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シン・ドラマ汁


ドラマ【花燃ゆ】

花燃ゆ
NHK 日曜夜8時~
【あらすじ】松陰が処刑され数ヶ月が経過。は事ある毎に亡き兄に心の中で語りかけるような毎日を送っていた。そんなある日、井伊大老が桜田門外で殺害されたという報せが杉家にも飛び込んでくる。は松下村塾の元塾生たちが関わっているのではと心配するが、刺客は水戸と薩摩の脱藩者だった。報せを聞いた玄瑞は、自分たちがやるべきことだったと、悔しがる。一方、から松陰亡き後の松下村塾の再興を頼まれていた伊之助は、藩命により防府の越氏塾で教鞭を執るため、引っ越すことになる。は抗議するが、伊之助は今はその時ではないと諭す。

【感想】このドラマで龍馬を誰が演じるのか、ちょっと前に伊原だったことがわかり、意外でした。というのも、龍馬は享年31歳。桜田門外の変があった年には、まだ20代前半でした。しかし演じる伊原はなんと51歳。俳優さんは大抵若く見えますが、さすがに20代前半はきついですねw 龍馬は演技的に成熟していない若い俳優に演じきれないからか、どうも年上の俳優がキャスティングされる傾向にありますが、たまには若い龍馬も見てみたいものです。せっかくイケメン志士wとか宣伝しているのだから、それを貫き通ればよかったのにw
さてストーリーですが、今回もあまり動きはありませんでした。一番大きなのは、長井雅楽の航海遠略策が長州の藩論として採用されたことですね。ちなみに年代は
1859年10月 松陰処刑
1860年 3月 桜田門外の変
1861年 3月 航海遠略策が長州の藩論となる
1862年 1月 龍馬、萩を訪れる
となり、意外や意外、動きがないわりに年月は2年ほど経過しています。この間、裏に表に、玄瑞は他藩の志士たちと交流を進めており、長州攘夷派の急先鋒になっていたようです。実際にどんなことをしたんだろうといろいろ調べていたら、なんと玄瑞は死ぬ1年前まで坊主頭だったことが判明w 江戸時代の医者と言えば坊主頭が常識だったのは知ってましたが、医者らしいことは何一つしていないのに、坊主だったとは思いませんでした。子供の頃から医者として育てられたので、少年の頃から坊主だったんですね。だから「医者坊主」という悪口を嫌っていたのでしょう。坊主でもないのに坊主と言われて何故怒るのかなと思っていましたが、本当は坊主だったのですね…。
で、一燈銭申合について調べていたら、この時代のこと、特に薩摩について詳しく書かれたブログを発見。長州の志士たちについてもかなり詳しく書かれていました。
そこで、実は玄瑞は松陰が処刑された頃、藩命で学問所に起居しながら学んでいたことがわかりました。つまり杉家に住んではいなかったのですね。そして桜田門外の変後、60年4月に留学の許可を得て江戸に行き、翌年は様々な他藩の藩士たちと交流しています。5月には松代の佐久間象山を訪問し、8月には江戸で武市半兵太と会合しています。また、長井雅楽と議論したのは江戸で、航海遠略策がすでに藩論として採用された後でした。3回に渡り激論を繰り広げたそうです。伊之助が同席していたかどうかはわかりませんでした。そして9月、藩主・敬親の江戸入りを食い止めたいのと、航海遠略策やそれにつながる公武合体策をやめさせるため、松陰が生前実行しようとして失敗した「伏見要駕策」を、説得した周布とともに実行しようとしました。しかし敬親が病気で留まっていた廿日市にまで足を延ばした時に、2人は処分を受けることになり、周布はお役御免、玄瑞には帰国命令が下り、10月にやっと杉家に帰ってきたのです。一燈銭申合はそれからですね。萩にいる間も、玄瑞を訪ねてくる志士たちは多かったようで、龍馬もその1人でした。この頃の龍馬はまだ無名で、要するに武市のパシリでした。
ドラマではほとんど動きが感じられなかったのに、玄瑞はこれだけ動いています。また、この2年の間、玄瑞は実際ほとんど萩にいませんでした。象山や武市との出会いや、伏見要駕策の失敗など、面白い事件はたくさんあったのに、何故それをすっ飛ばして、事件らしい事件でもない龍馬の登場に時間を割いたのか。まぁ、それもこれも主人公が文だからなんでしょうけどね。つまり、それがこのドラマのいまひとつ盛り上がらない原因なんでしょうな…。まぁおかげで長州側から見た幕末にはかなり詳しくなってますけどねw




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