アスパシオンの弟子47 幕間 白の契約(中編)
- カテゴリ:自作小説
- 2015/05/31 11:19:05
私は目を見開いたまま固まっている我が師を引っ張り、なんとか小食堂へお運びしました。
「お師さま、神獣戦争なんてもう何千年も過去のことです。神獣などすでに使われない時代
なのですから、あのようなものは、本当にただの遊びで……ああお師さま、しっかり
なさって下さい」
氷結した我が師が溶けたのは、私が気つけのワインをなんとかその御口に注いだ時でした。
「白鷹の私生児ごときに、我ら蒼鹿家が貶められるとは口惜しくてならぬ」
いまだ能面のごとき我が師は、切々と訴えになられました。
「いつの日か蒼鹿家に、大陸最強の神獣を保有させることができれば……」
我が師の悲愴なお貌に、私は我が身が裂けそうな思いでした。
私もひと世代上の我が師も、蒼鹿家本家筋にとても近しい親族。
我が本家の歴史の真実を幼い頃より教えられています。
蒼鹿アリンが金獅子家のレヴツラータに敗れたのは、たしかに事実。
鹿は果敢に戦い、力及ばず砕かれました。
その結果、蒼鹿家が統べていた州は半分以上、金獅子家に奪われました。
しかし金獅子家はそれだけでは飽きたらず、いまだにアリンを保有していた蒼鹿家の
評判を地に落としつづけているのです。
鹿が獅子に恋をしたなど。
一撃で倒されたなど。
よりによって牝鹿であったなど。
みな、真っ赤な嘘っぱちです。
しかしアリンのおかげで私達は世間から馬鹿にされ続けているのです。
蒼鹿家出身者が寺院でなかなか長老位につけぬのも。五つの大公家の中で一番勢力が弱く、
大陸会議ではほとんど発言力を持っていないのも。みな、金獅子家の画策によるものです。
金獅子家は、由緒ある蒼鹿家をつぶそうと必死なのです。
神獣の時代以前から存続し、金獅子家よりもはるかに長い血統を誇る、
北五州で一番高貴な家を。
金獅子家の者どもは、寺院でも容赦ありませんでした。少しでも弱みを見せれば、北五州の
他の大公家に関わる師弟も容赦なく便乗してきました。
権謀術数はむろんのこと、実際に恐ろしい呪いも幾度となく飛ばされてきます。
私は四六時中、金獅子家後見レクサリオン様の弟子から、ラ・レジェンデの札遊びをしよう
と誘われました。むろんそれは、蒼鹿家出身の私の眼前でアリンを笑い者にするためでした。
断ると、待ち伏せされて暴力を受けました。その子は取り巻きを大勢持っていて、私が
逃げられぬように人垣を作らせるのでした。
私と一緒にメキド出身のオラトという子もよく苛められていましたが、彼は果敢にもいつも
言い返していました。
「金獅子の力を傘に着てるようだけど、あんなの最強でもなんでもない。
竜王こそ大陸一の神獣だ!」
「ふん、何を言う。お前の国の蛇よりは強いぜ」
「僕の国のガルジューナは竜王の恋人だった。危機に陥れば必ず竜王が助けにきたんだぞ」
他力本願じゃないかと金獅子家の弟子はせせら笑いましたが、オラトは胸を張りました。
「それだけ竜王に見込まれてたってことさ」
しかしオラトは、ほどなく事故に見舞われて死にました。階段からの転落死でした。
金獅子家に呪い殺された。
公にはなりませんでしたが、だれもがそう信じて影で噂しました。
私は沈黙していじめに耐えました。はむかえば、攻撃がさらにいや増すと悟ったからです。
どんなことをしても生き延びる。
それが、我が心に決めた確たる抵抗でした。
私が「その方」にまたお会いしたのは、最長老カラウカス様のご葬儀の時でした。
金獅子家のレクサリオン様がかの方を陥れ、皆に呪い殺させたのです。
最長老の弟子たちのひとりは追放となり、もうひとりはレクサリオンの預かりとなりました。
長老達は何くわぬ顔で最長老の死因を病死と公表し、ひと通りの葬儀を執り行いました。
導師様たちが岩舞台で弔歌を歌い終わられた時、私は我が師をお迎えに階段を登りました。
階段の途中で私は驚いて止まりました。壁画のある踊り場に「その方」の姿を見つけたからでした。
あの、白い衣の導師の壁画の前に。
不思議なことに、お姿は十数年前と寸分変わらず若々しいまま。
あの時と同じ、白地に銀糸の上着を着ておられ、甘くかぐわしい芳香を漂わせておられました。
「最長老カラウカス様は、よき導師であられましたね」
私は黙って頭を深く下げました。
「お悔やみをありがとうございます」
銀髪の御仁は以前と同じように、お優しく微笑まれました。
「新しい最長老様にご来訪をお伝えします。そのまましばらくお待ちください」
「いえ。よいのです」
「いいえ、どうかお待ちください」
私は岩舞台から降りられてきたレクサリオン様に、事の次第をお伝えしました。
踊り場に案内してみれば。「その方」はまた、すでに姿を消されておられました。
新しい最長老様も私の説明をお聞きになると、困惑されました。
誰がいらっしゃったのかすぐにお解りになられたようで、かつてカラウカス様が
おっしゃられたのとまったく同じことをつぶやかれました。
「その方は、壁画の中に戻っていったのであろう」
銀の髪のあの方は、一体誰なのか。
皆目解らぬまま、月日が流れていきました。
金獅子家のレクサリオン様の御世になられると、私たち蒼鹿家への風当たりはいっそう
強くなりました。
我が師は私や下の弟子たちを極力護って下さり、レクサリオン様に幾日も掛け合って、
なんとか私を導師にして下さいました。
その対価として、膨大な貢物と領土が蒼鹿家から金獅子家に贈られました。
私は反対しましたが、師はこれでよいのだと譲らず、黒き衣をまとった私の姿を眺めて、
大変喜んでおられました。
しかし心労からか師はお倒れになり……急激にお体を悪くされて、臥せがちの毎日を
送られるようになられました。
『最弱アリンの家のくせに』
金獅子家の最長老の決定にもかかわらず、私が導師になったのを気に入らない者たちは
かなりいました。師や私の部屋には、毎日たくさんの呪いの波動が黒い式神となってやってきました。
私の弟弟子たちは日に何度も、師の部屋から悪しきものを追い払わねなりませんでした。
とある日。弟弟子たちは二人とも、手足に大火傷を負いました。
放たれる呪いの矛先が、ついに弟子の二人にも向けられたのです。
レクサリオンは弟子達が寺院に放火したという不祥事をでっちあげ、寺院から追放しました。
私は鍾乳洞に置き去りにされた弟子たちを助け出し、こっそり小船に乗せて逃しました。
黒き衣を返上したい。
私は幾度も、師に相談しました。そうすれば、私たちへの攻撃は止むでしょう。
しかし我が師は、それはだめだと頑固に拒みました。
「ヒアキントス、おまえの魔力は寺院随一だ。これほど優秀な者が黒き衣をまとわずなんとする?」
我が師は黒き衣をまとった私を誇らしげにご覧になられ、優しく手を握ってこられるのでした。
「おまえにならできる。我らが蒼鹿家に、いつの日か最強の神獣を持たせることが。我らが家の名誉を回復させることが」
最強系譜出身の道士はいったいなにをするのか……
時の権力者が都合よく歴史を作り変えようと言うのは世の常なんですね。
コメントをありがとうございます。
出自や血筋ですべてが決まる、家柄が良くないと差別される。
北五州の人はとくにそんな傾向が強いようです。
そんなの関係ない!というような世界になればいいですよね。
そんなものが何時の時代も通用はしなと思いたいのですけれどね・・・。