アスパシオンの弟子64 赤猫(前編)
- カテゴリ:自作小説
- 2015/09/27 05:40:23
師に捧げる歴史書第七巻新王国の章――
『新メキド王国は神聖暦7170年に建国されました。
樹海王朝にて代々宰相を務めたプトリ家が新王家となり、国名が一新されました。メキドとはこの国の民の古い言葉で、ターバンをつける民、という意味です。
プトリ家は樹海王朝最後の王シュラミナスの叔母にあたるレティシア王女を女王に望みましたが、王女は即位を拒否しました。
マエストロ・ソートアイガスは王女の意志を尊重し、潜みの塔に匿いました。
気丈で苛烈な性格の彼女が兄と甥を一度に失った時の哀しみと狂喜をかんがみれば、それは大変妥当なことでした。
『外に出れば、私は兄さまとあの子の仇をとるために、何万人と殺すわ。きっと関係の無い人たちまで容赦なく、狂ったように血の贖いを求めるでしょうね。だからだめ。私は、王になってはいけない。蛇を操るシュラの力を持ってはいけないの』
賢いレティシアは自身をよく知っていました。力を得れば、おのれは真に暴君や魔王と呼ばれる者と化すことを。
恐ろしい自分を抑えるために、彼女は身を隠したのです。
かくして寡婦となった少年王の母后にプトリ家の新王が婿に入る形で、新しい王統が生まれました。
一方シュラメリシュ陛下とエリシア姫はマエストロに隠居させられ、黄海の小島に追放されていたのですが、今思えばこれは賢明な措置であったかもしれません。国から離されていたお二人は哀しい災禍を見ることなく、天寿を全うしたからです。
レティシアは頻繁に生母と文通しました。そして僕が書いた大団円の「天界の騎士物語」を毎晩読んで自分をだましていました。
決して、暴走しないように。
神聖暦7292年。レティシアは百五十五歳で……』
(以後の文字がぼやけている。何かの液体が落ちてインクが滲んでしまったようだ)
こつこつと扉が叩かれる。
俺は力なく、音がした方に目を泳がせる。
戸口にいるのは、かわいらしいしわくちゃ顔の赤毛の女性――じゃ……ない……。
「あの。あの……。ごはん、お持ちしました」
やせ細ってる子供。すごくおどおどしてる。ぼさぼさの赤毛。
でもくそったれな製造方法でソートくんが作りやがった、くそったれな「妖精」とかいうものではないので、まだ視界に入れられる。
この子は赤猫と呼ばれていて、ソートくんがどこかから拾ってきた。
俺が「妖精」を毛嫌いするので、苦肉の策で赤毛の子を探してきたらしい。顔はそこそこかわいいが、手足は骨と皮ばかりでよく生きてるなというレベル。拾われる前はかなりいかがわしい所にいたようだ。
「おいしいの作れなくて……すみません」
卓上にある全然手をつけてないシチューを、赤猫は今持ってきた煮込み料理の皿と交換した。
俺は魔人だからゴハン食べなくても死なないし、腹減ってないし、と何度も言っても、赤猫は律儀に毎食作ってくる。
ここ数年、無気力に何にもしないで、寝台に寝たきり。それじゃやばいのは重々わかっているんだけど……。
沸いてくるのは後悔と不安ばかり。
残念ながら、俺とレティシアの間に子は生まれなかった。
だから俺は、奥さんを慰めるために沢山の生き物を作った。
犬や猫、ウサギ。それから小さな妖精のような蝶々。蛍。小指の先ほどの小人たちを次々と作ってにぎやかにした。
奥さんはとても喜んでくれた。とくに晩年は、俺と同じピピという名前のウサギロボットを、とてもかわいがってくれた。
でもそれで、どれだけ癒されたんだろう。
全然、なんの力にもなれなかったんじゃなかろうか。
もし本当の子供がいたら。自分を封印するほどの奥さんの怒りと悲しみはどれだけ和らいだことだろうか。
無力な自分が情けなくて。片身をもがれるぐらい哀しくて。
ポチ2号もあれもこれもまだ完成してないのに、俺は今日もだらだら惰眠を貪る。
まどろみの中で、奥さんに会う。
右目の記憶から百五十五年分の映像を引き出して、何度も脳裏に再生する。
くりくり目の赤ちゃん……
おてんばニンジン娘……
マジで鼻血が出た嫁入りドレス姿……
甥っ子を抱っこする幸福そうな貴婦人……
かわいらしいしわくちゃのおばあちゃん……
何度も何度も、懐かしい映像を見る。
「妖精」なんて、いらないのに。
なんでソートくんは、俺の奥さんの複製(クローン)なんか作りやがったんだろう。それもひとりじゃなくて何人も。
奴の思考が、全然理解できない。ほんと分からない。
どうして奴が、まだ「三十歳ぐらいのお兄さん」にしか見えないのも分からない。
カプセル以外の延命法を施してるんだろうか。
「きゃあ!」
廊下から、がらがらがっしゃんと皿が割れる音が響いてきた。
赤猫が何かにけつまずいたんだろうか。あ……泣き声……。
さすがに気になって寝台から起き上がり、廊下に出てみる。
赤猫はひっくひっくとしゃくりあげながら、割れた皿とぐちゃぐちゃになったシチューをお盆に拾っている。
「大丈夫?」
「ご、ごめんなさい。ごめんなさいっ!」
皿の破片をかき集める赤猫の手を見て俺はびくりとした。
なにこの子。指が数本しかないじゃないか……。
この子は、こんな手で、ごはんを毎回……作ってくれてたのか?
「だ、だれかほかの人……ごはん作ってくれる人雇ってくださるように、マエストロにお願いします。わた、私のは、きたないから」
「え……」
「マエストロのも、ちゃんとした人が作った方が……その方が……」
やばい……この子、自分が前にどこにいたかひどく気にしてる。
俺、最低だ。ちょっとはこの子が作ったゴハン食べてやるべきだったんだ。
「あの、ご、誤解だよ。俺、君が作ったもんが嫌なんじゃなくってほんとに食欲が――」
――「エクステル! なにしてる!」
階下からソートくんがすっとんできた。ものすごい形相で。
「ピピ様にはもう作ってやらなくていいって言っただろ」
肩を上下させてはあはあ言って。首にナプキン垂らして右手にぎっちりスプーン握ってる。
食堂から、全速力で昇ってきたらしい。
「ご、ごめんなさいマエストロ、で、でも……いたっ」
赤猫がびくっとして右手を押さえる。皿の破片で指を切ったらしい。
「僕のエクス!」
とたんにソートくんは血相を変えて、赤猫の手首をものすごい勢いで握ったと思いきや。
ちゅくっとケガした指を口に含んだ。その本数が足りないことなんて、まったくお構いなしに。
「ばかな子」
ソートくんはとても切ない顔で囁くと。
「マエストロあの……ふあ!」
お姫様抱っこで赤猫を抱き上げた。
「おいで。すぐに治療しようね」
背中越しでちょっとよくわからなかったけど。く、口づけしてる……。
俺は部屋に退避して、頭の中で今までの認識を光速で訂正した。
赤猫は、俺のために拾われてきたんじゃない。
つまりあれは。あの子は……
ばふんと、体が自然に寝台に倒れこむ。
鉄面皮のソートくんにも、ついに春が来たんだ。
齢百八十にしてやってきた超遅い春。永い永い冬がようやく終わったんだろうか。
なんというロリ……いや、俺だって奥さんとだいぶ年が離れてたよ。
そう、これは祝ってやるべきなんだ。
祝って……
……
……
「ちくしょう。なんで……涙が出るんだろ」
嫉妬? い、いや違う。 ちゃんと祝福してやらないと。
俺はまぶたを拭って祈った。
あの二人の行く末が、どうか幸せなものになるように。
やたらに罪悪感を感じます
祝福してやれる事が一番良いでしょうね。