アスパシオンの弟子 54 暴走(前編)
- カテゴリ:自作小説
- 2015/07/19 10:47:45
ふしゅううう
ものすごい音をたてて雨空に立ちのぼる、巨大な間欠泉。
湯けむりの中で、おお、と感嘆の声をあげる裸の僕。
と、裸の巨人のおじさんたち。
ふしゅううう
数分に一回、温泉のそばの泉から熱い水柱がたちのぼります。あっちもこっちも、そんな泉だらけ。
しかし温泉て、本当に気持ちがいいものです。初めて入りましたけど、兄弟子様が
しきりに入りたがってた理由が分かります。
「将軍閣下、ここは硫黄泉ですよ。タマゴの腐ったような匂いがするのはそのせいです」
副官で巨人のホニバさんがむきむきの胸板を湯に沈めながら、にこにこと僕に教えてくれました。
「慢性皮膚病、慢性婦人病、切り傷、糖尿病、高血圧症、動脈硬化症に効く湯です」
「うわ、ホニバさん、すごい物知りですね」
「我々ケイドーンの傭兵は、大陸中の温泉地を知っております。傷や病などを癒すためによく利用しますので」
からっと笑うムキムキのホニバさん。その腕、僕の腕の何倍あるんでしょうか。裸の
巨人たちの筋肉はみんなすごいです。
って、なぜ僕が巨人さんたちと裸のつきあいをしているかというと。
ここが蒼鹿家との交渉場所、永世中立国ファイカの首都ファスの湯治場だからです。
見上げれば、空に広がる暗い色の雲。
やっと、空が晴れてくれました。やっと――。
僕らメキドの交渉団は、政府所有の飛行船に乗って霊峰ビングロンムシューのふもとの小さな
飛行場に降り立ち、二時間ほど行軍して首都のファスへ入りました。
飛行船は大貴族ノイエチェルリ家のもの。政府専用機として三隻供出されたうちの一隻でした。
大貴族たちが恭順したことで、僕らの宮廷は軍事力だけではなく様々な面で潤ったのです。
馬や馬車、事務用の調度品。宮廷直属の楽団や舞踊団。見事な宮廷料理を提供する料理人たち――。
大貴族の専横が懸念されたのですが、今のところはいいことづくめ。
ダゴ馬に乗る僕が率いたのは、ケイドーンの巨人兵三十名と護送車、それから文官数人からなる小軍団。
ケイドーンの巨人たちは僕の近衛隊で、トルナート陛下が作ってくれました。
一騎当千と言われる巨人兵を三十人もなんて、破格の護衛体制です。
「第一将軍閣下、土砂すべりにご注意ください」
副官のホニバさんは、妃殿下の懐刀であるセバスちゃんの従兄弟です。武官だけでなく
文官としての技量も持つ万能タイプで、とても頼りになります。
霊峰の一帯は夏。すなわち雨季真っ只中。ざんざん降りの雨のせいで、首都までの山道は
ひどいものでした。
黒塗りの護送車には、風送り隊の二人――ロルとコルが乗せられていました。
韻律使いである二人は、口に魔封じの轡(くつわ)と手錠を嵌められて、韻律を使えない状態。
印を結ぶ右手が使えなければ、韻律を発動することは不可能。食事のために轡を外しても大丈夫、
というわけです。
二人は王都の郊外の牢獄に収監されていましたが、陛下の思し召しで拷問などは一切与えられていませんでした。
ぐしょ濡れになりながら最警戒で進む僕らが土砂崩れ以上に怖かったのは、奇襲でした。こんな状況で横から攻められたらたまったものではありません。
道を中ほど行った所で武装した一団がやって来たので、すわ蒼鹿家の攻撃かと、僕らの間に
緊張が走りました。
しかしその一団は、ファスの青年たちで構成された警備団でした。雨季になると山道が土砂すべりで
埋まらぬよう、定期的に見回っているのだそうです。
見れば確かに山道のそばの山肌には、かつての崩落の跡がそこここにみられました。木々が無くて
すっかりはげているのでした。
ファイカは人口五万ほどの小国。大国の地方都市ぐらいの規模しかありません。霊峰のふもとに
ある首都は大陸屈指の湯治場であり、民のほとんどはそこで暮らしています。
警備団の面々はみな首都住まいの二十代から三十代の青年たちで、団長はまだ二十代前半の青年でした。
「『神の椅子』という別名を持つこの山は、時々ひどくお怒りになります。くれぐれもお気をつけて」
標高四万三千フィート。大陸最高峰の神山を誇らしげに見上げる青年の視線の先は――
暗い雨雲にすっかり隠れていました。
こうして細心の注意を払いつつ行軍を続けた僕らメキドの一団は、山のまだほんのふもと、
三千フィートの標高地点にある首都に入るや、ふしゅふしゅと吹き上がる
いくつもの間欠泉に迎えられたのでした。
間欠泉は雨の勢いもなんのそのの豪快さ。街のいたるところで立ちのぼるこの熱泉のおかげで、
街はまっ白な水蒸気に覆われていました。
熱泉を囲むように古代様式の円柱が並ぶ円形の建物がいくつも建っている美しい街。
ひときわ丈高い間欠泉が立ちのぼる中央広場で国の役人たちに迎えられた僕らは、議事堂で国主に謁見。
そして役人の案内で迎賓館へ――。
あてがわれた部屋で濡れそぼったマントをおろすなり、役人が蒼鹿家の交渉団がすでに
到着していると伝えてきました。
相手方はヴィラ・アリンシーニン(蒼鹿荘)と呼ばれる屋敷に滞在していると聞くや、
副官のホニバさんはうらやましげなため息をつきました。
「さすが蒼鹿家、この地に私邸をお持ちなのですね。大陸屈指の有名な観光地ですから、
名だたる王家はみな私有の屋敷をお持ちと聞きましたが」
「トルナート陛下も、いつかここに私邸を持てるといいですよね」
「はい。今回は、両陛下へのおみやげに長寿の霊水を持って帰りましょう」
そんなやりとりのあと。僕らはロルとコルを入れた部屋に厳重に見張りを立て、目の前の
温泉に入ったのです。
が。
が……。
「あの、ホニバさん」
「はい」
「すぐそこにいる人って、その……」
「ああ、女の方ですねえ」
ホニバさん。余裕。
って! な、な、な、なんで?!
「温泉には、混浴場というものがありまして。特にこのファスの浴場はみんなそうですねえ」
ホニバさん。超余裕。うわあ。温泉って、すごい。でもよく見たら、年配の人ばかり、かな?
あ……あそこに赤毛の女の人が……。
どきりとした僕の右目が、音を立てて収縮しました。思わず拡大してしまいましたが、
ふりむきざま皺くちゃのおばあさんの貌が見えたので、僕は安堵とも落胆ともいえぬ複雑な
ため息をもらしてしまいました。
ああ、赤い髪に反応するなんて。こんな調子で交渉の時、まともに姫の顔を見られるんでしょうか……。
「おや?」
ホニバさんがほう、と声をあげて僕の背後に目を向けました。
「将軍閣下。蛍ですかね?」
面映くてずぶずぶ湯に沈んでいた僕が振り向くと。
小さくて白く輝く玉のようなものがすぐそばを飛んでいました。
ちりちりとその玉から細かい光の粒が落ちています。これは……蛍ではなくて……
蝶々?
兄弟子様を襲ったあの白い蝶々にそっくり?
僕は首をかしげながら、蝶が温泉を横切って姿を消すのを見送りました。
あれは、白の導師様のもの? それとも、普通にこの地方の生き物?
わからぬままにその夜を迎賓館の客室で過ごした僕は、奇妙な夢を見たのでした。
自分が――なぜか灰色の衣を着ている夢を。
未来を幻視?
読んで下さってありがとうございます><
温泉は安らぎますよね♪
のんびり湯治、いいなぁと思います。
コメントをありがとうございます><
温泉いいですよねー^^
私も温泉でのんびりしたいです^^
こんな平和で有れば良いものですね。