Nicotto Town



アスパシオンの弟子53 議事録(前編)

「お手伝いさせてくださいませんか?」 

 白の導師様の澄みきった穏やかな声。

 僕は、何も感じませんでした。

 嫌な予感も。悪寒も。恐怖も。不安になるような感覚はまったく何も。

 白い衣の導師様は、とても清らかな気に満ちていました。

 その衣の色と同じ。しみひとつ無い、きれいな気。

「あ……」

 僕の口は勝手に動き。

「は……い。お願いします」

 そう答えていました。自分でも気づかぬ間に。

 ふと気づけば。

 白い御方はいつのまにか、陛下のすぐ隣の席でにこにこと、廷臣たちの話を聞いておられました。

 あれ? 閣議の間の隅っこにいたはずなのに。あそこって、議長が座る席じゃ?

 しかしこの部屋、とても甘ったるい香りがしますね。

 白い御方の甘露の匂い? 頭が、くらくらします……

「……というわけで、王太子殿下のお怪我の治療は私にお任せください」

 あれ? 白い御方が何か、喋ってる……。

 穏やかな声のおかげで、不安がる廷臣たちは一様にホッとした顔。

 そういえば、白の御方はかつて薬師としてマミヤさんの村を訪れたんでしたっけ。

白の技の最たるものは、癒しの技だと聞いた事があります。

「……というわけで、陛下は大貴族たちに然るべき地位をご用意してください」

 あ? あれ? ちょっと待って。えっと、大貴族の話ってどこから出てきたんでしたっけ?

 僕、もしかして居眠りしてました? 頭がくらくらしてなんだかよく分かりません。

 ええと。ええと。

「わかりました。会見の日取りを決めます。では、今日の閣議はこれまで。各自の部署に

戻ってください」

 え? えええ?! トルナート陛下の締めの言葉? 閣議終了? いつのまに?!

 一斉に席を立って退室していく廷臣たち。唖然とする僕。

「す、すみません、議事録見せてください」

 席を立ちかけた隣の書記官を僕はあわててひき止めて、丸められた羊皮紙を見せて

もらいました。

 ええと。廷臣団はまずエティアの王太子殿下の容態について、侍医から報告を受けたと。

全治三ヶ月の重傷。上腕骨折であると。白の導師様が治療を担うことを申し出たと。

 ここまではおぼろげに覚えています。その後は……なんだか一瞬にして時間が過ぎたような

気がするんですけど……

 議事録によれば、それから廷臣たちは、殿下を襲った刺客の黒幕について議論。

 島を返せと特攻した刺客の黒幕は蒼鹿家ではないか、というのが、僕ら廷臣団の大多数の意見。

 おそらくヒアキントス様の命令の下、大商人フロモスあたりを経由して刺客が放たれたのではないかと廷臣たちの幾人かが主張。

 すると白い御方が、

『レツ島返還を唱える一派が、メキドの貴族の間にも少なからずいるみたいだ』と発言。

そうしたら地方行政長官閣下が、『大貴族どもがさっそく事件を聞きつけて、次々と照会して

きております』と発言。

 なるほど。つまりトルナート陛下の即位に不満をもつ大貴族たちが、格好の攻撃材料に

目を付けたということですね。まるで、ぽとりと地に落とされた砂糖の塊に群がる蟻のごとく。

 その直後、閣議の間に急使が入場?

 ぜ……全然、気づきませんでした。やっぱり僕、居眠りか何かしてたんでしょうか?

 僕は急いで議事録の文字に目を走らせました。

 使いの者が陛下に言上。

 レツ島返還を主張する団体が突然洗われて、地方のいくつかの大都市で一斉に街頭演説を

始めたとのこと。

『地方行政を担う大貴族たちが、混乱に乗じてさっそく動きだしたようだ』

と、白い御方が主張。

『大貴族たちは本当に島の返還を望んでいるのではない。現王家がエティアから睨まれて

窮地に立たされることを狙ったのだ。おそれながら、陛下は大貴族達を冷遇しすぎた可能性がある

とのこと。

 廷臣たちが、賛同の意を次々と表明。白い御方がみなの意見を集約して、陛下に言上。

『このまま互いが平行線のままでいけば、陛下の一挙手一投足に対して大貴族達が逐一反応し、

その都度さまざまな圧力をかけてくる恐れが大。平和的な解決を望まれるなら、譲歩が必要である』

 陛下と妃殿下、ともに大貴族達と会見することを、承諾。

 それでさっきの大貴族へ然るべき地位をご用意してください、というセリフに……

 僕は……閣議の間、ずっとぼうっとしてたのでしょうか。なんという失態! 冷や汗ものです。

 国王夫妻が出て行かれた後、廷臣たちはぞろぞろと閣議の間を退出していきました。

 書記官に議事録を返した僕はじっと、白の導師様を見つめました。

 白い御方はみなが出て行くのをにこにこと眺めていました。

 吸い込まれそうな紫紺の瞳。光沢輝く銀の髪。目にまばゆい、純白の衣。

「どうなさいましたか? 将軍閣下」

「い、いえ」

 微笑みかけられた僕は思わず顔をしかめました。

 甘い、甘い、甘露の香り。むせ返るぐらいの芳香。フィリアよりもアミーケよりも、

ヴィオよりも濃い香り。

 壁に貼られた蒼タイルは、ゆらゆら揺らめく海のよう。

 ゆらゆら。ふわふわ。あれ? 体が、浮いてる――?




 ハッと我に帰れば。

 窓はすっかり夜の色。でもその窓は、閣議の間の窓では……ありませんでした。

「え? ええええ?!」

 僕はいつのまにか大広間にいて、国王夫妻と外国からの客人たち、そして廷臣団たちと

共に楽団の演奏を聴いていました。

 広間にあつらえられた舞台で演奏されているのは、メキドに伝わる伝統的な古舞踊の曲。

「舞踏会が開かれなくて残念でしたけれど」

 山奥の国の公爵夫妻がヒソヒソ話し合う声が、廷臣団の席まで聞こえてきました。

「王太子のご快癒をお祈りする音楽会だなんて、とても良い催しですわね」

「あれは遊牧民だった時代に使われていた、古い楽器だそうだね。今の笛とはずいぶん形が違う」

「音が情緒豊かで大変心地よいですわ」

 どういう……こと?!

「素敵な音楽よね、ぺぺ」

 僕の右隣にフィリアが座っていました。薄桃色の夜会用の薄絹をまとっていて、あたかも本物の

王女のよう。一瞬ぽうっとしてしまうぐらいの可愛らしさ。

その隣に足をぶらぶらさせて退屈そうなヴィオがいて。

そのすぐ後ろには、ヴィオの両親が手を握り合いながら仲良く座っていて……

「どうかなさいましたか? 将軍閣下」

 白の導師が僕に微笑みかけてきました。

「い、いえ……」

 演奏の合間に給仕係が桃の氷菓を配り始めました。南国な上に夏の夜、気温はかなり暑いからです。

 僕は夜になるまでどうしていたのでしょうか? なぜ、こんなに意識が飛ぶのでしょうか?

 嬉々として氷菓を食べるフィリアやヴィオを僕は茫然と眺めました。

 誰も全く変に思ってないそぶりです。ということは、僕は眠っていたわけでは……ない?!

 隣にメニスの人たちが三人もいるので、僕は思わず鼻を手で覆いました。

 甘い甘い、甘露の香り。花のような、果実のような――。

 なぜか僕の視線は斜め後ろを向いて、また白の導師様を捉えていました。

 白い御方は優しげにニッコリと笑みを投げかけてこられました。

 どういうわけか。

 僕はニッコリと微笑を返していました。心の内では困惑して、わけのわからぬままに。 

 

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2015/08/28 06:35
術をかけられたか? 
記憶がなくなっている間に事件が――濡れ衣を被せられる?
などと想像しつつ次回を読みます
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2015/08/02 23:32
無力化されている間に何か謀り事が進行してますね^^
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2015/07/12 15:42
操られているかな?

甘露の匂いは不気味ですね。




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