Nicotto Town


ま、お茶でもどうぞ


新しい友達のつくりかたって…なんだこのタイトルは


そんなものはない。本当にな。

わたし達、友達になろーよ!という子(特に女子)に限って、口だけで本当に友達にはならない。
マラソン大会で「一緒に走ろうね」ぐらいの社交辞令だ。

それを本気にして傷ついたやつらがどれだけいることか。(←たとえば私とかな!)

友達は、作ろうとしてできるものじゃない。
気が合うと、自然に傍にいるものだ。

いなきゃいないで、なんとかなるものでもある。

が、しかし…。
思春期に友達がいないつらさは、平凡かつ恵まれた人生を送っている人達には絶対に分からないだろう。

そのつらさたるや、毎日通学時に「神様、友達を自分にも下さい!」と祈るほどだ。
つまり私の事だが(苦い笑)

だから、羽海野チカの「3月のライオン」に出てくる桐山零の気持ち、すんごいよく分かるんだよなぁ…。

楽曲「ファイター」とのコラボのマンガを読んだのだが、内容にすごく共感できた。
小学生の零がバス遠足に行く話なんだけど、バスの席に同級生が零と座るのを嫌がったり、それを深く考えないで担任の先生がいろいろ言ったりする。
ひじょーにリアルである。

身近すぎて泣けた。
秀逸なのは、そういう状況下にある幼い零が、冷静にその状態を実況していること。
友達がいなくて、席の隣に誰もいない状況というのは、さらし者といってもいい。
だから冷静になるってことは、なかなかできない。
大抵、恥ずかしさで頭が混乱する。
そう、孤独なのがつらいんじゃない。さらし者になっていることが屈辱なのだ。

いっそ放っておいてほしいのだが、それはそれで困る状態でもあり、どちらも針のむしろなのである。これは、何かのグループ分けでも発生する。

友達がいないってことは、集団生活、とくに学校では苦痛以外のなんでもない。
何百人も生徒がいるのに、どうして自分にはできないんだろう、とひどく悩む時期でもある。

でもそういう人は、どこか別に人とのつながりが…縁があるものだ。
零のように、仕事や趣味を通じて、いつか誰かと出会える日がくる。
そして、孤独を知る人は、同じ境遇の人の気持ちも分かることができる。

むしろ孤独人間は少数派なのだから、そのレアな環境は恵まれてるんだと、ポジティブにとらえるのもありかもね。

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2015/07/07 11:11
さえらさん、コメント感謝です。

幼くして達観していたさえらさん。私の子どもの時も、そのくらい大人びた考えを持っていたら、あの時あそこまで傷つかずに済んだだろうなと思いました^^;

私も遊びなどでは一人でも平気だったのですが、学校の班分けが苦痛でした。割と、同級生が同情して仲間に入れてくれたりはしたんですが、そういった見え透いた親切も嫌で、あの頃は苦痛の連続だったな…。
どうして一人でいることを許してくれないんだって、友達を求める気持ちと同じくらい思ってました。
さえらさんみたいな、中立した人がクラスに一人でもいてくれると助かるんですけどね。
なかなかそうはいかない。自分も含めて、みんなお子様だから。

距離を置いて観察するって姿勢も、子ども時代には大半の人ができないことです。
今でこそできますが、私もそうでしたし^^;
大人になっても、できない人が多いですね。相手と同じ目線で争ってしまう。

お互い、束縛しないのが理想ですよね。
もう何回も書いてますが、人の最も理想的な関係は、ムーミン一家ですねぇ。
みんな精神的に自立しているから、親にも子にも依存しないし、スナフキンが一年に一回しか戻ってこなくても、信じて待てるっていう。
でも日本はまだ恩とか義理とか、そういうのが根強いから、適度に離れてまたくっつくという関係を築くのは難しいでしょうね。(もちろん、恩や義理は良いこともありますが)
あと、ネットやLINEなんかで密着しすぎた関係にも言えそうです。ちょっと離れたら、って。

全ての人との出会いには意味がある。苦痛を与えてきた相手にも、思いがけず感謝するときってありますね。
そうすると、また別の出会いがあったりして、次のステージに進んだりしますね^^
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2015/07/07 03:39
友達っていうのは、「つくる」ものじゃなくて「なる」ものだろう。
と、子どもの頃から思っていました。
だから、気付いたら友達になってた。というのがこれまでの経験です。
わざわざ意識してつくろうと思ったこともないし、「友達になろう」も言った経験はありませんw
そして、言われた記憶もないww

私は、基本は人見知りなんです。
大人になって多少は改善されたかもしれませんが、子ども時代はれっきとした人見知りでした。
しかも、黙っていれば優等生に見えるタイプ(中身は真逆だったのにww)
そのうえ、なんとなく親しくなっても、心を開くのには時間がかかるタイプで。
なので、友達の数は決して多い方ではなく、むしろ少なかったです。

というか、一匹狼でへっちゃらなマイペースな子どもでした。
そして、来るもの拒まず去る者追わずがモットーでしたので、転校生がひとまず身を寄せてみたり、どこかのグループであぶれてしまった子の一時避難先だったりしましたが、本人はとんと気にせず、でしたね~。
心無い言葉を軽はずみに投げかけてくる子もいたけれど、そういう輩は「まだまだ幼稚なヤツめ」と思って相手にしなかったし、女子という生き物については、観察するというスタンスをとることで不用意に傷つかずにむしろ己を反省する材料にしていました。
なんというか、今にして思うと子どもっぽくない子ですね~^^;

いまは、ひとりの時間も好き。家族との時間も大事。友達も大事。
友達と呼べる人との出会いには、その縁には、本当に感謝しています。
だからこそ、その繋がりが大切にしたいから、お互いに束縛はしないけど、疎かにもしない、という感じ
^^

また、友達ではなかったけれど友情について考えさせてくれた人たちとの出会いにも、大人になった今は感謝しています。
あの頃があって、今の自分があるんだもんねって思うから^^
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2015/07/07 00:52
いちごさん、コメント感謝です。

深く考えない、運営さんのちょっとお気楽な題付けでしたよね。これが初めてじゃありませんけども^^;

類は友を呼ぶという言葉通り、自然と寄り添うのが人間関係ですよね。
私みたいに引っ込み思案な人間が無理してグループに入って明るく振舞おうとしても、どっかで無理が出ます。
「表向きしか付き合えません、どうしたら」なんて人生のお悩みは、そういう無理から生じるものです。

でも学校は特に、孤独や孤立を許さない。明るく仲良く元気よく、がモットーですから。
それがもとで登校拒否なんかも出たりするわけで、もっと多様性が求められますね。現状じゃ難しいですが…。

3月のライオンは将棋のマンガですが、とても人間ドラマが面白いです。
絵も良いし、もし見かけたら読んでみては。最近の私が唯一、先を待ち望む作品です^^
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2015/07/06 20:35
こんばんは\(^▽^)/ご無沙汰しております

このブログお題、気に入らなかったので書きませんでした(笑)貰えるアイテムも欲しくなかったし…
そもそも学生さん向けなのかな
友達なんて作ろうと思って作れるもんじゃないですよね

「3月のライオン」読んだ事ないんで、ちょっと興味持ちました
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2015/07/06 11:54
そらさん、コメント感謝です。

表面上と本音の付き合い、私も含めて誰でもしていると思います。
仕事なんかだと、特にそうですし。本音では舌を出していても、表面は親切にふるまう人なんてたくさんいますしね。
それがいわゆる「大人の対応」というやつなのでしょう。
まずグループの中に入って、それから気のあった人を探すやり方。合コンみたいですね。
友人も恋人探しも、似たようなものなのかも。

長く付き合える人、そうでない人、いますよね。
ずっと離れていても、再会すると打ち解ける。そういう関係は人生で会える数はとても少ない。
長く続くよう努力しても、離れていく人は止められない。
流転と無常を感じずにはいられませんが、離れた相手に未練を持たず、自分がしっかりしていれば、それでいいのかな。


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2015/07/05 13:30
↓も、アツい論議が・・w

私の場合は、まあ、表面上つきあっている人と、深く付き合っている人と、いろいろです。
私はあまり人付き合いがうまくないので、それを自覚して、集団の中で広くつきあっている人をターゲットにして、その集団にいれてもらうんです。
集団にいるうちに、表面上のひとと、個人的につきあう人分かれてきます。

疎遠になっていく人はそれまでなので、深追いはしない。
付き合いの深くなる人は、そうなっていくので、先週も前日に彼女から電話あって、明日会える?とww
たぶん、20年ぶりくらいに会いましたww。楽しかったです
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2015/07/05 01:51
ハルさん、コメント感謝です。

そうですよね、人間ですからどうしても欠点はある。全てをひっくるめて大好きな友人というのは、なかなか^^;
相手のいろいろなところが見えてきて、たまにすれ違いなども起こり得るでしょう。
それを許し、許そうとする努力がお互いに実ってこそ、友情は続くものといえます。

私にも小学生のころ幼なじみがいました。でも大人になって会うことも少なくなり、文通は続けていたけど、だんだん疎遠になり、今では過去などなかったことにww
長く付き合うほどに、お互い相手の嫌なところが見えてしまったんです。人生に向けるベクトルも違ってきた。
その反作用が目に見えてくると、人は別れることになります。友人に限らず、何にでもですね。

ちなみにその幼なじみも、「薄っぺらい友情なんて友情じゃない、友達少なくても深く長く付き合えればいい」と言っていたんですが、その縁もあっさり向こうから切っちゃいましたね。
恋人ができたのがきっかけでヽ( ´ー)ノ フッ
(↑この友人は、以前にモンハンで愚痴った人とは違います)

あとニコタでも。初めは交流がさかんでも、なにがしかの理由で離れるか疎遠になる。
こういうのを見ていて、付き合いってものはタイムリミットがあるんだなと悟りましたよ^^;

つらい環境、つまり逆境にいると、簡単に堕ちたり心が壊れたり、そういう人も多いですね。
偉そうに人生を語る人気ブロガーだって、本当のところは何も分かっちゃいないし、それにコメントを寄せる人たちも、自分で真実を見ようともせずに鵜呑みにするばかり…。
結局、大切なことは自分で見つけるしかないんですね。自分で何とかしようって気持ちが大切。

自分がつらくても周囲に八つ当たりせずに、時にしたとしても、それを反省して次に優しさに置き換えられる、そういう人が本当に優しい人です。
むろん、ハルさんも優しい人です。
ご自分はつらい境遇なのに、存在そのものが誰かを助けておられる。
変な例えですが、空気清浄器みたいな…w
お花でいえば、蓮の花でしょうね(*^_^*)
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2015/07/05 01:30
>ふうこさん

うーん、そこまで親身になっていた仲で急に距離を置かれてしまうと、誰だって傷つきますよ。
相手の方も、本気じゃないのに「会いたい」なんて、それは罪ですよね。
しかし、住んでいる地域によっては(特に関西圏)、本気に捉えないでほしい「また来てね」「ぜひご飯でも」などという、社交辞令がまかり通っており、それが常識ともされています。
だからその人も、そういう常識が無意識に出てただけなのかも。
それでも、「それは社交辞令だから、なんて口に出して言えないという大人の対応」により、なんやかや理由をつけて逃げて、ふうこさんに察してもらいたかったんでしょうね。

ちなみに私も、仕事柄出会った相手に、メアド付きの名刺を渡されたので、そのアドレスにお礼状のメールを送ったけどナシのつぶてだったことがあります(笑)

校長先生がいじめを黙って見過ごしてしまったことは、先にも書いた通り世代間の考え方の違いからと思われます。
私たちや、その親以前の世代は、きょうだいや友達同士のけんかは殴り合い、ののしり合いも「ぶっころーす!」くらい平気で言い合って、そりゃ壮絶なものでした。

だから、その校長先生も、ふうこさんが同級生にいじめられているのを見て、「子供同士のケンカは、それを乗り越えて、やがて心の成長につながるものだ」と、安易に決め込んでいたのかもしれません。
深刻に捉えていなかったんですね。だから笑っていられたのかも。悪気はなかったと思います。
いじめは暴力なんですけどねぇ…。いじめる側と、多数に取り囲まれて追い詰められている側の表情など、察してほしかったですよね。
子どものケンカなんて、明日にはすぐ仲直りするもんだ、なんて固定観念がある先生では、到底無理な話ですが。

ふうこさんのトラウマが、私のひと言で楽になれたとは^^;
でも、楽になれてよかったですね^^
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2015/07/04 17:07
友だちは自然にできるもの、その通りだと思います!うん!
でも出会いは簡単でも、近くなれば近くなるほどイヤなとこも見えてきて、それでもいい、好きだよって思うのはほんのひと握りですよなあ…
簡単な友だち(笑)ほど簡単に裏切るし(笑)
薄っぺらい友情ほど、くだらないものはありませんよ

孤独人間は結構いると思います
ほら、ここにも(笑)(。・Θ・。)ノ
蒼雪さんの言う通り、つらい環境を知るひとほど、相手の立場や気持ちを考えてあげられるきっかけをもらっているのだと思います
でも、それってその過程の途中で捻くれるのもいじけるのも簡単なのです
悲しい気持ちをまっすぐ受け止めてた蒼雪さんはとても優しい生き物なのですよ(o^-^o)
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2015/07/04 14:16
またまた、お邪魔します^^
退会するって言う前から「会いたい」っては言われてたんですよ。
趣味で全国駆け回る人だったから、イベントの際にとかまで言ってたし。
私がメアド教えても、向こうは教えてくえれず、今は連絡とれない理由をいろいろ言ってきたので、
その時点で気づけばよかったんですけどねw
会う会わないとかじゃなく、退会してもどこかで繋がってたかったのは、私だけだったようで^^;
なんか、愚痴聞いてもらっちゃってすみません^^;

校長先生のこと、世代によって違うとは気づきませんでした!
ずっと心に引っかかってたので、気が楽になりました^^
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2015/07/04 11:46
ふうこさん、コメント感謝です。

ああ…、それはお気の毒でしたね(/_;)
そういう個人情報を自分だけに教えてくれる…って状況は、本当に相手が友達だと思い込んでしまいますよね。
しかも親しかった方とは…。

社交辞令も度が過ぎると、嘘になってしまいますよね。
似たような手口で詐欺もあります。
嘘か真か見抜くのも難しいので、最初から相手のいう事を疑ってかかり、間に受けないようにしないとならないですが…、そういう生き方も疲れるなぁ…。

クラス替えで急に疎遠になったりとか、私もありましたね。
人付き合いは常に変化するもの。タイムリミットみたいなものがあって、それが切れると離れるものなんです。
だから付き合っていた人が離れることは必然なんだと思えれば、別れもそうつらく捉えずに済みます。

でも、子どものうちは思い込みも激しいし、仲良い人とは一生もんだと思っちゃいますよね。
それが下手すると、後の人格形成にも関わってしまう。
こじらせて堕ちたりせず、それを乗り越えて生きていく人は本当に強い人なのでしょう。

校長先生の勘違い、世代の違いを痛感させられますね…。
こればかりは校長先生にも罪がない。できれば気付いてほしかったですよね。
殴り合いふざけ合いの程度や、受け止める側の傷つき具合は、世代によって異なりますから。

友達は、じたばたしてもつくれないものはつくれない。恋愛や結婚も同じくです^^;
ひんぱんに連絡無くても、長く続いている友情もありますよね。私の場合はどうなのかなと、やや不安ですが。w
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2015/07/04 02:13
社交辞令こわいですね~^^;
私は、こんなことがありましたよ。
親しいニコ友が、ブログにも書いていない退会理由をこっそり教えてくれて、
「退会してもリアで会おうね!」って言ってくれて、
私のメアドを教えたのですが、今は連絡を取れないと言われ、それっきり…。
かなり凹みましたよ~~~。

学生のころは、女子の仲良しグループがいくつかあり、
仲良かったのに、いつからか仲が悪くなったり、
一緒にいるメンバーは変わったりしましたねぇ。
あるとき、グループからのけものにされて、帰宅後、犬の散歩をしながら、
「死にたい」ではなく「消えたい」と思いました。
死ぬのは苦痛だし怖いけど、透明人間になれたら今よりマシなのかなぁ~と。

小学校のころ、同級生にいじめられてたのに、
そばを通った校長先生が、「生徒がじゃれあってるなぁ」って感じで
ニコニコ通り過ぎたことがあったなぁ。

気の合う友達というのは、しばらく連絡をとらなくても平気なのに、
数年ぶりに会っても、いつも通りの感じなんですよねぇ^^



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