Nicotto Town



アスパシオンの弟子47 幕間 白の契約(前編)

 (今回はヒアキントス視点のお話です)



  蒼く澄んだ湖上。

 透き通った湖水の上を、一艘の小舟が進みゆく。

 船頭はいない。

 白い衣の男がひとり、船の上に立つ。

 燦然と輝く杖を掲げながら。


「あ……」

 その日。岩窟の寺院の岩舞台へ至る階段の踊り場に、「その方」はひとり佇んでおられました。

 蒼き衣まとう幼い私は、風編みをなさっているお師さまをその踊り場でお出迎えしようと、

岩の階段を昇ってきたところでした。

 そこは登り段の途中にあるちいさな洞窟のような穴で、壁一面に壁画が描かれています。

 中でもとりわけ美しいのは、白い衣の導師の絵。

 湖上を渡る一艘の小船に乗ったその導師は、銀の杖を燦然と掲げています。

 スラリと背の高いその方は、その壁画をじっと眺めておいででした。

 その方は私の気配に気づかれて、壁画を背にして微笑を投げかけてこられました。 

 私を捉えたのは、深い紫紺の瞳。

 鼻筋の通った横顔はとても端正で、肌の白さは白磁の陶器のよう。

 流れるような長い銀の髪に気圧された私は、黙って場の隅に寄りました。

 その方のまなざしはとても不思議で、見つめているとひゅるんと紫の瞳の中に吸い込まれて

しまいそうでした。

「|業師《わざし》のルデルフェリオ様は、よき導師であられましたね」

 私は頭を深く下げました。

「ご、ご弔問ありがとうございます」

 ルデルフェリオ様はつい数日前に、お亡くなりになられたばかりでした。

 客人は夜明けと共に船で渡ってこられたのでしょうか。白の絹地に銀糸の刺繍がびっしり

入った上着に、膝でリボンを結んだふっくらしたキュロットを履いておられ、あたかも

西国の貴公子のようでした。

 ほわっと甘くかぐわしい香りが私の体を包みました。

 甘い、甘い、花のような。果物のような……。

「かわいい方ですね」

「はい?」

 気づけばその方のお顔がすぐそこで、薔薇色の唇が私の口に触れかけていました。 

「さ、最長老様をお呼びします」

 私はあわててあとずさり、ぶるぶると頭を振りながら 岩の舞台へと登りました。

 ちょうど導師様方の風編みの歌が終わったところでした。

 先頭のカラウカス様。その後ろに続いてこられる長老様方。そして、我が師やほかの導師様たち。

序列の順にやって来られる黒き衣の方々の列は、朝日を浴びて神々しく輝いておりました。

 ここまでわざわざ師を迎えにくるとは殊勝なことだ、と、最長老さまは私を優しくお褒めに

なったので、何事か? と眉をひそめた我が師のお顔が和らぎました。

 カラウカス様は、すぐに踊り場へ行かれたのですが。

「おや。誰もおられぬな」

 すでに銀髪の御仁のお姿はありませんでした。その場にはまだ、あのくらくらする甘い香りが

かすかに残っていました。

 カラウカス様は私の説明をお聞きになると、一瞬困惑のお色を貌に浮かべられました。

誰がいらっしゃったのか、七つの鍵持つ寺院の主人はすぐにお解りになられたようでした。

「ごくろうだった、ミストラスのメル」

 最長老様は私の頭に優しく手をお載せになりました。

「そのお方は、壁画の中に帰っていかれたようだ」

「はい?」

――「メル! おいで」

 いらいらと我が師がお呼びになりましたので、私は急いで寺院の長の御前から辞しました。

「申し訳ありませんお師様」

 我が師は私の腕をきつく掴み、並んで岩の階段を降りられました。

「他の導師となれなれしくしてはならぬ。とくにあのスメルニアの狸は用心しなさい」

「はい、ご心配をおかけしてすみません」 

「おまえが心配でたまらぬ」

 大丈夫です、と私は務めて明るく答えました。

「また誰ぞに苛められたのでは?」

「いいえ」

 私はそっと蒼き衣の袖を降ろして、すり傷を隠しました。

 厳しい視線の先をそらすため、氷結の韻律の編み方をお伺いしますと、我が師は嬉しそうに

語り始めました。

「音波によって分子波動を抑える方法はいくつかあるが、そのひとつは――」

――「うぉあああああああ! まったく何でおいらが! お迎えいかなきゃなんないんだよぅ!」

 そのとき。長い回廊を、まっ白な毛玉が猛然と駆け抜けていきました。

 私達の黒と蒼の衣のすそがブワリと巻きあがり、顔につかんばかりの勢いで。

「なんだあれは」

 あれは……最長老様の使い魔ウサギ?

 末の弟子のハヤトが、風編みを終えた師のお迎えに行けなくなったのでしょうか。しかし大遅刻もよいところです。

 ふと見ると。すぐそこの中庭でごそごそしている人影が見えます。

 あれは……

「最長老の弟子どもか?」

 ハヤトにエリク。二人ともあそこで何を?

 ハヤトがため息をつきながら床からかき集めて箱に突っ込んでいるのは……

 札遊びの札?

「なんという堕落か!」

 たちまち我が師は鼻白み、朝っぱらから遊んでいる二人の弟子を叱ろうと中庭へ入られました。

――「ちょっと今のないよ。エリク、仕切り直して」

「なんでだよ」」

「六翼の女王と竜王の『大決戦』の模擬戦だよ? 実際の用兵を再現してんだよ? なのになんで、こんな札が俺の山札に紛れ込んでるの?」

 ハヤトが口を尖らせて一面蒼い札を兄弟子につきつけています。

「うわ、蒼鹿アリンじゃん」


――「!!!!」


 そのとたん。我が師は蒼ざめ、金縛りを受けたかのように硬直なさいました。

 私は慌てて、氷の彫像のごとき我が師の体を支えました。

「エリク、俺の札山に積み込んだでしょ?」

「うっそぉ、俺がそんなズルするわけないじゃんか。ハヤトが自分で間違って入れたんだろ。

ゲームぶちこわすゴミ札なんて、いくら何でも入れないわ」

「まるっきりコレクター用の札だよ、これ。引いた奴は金獅子に食われて即敗北。この場に

鹿をくらって暴走した金獅子が場に強制召喚されて、対戦相手も大ダメージ喰らって対戦終了、

勝利者は金獅子……って、何の意味があるの?」

「全っ然意味ねえよなー。金獅子持ってるプレーヤーに、なんかメリット付加されるなら

ともかくよぉ」

「箱の底に置いといたのに、まぎれるはずないよ。エリクが入れたんだろ?」

「いやいや、違うってー」

 私も我が師も、ラ・レジェンデの札遊びは大嫌いです。

 あの札は金獅子家が統べる北州で作られて、大陸中に広められたもの。

ゆえに「蒼鹿を食べると金獅子が大陸最強になる」という、ひどい設定がつけられているのです。

 むろんアリンの札はその無茶苦茶な設定ゆえに、決してゲームで使われることはありません。

 哀れな蒼鹿の定位置は、いつも箱の底。

「エリクがやったんだろ? それとも蒼鹿がひとりで動いて、俺の山札に入ってきたとでも?」

「あぁなぁたに~♪ 食べーられたーくて~♪ 食べーらーれーたーくて~♪」

「やまふーだーにー♪ 駆けーこーんだーのぉ~♪ って、んなわけあるかー!」

「ぎゃはははは!」


 札遊びに流行り歌。

 我々蒼鹿家はこうやってあらゆるところで、金獅子家に貶められつづけているのです。

 哀しいことに。

 

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2015/08/07 20:59
蒼鹿家
リベンジの時はいつ
あるいは金獅子化して同じことをするとか
……
アバター
2015/06/15 23:33
蒼鹿家の眼前でやりたい放題w
アバター
2015/05/31 11:12
このお2人さんは、平和の時からこんな関係かな?

困った関係です。




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