Nicotto Town



口づけ  (中編) (自作6月/さくらんぼ)

さくらんぼは丁寧にひとつひとつ種とヘタを取られ、さっと砂糖とワインとで混ぜられて、

赤い鋼玉のようだ。

「レク、がんばってるね」

 私がおそるおそる声をかけると、私の子はグッと真剣な表情で拳を握って気合を入れた。

「うん! メティに、絶対おいしいパイをあげるんだ!」

 ……。

 気づかれないように離れてから深呼吸する。ずきずきと痛む我が胸をさりげなく撫でて宥める。

 怒っては、いけない。嫉妬など、みっともない。

 そのパイ生地を地べたに落としてやりたいとか、さくらんぼを全部食べ尽くしてやりたいとか、

そんな子どもじみた考えなど、露ほども抱いてはいけない。

 作業の邪魔をするべく、寝室に連れ込む力技を今すぐかましたい気がむくむくと湧いてくるが――


 自重しろ、私。


 私は分別ある大人だ。この子の伴侶になって何年経った? 

 たかだか十六歳の「お嫁さん」という珍獣に対して、何を動揺している?

 不安など、杞憂にすぎぬ。

 近いうちに確実に、物珍しさは常態となるはず。

 私の子があの珍獣に対して抱いている関心など、じきに薄れてなくなるだろう。

 そう、近いうちに――

 たぶん一年もすればメティはカンナ・ジルの子を身ごもるだろうから、私の子の関心はメティのお腹の中にいる奴に移行す――

 ってそれではだめだ。赤ん坊だと? しかもカンナ・ジルの子?

 長年レクの中に住み着いていて、その体を支配したことすらあるあのカンナの?

 ようやく人間に生まれ変わって独り立ちしたと思ったら、ことあるごとにレクレクと

すがってくるあのカンナの? 

 つまり、レクの分身の子ども?

 ……。

 ……。

 ……だめだ。およそ勝てる気がしない。

 かわいい赤ん坊といい年した男。どう考えても、勝負にならない。

 赤ん坊が男の子でも女の子でもどちらでも、私の子は狂喜するに違いない。

 なにせ、かつて私に黙って捨て子をこっそり拾って、隠れて育てていた前科がある。


『ボクの子どもだよ。認知して』

 

 さらりと言われたあの衝撃の瞬間を思い出すと、今でも気が遠のく――。

『……親御さんに返してきなさい』

『この子、捨て子だよ? 砂漠の国の、スラムのはじっこで拾ったの』

『所有の印がついている。これをたどれば誰の子かわかる』

『やだ、ボクが育てる』

『レク、赤ん坊は仔猫や仔犬じゃないんだよ』

『やだ! やだ!』

 無理やり赤子を本来在るべきところに返したら、私の子は泣きじゃくって私を罵り、家出した。

 宥めすかして連れ戻してなんとか仲直りしたものの、今でもあの捨て子には未練たらたらで、

天からひそかに見守っては一喜一憂している。

 こんな調子なのだから、もしカンナ・ジルに子ができたら……

 最低でも名付け親になるとか、最悪だと養子にするとか、言い出すに決まっている。

 な ん と い う こ と だ……。

「どうしたのレナ、頭抱えてしゃがみこんで。頭いたいの?」

「い、いや。なんでもない。大丈夫だ」

 レク。私は君と二人きりで、平穏に暮らしたい。誰にも邪魔されずに。

 ただそれだけが、望みなのに――。

「レナ、かまどに火を入れてくれない?」

「あ、ああ」

 よろよろ立ち上がり、かまどに火を入れてやると。

 私の子は嬉々として、整形してさくらんぼをのせたパイ生地を窯にそっと投入した。

 たちまち鼻をつく、香ばしくおいしそうな香り。

「どうか、うまくいきますようにっ」

 どうか、消し炭に――。いや、だめだ。そんなことを願っては。

 沸き起こる自己嫌悪。

 頼むレク。私のレク。どうかそいつを……焦がしてくれ。



 その日の夕方、私の子はいそいそと鉄の竜ロンティエに乗り下界へ降りた。

 焼きたてのさくらんぼのパイと生のさくらんぼを入れた籠を、後生大事に抱えながら。

 かまどの神は奇跡を与えたもうて、私の子にこの上ない喜びを与えたのである。

 そう、私にとっては無情なことに、でき上がったのだ。焦げていない、まったく黒くない、

ごくごく普通の、さくらんぼのパイが。

「メティー!」

 はじける笑顔の私の子は、ロンティエから降り立つなりカンナ・ジルの家へ走った。

 ああ、危ない。雨上がりのトオヤの街。発展途上のこの街は、道路という道路に石畳を

敷いている最中で、そこかしこにでこぼこの水溜りがある。

 レク、そんなに勢いよく走ったら――

「きゃああああ!」

 やっぱり。見事に水溜りにはまり、滑ってすっころぶ私の子。

 宙に舞い上がるパイ入りの籠。

 私の子の目の前で、大きな水溜りめがけて籠が落下していく。

 このまま落ちれば……あれがダメになれば……。

 醜い願望が一瞬心をよぎる――。

「いやああああ!」

 哀しい悲鳴に、私はハッと我に返った。

 籠が実にゆっくりと落ちていくように見える。

 その一瞬で私は悟った。

 

 私の子は、一所懸命作ったのだ。精魂込めて作ったのだ。

 私のためではなく他の奴のためだが、それでも真心を込めて作ったのだ。

 その努力を水泡に帰する? 泥水だらけにする?

 だめだ、そんなことは。絶対だめだ――!


 気づけば。我が腕は前方に伸びており。体は勢いよく跳躍しており。前方の水溜りに

着地しようとしていた。

 ざぶりと水しぶきが上がる。滑り込んだ水溜りは、意外に深い。一瞬でずぶぬれだ。

 けれども。

「落とすものか!」

 私はしっかり受け止めた。パイの入った籠を。

 腕になんとか収まったそれを大事に掲げ、後ろを振り向く。

 私の子が、目を見開いて私を見つめている。

「パイは無事だよ、レク」

 せいいっぱい微笑んでやる。たちまち、私の子の表情がたまらなくかわいらしいものになる。

 私に対する賛辞と尊敬と。愛情あふれるまなざし。

「レナ……! ボクのレナ! すごい! ありがとう!」

 レク。私のレク。君の泣き顔を見なくて済んで、本当によかった。

「レナ、最高! 大好き!!」 

 レク、今、君の瞳には唯一人――私しか映っていない。私しか、見つめていない。

 私は悟った。

 おのれが大いなる勝利を手にしたことを。

 



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2015/07/05 18:49
微笑ましい結末ですね^^
アバター
2015/07/02 21:17
続く ってことは 何かまだある?
アバター
2015/06/30 20:24
勝利したかな?




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