Nicotto Town


ま、お茶でもどうぞ


鹿の王 感想・2(了)

 黒狼に噛まれて病に侵されたヴァンは、病原菌によって魂が黒狼達と同化し、操ることができるようになっていた。
 ユナもまた、病原菌の力で他の人には見えないものが見えるようになっている。
 その神秘的な力は、人体に寄生した病原菌もまた「生き残る」ためにもたらされたものだったのだ。

 この内容を見て、すぐに「あ、そうだったのか」と納得する人と、そうでない人と分かれると思う。理解できない人は、自分が病原菌になって考えるとできると思う。
 小さな虫にも快楽や苦痛はあるのだと、どれだけの人が「実感」しているか。虫と見たとたん簡単にひねりつぶせる人には、細菌の身になって考えてと言われても嫌がるだろうし、考えもしないだろう。
 動物実験・試験についても、実験台になっているマウスや他の動物の苦痛を想像したことがない人には、この作品は理解できない。

 理解できないと書いたが、しかし、そんな人達も鹿の王を読んで、そういう視点、他者も動物も同じ命なのだと気付いてほしい。
 命というのは、ただ息をして心臓が動いていることではない。それぞれに感情があり、痛みも感じ、喜ぶことができるものなんだと。

 ヴァンは病で愛する妻と息子を失い、何も愛せなくなった人間だった。
 自分を父と慕うユナや、世話になった人達、子が産めなかったために離婚したすご腕の狩人サエなどに出会って、徐々に生きる喜びを思い出していくのだが、妻子を失った悲しみは最後まで癒えなかった。
 途中、サエと良い雰囲気になるのだが、ヴァンは手を出さない。最後まで振り切る。その場面がすごく好きだ。

 女性は愛する人がいても、すぐに他の男に乗り換える。言い方は悪いが、それが女性としての本能であり、生きるすべだからだ。戦争などで生き別れた男女で、男が帰ってきたら女は別の男と家庭を築いていた、などよくある話である。
 しかし男はなかなかそうもいかない。特にヴァンは、妻子が生きる全てであった。
 どんなにサエを大切に思っていても、家族を失った悲しみが新しい恋をすることを許さない。家族を忘れて新しい家族をつくることは、思い出を失うことになる。
 思い出は絆なのだ。忘れたくないのだ。
 忘れろ忘れろ、新しい人生のために。見合いでもすれば。多くの人はそういう励ましを言うが、それがどんなに相手にとって残酷か。暗にそれも示唆している。
 災害で家族を失った人にそれを言えるか? 生活のためとか、そんな理由抜きに、人は忘れたくないものがあるのだ。

 鹿の王では、このように、今までの上橋作品以上にさまざまな視点や考え方が出てくる。そこには、いろんな立場の人を理解しようとする動きがあって良いと思った。
 獣の奏者では、人間に飼育される王獣が、親と引き離されたら急に発情して子どもをつくった話が出てくる。

 これを読んだ時、昨今結婚しない、子どもを成さない、または親と同居し続ける人を暗にとがめている気がして、あまり良い気持ちはしなかった。もちろん作者にそこまでの意図はなかっただろう。
 しかし子の自立が親との同居をしているかどうか、結婚率もそこに関わっているのかという現代日本の問題点へのひとつの答えにも思えた。

 経済的なこともあり、私自身親と同居している身なのだが、同居は決して悪くないと思う。家族同士助け合えることが最大のメリットだからだ。
 成人したらとにかく家を出ろ、アパート借りて一人で暮らせ、という理屈は、今の日本では苦しいと思う。

 そしてまた、子どもを成さない、結婚しない人にもそれぞれ理由があるし、けなされるいわれもないのである。

 作品では、サエとホッサルの恋人で相棒のミラルが、独身者の生きる意味について話す場面がある。
 子どもができない体質だから離婚したサエと、身分違いで結婚できないミラル。サエが、子どもを残さないと自分の血が途絶えることを悔やむようなセリフがある。女として、人として、それは罪深いことではないか、と。
 ミラルは、それでも良いのだと言う。独身でも、子どもを残さなくても、人は人だと。確かに種の保存は大切だが、人が生まれ、生きる目的そのものではないのだと。
 これを読んだ時、上橋さんがいろんな人や事象を見てそう思って書いたんだなと感じた。
 獣の奏者で、どこか親子の在り方を突き放すように書いていたが(むしろその厳しさがあの作品には必要だったが)、それからさらにいろんな人の立場を理解されたことで、このセリフが書けたんだろうと思う。

 タイトルの「鹿の王」とは、弱いものを命がけで守ろうとする存在のことである。飛鹿の群れが狼に襲われた時、年かさの牡鹿が単身でオトリになるのだ。
 それを「王」としてヴァンの民族は崇めるが、ヴァンの父はそうやってもてはやし、崇めることをさげすむ。
 王だともてはやす、その言葉の裏にあるものこそ憎む、と。
 これを読んだ時、泣きそうになってしまった。共感しすぎて。
 英雄は確かに尊いものだが、そうしなくてよいなら人は無理に英雄になる必要はないのだ。
 何かのために自ら犠牲になる人はそういう才能を持った人だ、とヴァンの父は言う。
 だから突き動かされるようにそうする。だが、その恩恵を受けた者達は、それを当たり前と思ってはいけないのだと。
 特攻隊員のことを考えたら、ヴァンの父のセリフもさらに理解できる。
 
 作品は、人間の都合~政治的支配や、植民によって生態系や動物だけでなく、病気の元となる細菌まで変容してしまう、と書いている。
 人も動物も、支配を広げずその地その場でありのままに生きることが理想、そう受け取れもする。
 しかし内容の本質は、ありのまま賛美だけではない。変化するのがこの世の常で、それこそがあたりまえなのだと伝えてくる。
 生も死も、変化も、全部包んで世界中が一個の命なのだ。民族、国は多くの人の集まりだが、それすら一個の個性である。○○人、というくくりがそれを証明しているではないか。
 
 ヴァンはテロリストとも心を通じ、ついに凶行に走った彼の苦悩を、理屈でなくおのれの痛みとして理解する。
 人間に利用される動物の悲しみも、痛みとして共有する。
 黒狼熱をまきちらし、国土を滅ぼそうとするテロに、ヴァンは愛する飛鹿の暁に乗って一人で立ち向かう姿に…また泣きそうになった。鹿の王、というタイトルが心に迫る場面だ。
 その勇敢さではなく、何もかもが自分と同じ命だと慈しみ、包み込もうとする彼の魂の在りようにだ。

 全ての命はつながっていること。テロにも理由があること。これらのテーマを描いた傑作に、宮崎駿のマンガ版「風の谷のナウシカ」があるが…、鹿の王もまた、その普遍的かつ、誰も言葉にできないようなテーマをちゃんと言葉にした作品だと思う。
 賞の看板が多くの人に読まれるきっかけなら、鹿の王はたくさんの人に読まれ、いろんな気付きを与えてほしいと思った。
 ただ小説としての完成度は、守り人シリーズの方が高かった、と加筆させてもらう。ちょっとこなれすぎてて、今までの貯金で書いてる部分もあったので。

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2015/10/17 09:40
補足

今、ドラクエ小説を書いてるんですが、これは旅ものなので、どうしても「目的地まであと×日」と書かないといけないところもあり、距離感がつかめず悩むところです。
一応自分で時速を計算して「このくらい」と想像して書いています。
それでもあまり短く日数を書くと世界が狭まってしまう。

ちなみに高屋敷英夫のドラクエ公式小説では、かなり具体的に何日かかったとか書いてるんですが、それも実感として伝わってこないんですね。人口とかもそうです。
かえって、ぼかした方が世界が広がるんです。久美沙織作品は、そうしてました。
私も参考にして、ぼかす手法を取ってます。

上橋さんも、だからあえて距離に関して詳しく書かなかったのかもしれない。
地図は、出版事情のせいかも。キャラの絵はちゃんとあるんですよね。買いに行った本屋に飾ってました。
でもあれを見ないで読みたかったな~。絵ってイメージを限定させてしまうから。

ホッサルに関してはあまり良い印象がなかったのですが、時間を置いて読み返せば、印象もまた変わってくると思います。思い返しても、感想に書いた通り、彼がいないと二つの視点ができないわけですし。

ということで、まだ書き足りないこともありますが、ここで終わります。
これだけ語ることが多いということは、それだけ濃い作品ということ。
次回に生み出される作品も楽しみですね。
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2015/10/17 09:31
トゥさん、コメント感謝です。

ホッサルをホッサムと書き間違えて、慌てて直した蒼雪です。
なかなか中古に出回らず、結局新品で購入しました。
トゥさんも、この長い感想文をお読みいただきありがとうございました。

ホッサルが好きという読者、調べたら割と多く見受けられました。
感想は人それぞれですよね、本当に。
ホッサル達が嬉々として研究に励む場面がありましたが、その描写でたくさんページを割くより、もっと他に書くことあったんじゃないかな、とか。

ヴァンのターンの描写はとても豊潤でした。自然の匂いも伝わってきそうで。
ユナが、最後まで赤ちゃん言葉だったのは考えてのことだったのかな。
木の実を鼻にまで詰めるシーンは可愛かった。実際にモデルがいそうですね。
一番好きなのは、お風呂の場面ですが(こういう生活の描写が好きです)

あとミラルの役割がよくないかも。せっかくミラルが発病したのに、あっさり治っちゃってるんですね。
冷静なホッサルが動揺してて、ようやくドラマが始まると思ったら…。
ミラルは物語をスムーズに進める狂言回しキャラで、この人出るとポンポン話が進んでますね。
これも書いてて楽なキャラだけど、やっぱり病気で最後の方で危うくなるとかがよかったな。

トゥさんご指摘の通り、
>作者が調べたことを登場人物に言わせている感
これは、私も感じました。この作品では、人間が生きる上でとても大切なことを書いているんですが、それは作者の持論、感想であって、小説としての言葉としては、響いてこなかった部分も多いです。

でも、他の作家がなかなか書かないことだし、何より賞をたくさん取っておられる上橋さんがいう事だから、みんな読んでくれるでしょう。そのことに、きっと意味がある本だと思います。

まだサトクリフを超えていない気がします。この作品はその第一歩と思ってます。詰め込みすぎてましたから。
これから先の作品で、もっとこのテーマが昇華されるんだろうと思います。

馬はほとんど触れ合ったことないですが、やはりその辺リアルなんですね。上橋さん、乗馬も好きらしいですし。
跳躍する描写は伝わってきました。宮崎駿の描くヤックルに似てるなあ、なんて。

地形と距離感、これは日数をただ提示してもだめで、人物の歩く速度を脳内で計算して●日とすると、ようやくなんとなくこの距離、と私はわかるかな…。
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2015/10/16 18:04
先日蒼雪さんの感想を拝読してからまた読みたくなって、『鹿の王』再読してきました。
ちょうど1年ぶりくらいなんですが、1年でも受ける印象は変わるものなんですね。
はじめて読んだときは、とてもおもしろいけれどもう少し馴染ませて欲しかったなぁと思ったものです。上巻のホッサル編、わたしは惹きこまれましたし、パンデミックものの映像作品のようなおもしろさは確かにあったんです。ヒントは出ているのに乳製品に着眼するのが遅くて、早く気づいてとやきもきしたり、ヴァンも狼になっちゃうのかな、とはらはらしたり。
でも作者が調べたことを登場人物に言わせている感が拭えず、ホッサル(とユナ。可愛いのですが笑)の口調のぎこちなさもあって浮いてしまっている、そのせいかあと一歩で没頭はできませんでした。
そういったところは変わらず気になるけれど、それでも必要なのだなぁ。下巻のために、と蒼雪さんが書かれた表現が腑に落ちました。
ヴァンとサエの人柄や心情変化なんかも今のほうがじんわり沁みます。どちらも控えているところがあって、地味にも感じてしまった二人ですが、ちゃんと個性を持つ魅力的な大人なんだな、とはっきり思いました。作品も二人も懐深い。

飛鹿や火馬との触れあい描写がたまらないのは変わらずで、読みながらしょんぼりしたりにやにやしたりのお気に入り場面です。慣れない気配にいらいらする仕草とかすごくよくわかる!(笑)
落とされそうですが乗ってみたいです、どちらにも!

やっぱり好きな作品なので、感想を書いてくださってうれしかったです。
おなじように感じたところも、ちがうふうに感じたところも、勉強になりました。ありがとうございました❤
あ、そういえば守り人シリーズと違ってこれには地図がないんですよね。移動の多い物語だし、地図がついていたらうれしかったなぁ。2回読んでも、地名は覚えても距離感がつかめないトゥでした。
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2015/10/06 10:21
最後、字数で書ききれなかったので、ひと言ここに。

物語のラストで、ヴァンはテロに利用された黒狼の群れを、自分に発露する病原菌の力を借りて、黒狼達がこれ以上傷つかないよう、遠い原生林へ連れて行く場面があります。
涙なくして読めない美しいラスト…と思いきや、まだ続きがあった。
ヴァンが置いて行ったユナたちのことです。

ユナはヴァンとつながっているので、彼のいく先がわかりました。ヴァンを慕う異民族の若者たちと彼を愛するサエが、ヴァンを追いかけてどことも知れぬ森へと旅立つのでした。
お互いに生きてきた環境も、生まれも立場も超えて、手を取り合って同じところへ進んでいく。
この結末は明快でわかりやすい。単純だからこそ、心に響きます。
そしてそれは、人類がずっと成そうとして成せない、唯一の答えなのです。
それを書いてくれてよかったと、読み終わって思いました。



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