私も会いたいよ。
- カテゴリ:日記
- 2015/05/05 19:24:38
今日、1本の電話がかかってきました。
声の主は、父方のお母さん。
私のおばあちゃん。
私の父は、身勝手で嘘つきで最低の人間でした。
そして、父は親戚中から勘当され実家を出ました。
もちろん私や母、兄も一緒に。
私は、父が大好きでした。
しかし、父は私を裏切りました。
母はそんな父に嫌気がさし離婚しました。
悪いのは全て父。
おばあちゃんは、1人実家に残されました。
でも、父にはお姉ちゃん(私にとってはおばさん)がいたので
おばさんがおばあちゃんの面倒を見ていたようです。
兄は、おばあちゃんと内緒で連絡を取っていたようです。
私は、高校の時におばあちゃんと5年ぶりに再会しました。
私と兄は、たまにおばあちゃんと買い物に出かけたり
食事をしたりしていました。
しかし、おばあちゃんはちょっとした段差で転んでしまい
足を骨折してしまいました。
それから、おばあちゃんとの連絡が途絶えてしまいました。
それから何か月経ったのだろう?
年末の大掃除をしていた時おばあちゃんから電話が。
大慌てで出たら
「すず。おばあちゃんだよ。元気かい?
おばあちゃんね、今施設にいるんだ。
6畳くらいの小さな部屋。寂しい。」と、泣きながら電話をくれました。
でも、あと少しで年越し・・・。
会いたいけどおばあちゃんはパニックをおこしていて
施設の名前が分かりませんでした。
こっちも会いに行きたくてもどうしようもありませんでした。
しばらくして、私からおばあちゃんに電話して
施設の名前を聞き
おばあちゃんに会いに行きました。
おばあちゃん、泣いてました。
寂しかったんでしょうね。
私も心が痛かった。
しかし、おばさんは私たち家族を露骨に嫌いました。
母が言うには
「お父さんが、家を出る時みんなの前で
今後一切実家には近づきません。」という紙を書いたそうです。
だから、私はおばさんがいない時に連絡して
おばあちゃんに会いに行きました。
おばあちゃんに会いに行くときは必ず手紙を書いていきました。
いつもおばあちゃんは喜んでくれました。
施設の方から聞いた話によると
おばあちゃんは、1日に1回は私があげた手紙を読み返していたそうなんです。
私は、涙が出ました。
「寂しいよね」って。
そして、おばあちゃんは「乳がん」を発症しました。
胸を全て摘出しました。
癌は、ジワジワとおばあちゃんを飲み込んでいきました。
癌が転移したのです。
脇の下に。
癌を摘出して痩せ細ったおばあちゃんを見るのが辛かった。
しかし、おばあちゃんはいつも笑顔だった。
私は、「いつでもおばあちゃんと一緒だよ」という意味で
施設の玄関先で写真を撮りました。
私も、とびっきりの笑顔で笑いました。
それを可愛いピンクの額に入れていつでも
見えるところに置いてあげました。
「寂しくなったらこれを見て、すずが近くにいる。って
思ってね」って。そんなありきたりな言葉しか出ませんでした。
だって我慢しないと涙が出そうなんですもの。
帰りの車の中で泣きました。
次から次へと涙が込み上げてくるんですもの。
おばあちゃんが長期入院していたので
施設から出て下さい。
という、通知が来たそうです。
そして今日、新しい施設に引っ越したそうです。
おばさんたちが
「すずに、前の施設にはいない事を連絡しておいてね」と、
言ったらしいです。
おばあちゃんは、電話の最後に
「すずと一緒に撮った写真いつも見て
頑張ろう!って、思ってんだ。でもね、写真見ると
すずに会いたくなるんだ。
おばあちゃん、涙が出るんだ。寂しいなーって。
でも、おばあちゃんがんばっから!
すずも頑張れ。
でも、すずに会いたいな。会いたい・・・。」
そして、電話が切れました。
私も、会いたいよ。また、一緒に買い物行こうよ!
ご飯食べに行こうよ!私だっておばあちゃんに会いたいよ!
おばあちゃん、いつか必ず会いに行くから。
元気でいてね!
そして、親戚の間がうまくいっていないのもまた辛い話。
せめて今やりたいことはやりたいようにやるしかない。
私も大好きなママが、ついさっき「わかった」って返事してくれたばかりなのに
また同じ質問を1秒も経たない内にしてくるようになってきちゃって、とても辛い。
少しでも笑顔でいてくれる時間が多くなればいいのかな・・・