口づけ (前編) (自作6月/さくらんぼ)
- カテゴリ:自作小説
- 2015/06/30 16:38:51
のんびりと天空の島に住んでいる二人のお話です。 登場人物 レク:見た目十二才ぐらいのメニスのボクっ子。レナンに変若玉(オチダマ)を飲ませて不死身の魔人にした。 レナン:かつて黒き衣の導師だった。今はレクの保護者兼恋人。
天を仰ぐ。
雲海の上に広がる青空はとても澄んで蒼い。
まぶしさに思わず目をすがめる。
初夏の陽ざしがかなりきつい。
ここは高度二万フィート、天上に浮かぶ島だから、太陽の光が直接降り注いでくる。
黒い衣を着ているのでかなりの暑さだ。
「レナー」
私の子が庭の方から手を振って走り寄ってくる。
私の子はかわいい。
誰もが言うが、本当にかわいい。
見た目十二才、長い銀髪。紫の瞳。華奢な女の子体型。
容姿だけでも相当に萌えるのだが、
「レナ! ごはん作った!」
最近下界へ行った折に、「パン焼き」なるモノを覚えてきた。
「焼きたてだよ。食べて。ねえ食べて」
普通よりかなり黒い気がするパン。そこはそれ、かまどの火ならぬ愛情の火が強すぎたんだろうと
強引に脳内変換して、覚悟を決めて籠から手に取る。
「どう? どう?」
「表面を剥けば食べられる。昨日のよりいいね」
「ほんと? わあ、やった」
ここ数日、私の子は朝早くから一所懸命粉をこねてパンを焼いている。
味見をするのが最近の私の仕事だ。
焦げ臭い味のパンを頬ばりながら、白い頬についているかまどの煤を親指で拭いてやる。
無邪気な笑顔がはじける。
おねだり通りに、庭にどんとレンガのかまどを作ってやった甲斐があった。
試行錯誤して何度も作り直して大変だったが、こんな笑顔が見られるのだから苦労が報われた
感でいっぱいだ。
「でも、メティが焼くパンには、まだまだ程遠いなぁ」
メティ?
ああ……また、メティか。
先日大変喜ばしく大変いい気味でざまあみろなことに、旧知の厄介者カンナ・ジルのところに
嫁が来たのだが、その新妻がかなりできた娘だった。
月一でトオヤ族の街に降りる私の子は、毎回カンナの新居に寄って「素敵なお嫁さん」に
会うのを楽しみにしている。
「メティがね、教えてくれたんだよ」
始めはちょっとした繕い物なるものをレクチャーされてきて、私の黒衣のほつれを直す
つもりが……さらに大穴を開けた。
「メティがね、教えてくれたんだよ」
次の月には、糸紡ぎなるものをレクチャーされてきて、紡ぎ針で指を刺して大さわぎだった。
「メティがね、教えてくれたんだよ」
さらに次の月には編み物なるものをレクチャーされてきて、私に襟巻を編むと宣言して、
結局手首に巻けるか巻けないかぐらいの包帯ができた。
つまり。
「パン焼きも、メティが教えてくれたのか?」
「うん! なんとか基本のパンができたから、今度はいよいよパイ生地に挑戦するっ」
ぐっと拳を握りしめて気合を入れる私の子。顔が恐ろしく真剣だ。
「パイ生地? パイを焼きたいのか」
「うん!」
目を輝かせて言われても。
レク。
君に、で き る の か?
「大丈夫!」
私の子は屈託なく答え、びろっと立派な羊皮紙の巻物を広げて私につきつけた。
「レシピ、ここの記録箱でみっちり調べたから」
なるほど、分かりやすく|図解《イラスト》入りか。材料の分量もちゃんと書いてある。
何のパイだ? りんごだろうか。うむ、そうに決まってるな。
私の子はりんごが大好物だから――ん?
りんごにしては粒が小さいものが大量に、完成予定図のパイのてっぺんに描かれている。
これは、さくらんぼか?
「うん、メティがね、大好きなんだよ」
ちょっと待て。ひょっとして。
「できあがったらね、メティに食べてもらうの」
なんだって?
「メティはね、夏に食べるさくらんぼのパイが大好きなの。喜んでくれるといいなぁ」
……。
とりあえず、深呼吸する。ずきずきと痛む我が胸をさりげなく撫でて宥める。
怒っては、いけない。嫉妬など、みっともない。
この数十年間で、なんとか免疫をつけてきたはずだ。
月一でしつこくやってきた腹黒覇王とか。目が見えない赤毛の捨て子とか。
私の子に取り憑いた大陸最強レベルの害虫どもにくらぶれば、ごくごく一般人である人妻など
余裕だ。月とすっぽん、比較にならない。
私の子は、ただ単に珍しがってるだけだ。そうに違いない。
なにせ、「お嫁さん」だ。おめでたい新妻だ。カンナ・ジルの結婚式が実にすばらしく
感動的で夢のごとき光景だったせいで、絶対的な憧れを持ったことがそもそもの原因だ。
そう、私の子は単に「お嫁さん」を、希少価値のある珍しい生物だと思っているだけだ。
動物園の目玉珍獣である、白熊や紅獅子や骸骨竜を見に行く子どもとおんなじだ。
だから落ち着け、私。
まあたしかにあの結婚式の折、棺おけに両足突っ込んだような顔の新郎はともかく、
十六歳の新婦は非常に清楚で慈愛に満ちた顔をしており、まさしく女神のごとき美しさだった
のは認めよう。
私の子より格段に落ちるが、美少女の範疇に入る顔立ち。
才色兼備で狩りも家事も完璧。気立てもすこぶるいい。
私の子がたちまちなついてしまったのは、当然といえば当然だ。
この子は、優しい母親の愛を知らないから……
「さくらんぼの木ってうちの果樹園にあったよね」
「二、三本あったように思う」
「だよね。絶対、すごいの作ってみせる!」
すごいのって……。形容詞が不穏だ。
なんだろう、この気合の入れ方は。ちょっと尋常ではない。
不安を呑み込む。こげた味のパンと一緒に。
気のせい。これは、絶対に気のせいだ。
天空の島の果樹園はドーム型の温室で、さほど手入れをしなくともいろんな種類の果実が
たわわに実っている。
温度管理、光合成促進の光量調整、灌漑、剪定などの諸作業はすべて自動機械で行われるので、
私たちが手をかける必要は全くない。常時なにがしか旬の果実が実るよう設計されており、
私たちの食卓は一年中豊かだ。
庭園に植えられている金のりんごの木は例外で、これだけは私の子が一所懸命毎日手入れしている。
本日、私の子はその愛してやまないりんごの木を素通りして温室に入り、さくらんぼの木を探した。
さっそく見つけるや、満面の笑顔。
ちょうど旬の時期と合うように収穫できるよう設計されているものだから、木には赤い実が
鈴なりに成っていた。
私の子は脚立の上で背伸びをして、鼻歌交じりにさくらんぼを籠いっぱいに採取。
それから庭のかまどの前に置いた作業台でバターを入れ込んだ粉をこねまわし、氷水や牛乳を
加えて、一所懸命パイの生地を作り始めた。
ただ材料を混ぜればよいというものではないようで、めん棒でのばして三つ折りにしてから
しばし時間を置く、という作業を何度も繰り返した。生地がなじむのを待つ間には作業台に
頬杖をつき、生地やさくらんぼに向かって呪文のように何度も何度も唱えていた。
「おいしくなってね。すごーく、おいしくなってね。大陸一、おいしいパイになってね。
メティが喜びますように。メティがびっくりして、あっという間に全部食べちゃいますように」
ほんわかとした独特の雰囲気がありますね^^
おいしくなぁれ、萌え萌えキュン♪