Nicotto Town



口づけ  (後編) (自作6月/さくらんぼ)

 泥水まみれになった私たちは、カンナ・ジルの嫁からびっくり顔で迎えられ、浴室で

湯をもらった。

 私の子はまるで英雄でも見る目つきでうっとり私を眺めながら、私の背中を流してくれ、

小さな手で一所懸命私の髪を洗ってくれた。

 他人様の家の浴室なので「自重」せねばならなかったのが大変辛かったが、楽しみは

家に帰ってからにとっておこうと何とか我慢した。

 風呂からあがるとすでに茶が入れられていて、私の子が作ったパイが主役よろしく、

卓のど真ん中に堂々と鎮座していた。

「素晴らしいわ。さくらんぼがとってもきれい。初物かしら? もう市場に出ているの?」

「ううん、ボクんちの果樹園に成ったのを取ってきたの」

「まあすてき。ありがとうレク」

 幸いカンナ・ジルは父親と一緒に役場で書類の山と格闘しているらしく、家にはいなかった。

くそったれな奴の顔を見ないで済んだのは、なにげに僥倖だ。

 カンナの嫁は私の子が作ったパイを褒めちぎり、ひと口かじってほっぺたが落ちそうだと

述べてくれた。

 素人の作ったごく普通のものをずいぶんと持ち上げてくれて、私は彼女に深く感謝した。

やはりこの嫁はできがいい。

 しかし私の子はそわそわして、お嫁さんをチラチラ見ていた。何か気になることでもあるかのように。

カンナの嫁が席を立って厨房に皿を下げると、私の子は生のさくらんぼの入った籠を抱え、

彼女にちょこちょこついていった。

「あの、あの、メティ。約束、覚えてる?」

 そんな声が聞こえてきたので、私は眉根を寄せた。約束、だと?

 思わず腰を浮かして席を立ち、厨房へ近づいて耳をそばだてる。 

「約束?」

「夏になって、さくらんぼのパイを食べる時がきたら教えてくれるって」

「あ、ええとたしか……キスが上手になるおまじないだったかしら?」

 な……んだと?!

「うん、それ! 教えて。今すぐ教えて。だからボク、夏になってメティが作ってくれるの

待ちきれなくて自分でパイ作ってきたの。籠の中に生のさくらんぼ、いっぱい入れてきたの。

さくらんぼをつかうんでしょ?」

 私の子は籠の中からさくらんぼを取り、カンナの嫁に渡した。

 嫁は茎つきのままさくらんぼをもぐもぐ。私の子も、さくらんぼを口に放り込んでもぐもぐ。

「ええとね、舌で茎を丸めるようにするのよ」「ふにゅ?」

「舌を縦にして、軸を犬歯に引っ掛けるの」「ほにゅ?」

「歯の裏に押し当てて、輪に通してみて」「うにゅうう!?」

 カンナの嫁は手のひらに、ぷっとさくらんぼの茎を出して見せた。なんとその茎は

くるくる丸まって、きれいな結び目になっていた。

 なんと器用な舌なのだろうか。

 しかしこれが、おまじない?

「始めはなかなかできないと思うけれど。できるようになったら、キスがとっても上手に

なるって言われてるわ」

 なるほど。確かにこんな芸当が出来るぐらいの舌なら、口づけどころか……。

 いやその。やはりカンナ・ジルにはもったいなさすぎる嫁だ。

「じぇ、じぇったいできるように、がんばる!」

 私の子は口の中でふがふがとさくらんぼの茎を転がした。

「い、いつもね、レナからばっかりれね、ボクの方からはね、その……さっぱりで、

ごめんなさいらから。ふがごご」

 レク? 大丈夫か? 喉に詰まらせたんじゃないか?

「ごふっ。だからね、口づけ上手になってね、レナに喜んでもらうの」

 私の子は口に人さし指を当ててカンナの嫁に懇願した。

「あのね、いまの、ないしょね? レナにはないしょね?」

 嫁がうなずいて微笑むと、私の子は彼女の両手をぎゅうと握った。

「メティ、ありがとう。ほんとにいつもありがとう。おかげでボク、レナに、ちょっとだけ

お嫁さんらしいことできるようになった。また教えて。いっぱいいっぱい教えて」

「もちろんよ、レク。こちらこそ、パイを本当にありがとう」

 まさかレク。

 カンナの嫁にずっと張りついてたのは……

 繕い物やパン焼きを教えてもらったのは……

 単に「お嫁さん」がもの珍しいからではなくて……

 ああ。

 私の子は、ほとんど母親を覚えていないから。

 今までだれも、家事なんて教える人がいなかったから。

 だから……

 私は二人に気づかれぬよう忍び足で卓へ戻り、目尻にじわじわ滲んでくるものを拭いながら、

さくらんぼのパイにかじりついた。

 口の中に甘酸っぱい味が広がる。

 レク。私のレク。とてもおいしい。これは、文句なしに世界で一番。

 最高のパイだ。




「あの、レク」

 こうして私はこの上もなく幸せな気持ちで天の島に帰ったのだが。

「んー? んー?」

「いいかげんに、さくらんぼの茎を口から出しなさい」

「んー……」

 眼の前にはさくらんぼが山のように盛られた籠と困った顔の私の子。

 茎を口の中で結ぶ芸当は相当に難しいらしい。カンナ・ジルのところから帰ってきてからこっち、

ずっとさくらんぼばかり食べて挑戦しているのだが、なかなかできない。

 しびれをきらして、顎をくいと支えて口づけしてやろうとしても。

「だめ! 口の中に入ってるから」

 拒否してくる。

「もう少し待って。もう少し。これ、できたらね」 

 これはもしかして。口の中で結び目ができるまで口づけはお預け、なのか?

 レク、その真剣な表情とけなげな努力はとても嬉しいが。

 あれから三日も口づけひとつない超ストイックな生活とか、それはちょっと……

 途方にくれて夏の空を仰ぐ。

 天が近いこの島では、太陽も月も星もとても近くに見える。

 しかしこの夏の太陽はいつも思うがまぶしすぎる。

 肌を刺す陽光。ひたいに浮かぶ汗。じっと待っているだけだと、いらいらが募る。

 ダメだと思いつつも、私は一所懸命口をもぐもぐさせている子の肩をつかんでしまった。

「レク、もういいから」「だめ!」

「もうやめなさい」「だめー!」

「いいから」「だ……!」 

 強引に口づける。

「ふ……ぁ」

 逃げられないように抱きしめて ゆっくり舌を絡ませたら。

「んん……」

 口の中にさくらんぼの茎が入ってきた。

「レク……レク……」

「ふぁ……」

 しばらくいったりきたり。

 夢中でさくらんぼの茎を舌でやり取りしていたら、手ごたえを感じた。 

……もしや?

 唇を離して、口の中で受け取った茎を手のひらに乗せてみる。

「わあ!」

 私の子が、歓声をあげた。とても嬉しそうに。

「やった! ねえすごい! できてるよ!」

 きれいに結び目ができた軸を握りしめながら、私はこつりと私の子のおでこに額をつけ。

それからもう一度そっと口づけた。私の子は私の首に腕を回して応えてくれた。

「ねえ、もういっこ、作ろ?」

 私は笑いながら籠からさくらんぼを取って口に放り込んだ。

 とたんに私の子が笑って、さくらんぼを奪おうと私に口づけてきた。

 いい香り。甘酸っぱい味。

 レク。私のレク。私たちは二人でなら、なんでもできる。

 きっと、なんでも。




  口づけ(桜桃) ――了――

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2015/07/05 20:30
かいじんさま

読んで下さってありがとうございます><
旬の物でおいし~いスイーツをレクが作れるかどうかマジで作者の私も心配でしたが
なんとかなりましたー^^


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2015/07/05 20:26
Ханиさま

読んで下さってありがとうございます><
いい年した男なのに嫉妬しちゃうという^^;
ワケありでスネに傷もつ屈折男のレナンさんですが
これからも永遠にレクの英雄でいるために超がんばるんだと思います^^
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2015/07/05 20:23
E.Greyさま

読んで下さってありがとうございます><
少女マンガの恋愛ものの雰囲気が出るように書きました。
ほのぼのかつ大団円にできてよかったなと思います^^
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2015/07/05 20:22
kobitoさま

読んで下さってありがとうございます。
サークルでさくらんぼのお題をいただき、
また、ケーキへの愛がみじんも感じられない某朝ドラを見て大変哀しい思いをしたので、
うちのレクにさくらんぼパイを作ってもらいました。
浴室シーンは……このお話は長い長い本編の完結記念の番外編として書いたのですが、
本編は女性向けの投稿サイトで恋愛ものとして上げているお話なので
今回のような場面が入りました。仲良し夫婦なのでどうかお許しくださいノωノ
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2015/07/05 20:06
紅之蘭さま

読んで下さってありがとうございます><
レクはメニスというエルフチックな種族の子なので、実年齢は近いのに
見た目や精神年齢からすると完全にロリコ……げふごふ。
どうか通報はしないでやってくださいノωノ
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2015/07/05 20:04
紫草さま

読んで下さりありがとうございます><
レナンはこれからもレクの英雄のポジションをキープするべく
死に物狂いでがんばるのだろうなと、そしてレクの態度に
一喜一憂するのだろうなと思います^^
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2015/07/05 19:59
らてぃあさま

読んで下さってありがとうございます><
無邪気なレクの「おいしくなーれ呪文」をかわいいと言ってくださってうれしいです^^
ケーキに対して無残な扱いをする某パティシエの朝ドラを見ていて哀しい気持ちになっていたので、
心をこめて作るスイーツを登場させたかったのです;ω;
しかしメティさん、家事だけでなくそっち方面もエキスパートなんでしょうか^^;
カンナがんばれw
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2015/07/05 19:52
ミコさま

読んで下さってありがとうございます><
レクはメニスというエルフチックな種族なのでそんなに年の差はないはずなのですが、
見た目と精神年齢はかなりな年の差カップルかも^^;
レナンが株を激上げして終わったので私もよかったなぁと思います。
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2015/07/05 19:49
スイーツマンさま

読んで下さり、またなろうさんへの更新をしてくださり、ありがとうございます><

>おめでたい雰囲気

まさにその通りで、某サイトで連載していた本編(八十万字ほど)の
番外編をこの一年ちょこちょこ書き足していたのですが、
今回のものはそのフィナーレ的な「番外編最終話」として書きました。
ダークファンタジーな雰囲気だったのですが
大団円でとても幸せな終り方にできてよかったと思っています。
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2015/07/05 19:44
夏生さま

読んでくださってありがとうございます><
今回はレナン視点ひとつでお話をすすめました。
レクとレナン、この二人は特に結びつきが強いのかなと思います。
本気を出したら本当になんでもできそうです^^;
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2015/07/05 19:43
Carrieさま

読んで下さりありがとうございます><
レナンの嫉妬深さが伝わってよかったです。
本当に独占欲の強い人なのですが、レクは天然ちゃんなので
全然気にしていないという……(ある意味超いけずな子)
口づけなし三日間は、レナンにとって本当にしんどかったと思います^^;
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2015/07/05 19:37
よいとらさま

読んで下さりありがとうございます><
レクは女の子らしいことは何一つ知らずに育ったみたいですね。
メニスなので特に。
仰るとおり、レクとレナは魂のかたわれ同士みたいな関係です。
結ばれて天の島にいたるまでにすったもんだの大冒険?物語が
八十万字ぐらいあったみたいです^^;(←一年前に本編終わってるので他人事w)
このお話は完結記念・番外編最終話として、その連載していたサイトにもアップしました^^
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2015/07/05 19:27
優(まさる)さま

読んで下さりありがとうございます><
見た目は親子みたいですが
ふかーいふかーい夫婦愛がたぶんに入っているんだと思いますノωノ
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2015/07/05 19:25
おきらくさま

読んで下さりありがとうございます><
落合女史、レモンちゃんのことでしょうかー^^
世代ちょっと下なのでリアルタイムのラジオは聞いてなかったかも。
でもご尊名は♪

今回はすっぱ~い♪ だけじゃなくて甘~い味も入りましたノωノ
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2015/07/05 18:54
さくらんぼをうまく使った、ほのぼのしたラブストーリーでした^^
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2015/07/04 12:23
にゅおおお(〃ノ∀`〃)ポッ

なんて甘い口付けなんでしょうか
大人なんだけど
ジェラっちゃうあたりが心むき出して面白かったです^^
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2015/07/04 02:02
さくらんぼのパイが綺麗に焼け
無事届けられて良かったですね
楽しいお話です
ほのぼのと終わりました^^
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2015/07/04 00:43
食べ物や、舞台となる部屋のチョイスが、女性の書き手ならでは、という感じを受けました。
浴室を物語の舞台に用いるというのが、私にはけっこう難しいです。
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2015/07/03 19:26
犯罪的なカップル……
まっ、愛があれば、いいっかあ^^
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2015/07/03 15:27
素敵なヤキモチと、口づけでした。

パイを守った彼を、心底カッコイイと思ったんでしょうが…
如何せん、天然ちゃんには敵わないですね^^
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2015/07/02 21:21
ラブラブなオチにドキドキしたり ホッとしたり。
メティさん 何教えてるんだ。
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2015/07/02 17:26
歳の差カップル? レナンさんの葛藤が楽しかったです
無事にパイを届けることができてよかったですね
レナンさんの男度も上がってめでたしめだたし^^
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2015/07/01 21:12
親子ではなく歳の差夫婦だったとは
間隔をあけて読んだので状況がうまくつかめませんでしたが
なにはともあれめでたい雰囲気がいいですね
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2015/07/01 20:24
今晩は!

ポエム感覚のような物語で
大変楽しく拝読しました。
愛とは、二人ならなんでもできるものなのですね。
うーん、実に感動しました。

m(_ _)m
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2015/07/01 13:12
うう、良かったー!(*´ω`*)
レナンさんに寄り添いながら読んでいたので(ずいぶん嫉妬深いとは思いましたが)、後編で私もうれしかったです~。
口づけなしのストイックな3日間、笑えますた。
この感動させて笑わす、Sianさんワールド、ステキです★
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2015/06/30 22:45
こんばんは♪
にゃるほど。正しいお嫁さんというものを習いに行っていたのですねぃ^^
相思相愛、ぃゃ、もともと一つだった魂が二つに分かれてお互いを
思い合うような愛。
幸せは二人のために♪
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2015/06/30 20:29
幸せいっぱいの家族愛ですかね・・・。
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2015/06/30 19:20
1st kissはレモンの味・・・落合さんが言ってたな。

落合女史を知っている人は、少なくなったと思うけど^^;




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