィリアちゃんもこうなる可能性があったって、おまえつい昨日俺に話したよな。
も、もしそうなってたら、おまえフィリアちゃんを……」
――「動いたわ!」
フィリアが真っ赤な体液にまみれたメニスの子に触れました。
「間違いないわ! 腕が開きかけてる。ほら、生きてるわ!」
フィリアは服が汚れるのもかまわず、その子をひしと抱きしめました。
「この子、生きてる!」
喜びのため息が一斉に吐き出されました。
僕はへなへなとその場に膝を折りました。
この子が死んでしまったら、僕は一生自分を許せなかったでしょう。
よかった。本当によかった……!
ところが。喜びに沸く僕らの中で、笑みを浮かべていない者たちがいました。
兄弟子さまと、灰色の導師。二人は食い入るように、フィリアが抱きしめる子を見つめていました。
今にも泣きそうな、哀しい顔つきで。
それにしても犯人は…