アスパシオンの弟子67 覚醒(前編)
- カテゴリ:自作小説
- 2015/10/17 22:40:23
我が師アスパシオンはマミヤさんが双子を産む八年前、すなわち7337年に生まれた。
白鷹家のビエール王国がエティアの傘下に入って十七年目のことだ。
王から大公に変わって二代目の当主は、スメルニア人の正妻の他に側室を数人娶っていた。しかし我が師の母親はその妾たちの子ですらなく、当主が気まぐれに手をつけた異国出身のメイドだった。
我が師は始めは白鷹の傍流の家に養子に出されたが、三歳の時に当主の命令で白鷹の本家に戻された。魔力のある子供だと判明したからだ。
十才になったら岩窟の寺院に入り、白鷹家を支える導師に――というお家のための未来を背負わされた我が師は、その年になるまで父のもとで家訓を叩き込まれた。
金髪の一族の中で唯一人、黒髪の子。親族からはかなり苛められたことだろう。
時は7347年。当主は十歳になった我が師を寺院に送り出す前夜、盛大に送別会を開いた。
これは我が師を可愛がっていたためではない。当主自身がことのほか芸能が好きで、とにかく事あるごとに理由をつけては、様々な芸能団体を城に招致するのが趣味だったからだ。
送別会の演し物は、かなり豪華だった。レンディールの舞踊にスメルニアの雅楽。リューノ・ゲキリンの漫才。そして、メキドの薔薇乙女歌劇団のミュージカル。
俺はマネージャーとして、このできたてほやほやの歌劇団にお供した。劇団員はむろんみんな、赤毛のかわいい女の子。メキド王家が変に手を回して宣伝してくれたおかげで、結成一年目にして歌劇団はかなり話題になり、新し物好きの白鷹家当主の目に止まって公演とあいなった。
おかげで俺は白鷹家の城で、庶子の公子ナッセルハヤート・アリョルビエールの生い立ちやら事情やらを、口さがない連中がヒソヒソ言い合っているのを耳にできたというわけだ。
さてこの時の公演で俺は当主から、うちの妖精を一人二人側室にしたいと申し出られたが、ていうかぶっちゃけ危なく手をつけられるところだったが、なんとか穏便に丁重にお断りした。
だれが大事な娘をスケベ親父に嫁がせるかよって話だ。
娘達を守れたし、「幼い我が師をチラ見する」という目的は果たせたから、公演は成功だったと言えるだろう。
「かわいい公子様だったわね、おじいちゃん。黒髪で目がくりくりっと大きくて」
「あんなにちっちゃいのに寺院にやられちゃうなんて、かわいそうね」
「アカネ! モエギ! その話はあと。とっとと逃げるぞ。みんな、半重力ベルトつけたか?」
「はーい」 「つけました」
「セイラン! スオウ! 窓開けろ!」
「了解っ!」「おじいちゃん、下に迎えの船が来てまーす」
「よし! みんな船に飛び込めっ」
白鷹の城は湖上にある。薔薇乙女歌劇団は逃げられないようわざと塔のてっぺんに泊まるよう手配された。当主は翌日も口説く気満々だった。だが俺たちは「ご招致ありがとうございました」という置手紙を置いて、夜更けに城の窓から船に飛び降り、こっそり脱出したってわけだ。
高い塔からふわふわ降りてく最中に、リューノ・ゲキリンのサイン色紙を抱きしめて眠ってる男の子が、窓越しにちろっと見えた。幼い我が師だ。
灯り球をほんのりつけてるってことは、部屋を真っ暗にして寝るのが怖いタイプ。これ、大人になっても全然直ってない。
頬にはぶっちゅり真っ赤なキスマークがみっつ。うちの妖精たちがサービスしちゃった跡だ。我が師はびびってゲキリン・ポーズで妖精たちを撃退したから、俺は笑いをこらえるのに必死だった。色紙を求めておずおずと楽屋に来た我が師には、キョーレツな洗礼だったに違いない。
しかし我が師はとてもネクラで、ゲキリンとまともに話せなかった。代わりにサインを頼んでやったのはこの俺だ。
『よかったですねえ、公子様』
『あ、あり……あり……』
ろくに礼も言えないあの子が将来あの師匠になるなんて、カラウカス様は一体どれだけ偉大だったのだろう。
「きゃあ! おじいちゃん、一人湖に落ちたわ」
「まじか? 誰だ?」
「アズハルよ! 何やってんのもう」
「まだ小さいから仕方ないわ。ベルトの操作って案外難しいのよ」
俺はわたわたする妖精たちの間から韻律を放って、まだ幼い女の子を湖から引き上げた。
「アズハルう!」
同い年のアフマルがわんわん泣き出す。湖に落ちたアズハルもひいひい泣く。城を離れるまで、ちょっと大変だった。
アフマルとアズハルはこのときまだ十歳。子役で出演して大喝采を受けた。目を見張るほど舞が上手な二人は、成長すると歌劇団の花の看板娘となった。
四年後。王統のひとつビアンチェルリ家の末子ベイヤート殿下が、山奥の国の王女に婿入りした折。その祝賀式典で太陽神へ捧げる舞を奉納して殿下を送り出したのは、この二人だった。その名の通り真紅(アフマル)と深青(アズハル)の衣装をまとって舞った美しい二人を殿下は痛く気に入って、一年に何度か山奥の国に歌劇団を招待してくれるようになった。
ベイヤート殿下は結婚した年に第一子をもうけた。
その次の年には、第二子をもうけた。いずれも男の子だ。
次の年には、女の子が生まれた。樹海王朝の王シュラメリシュの妃エリシア姫にちなみ、同じ名前を授けられた姫だ。姫の誕生のお祝いに、ベイヤート殿下はまたも歌劇団を屋敷に招いた。
その時殿下は、アズハルを一家の侍女として入れたいと正式に申し込んできた。生まれたばかりの姫の世話をさせたいという。
「できれば看板の舞姫を二人ともそばに置きたいのが、本心なのです。どうか一人だけでも、我が家専属の踊り子兼侍女になっていただくようお願いしたい」
俺は大喜びでアズハルを生まれたばかりの姫につけた。俺の妖精たちが殿下の一家を護るなら、心強いことこの上ないと思ったからだ。もっと警戒するべきだったのに、トルナート陛下の父君だから、という信頼と油断が俺の判断を鈍らせたのだ。
半年後、俺は殿下から思いもかけない報告を受けた。
アズハルが屋敷から姿を消したという。
言葉を濁す殿下を手紙で問い詰めた俺は、恐ろしい返事をもらった。
アズハルは……独りでこっそり屋敷を出て消息を断っていた。
ベイヤート殿下の子を、宿したために――。
『奥様に顔向けできません……』
ベイヤート殿下に泣いて訴えて姿を消したというアズハルを、俺は妖精たちとともに探し回った。しかし巧みに変装したり足跡を消したりしたようで、その行方はようとして知れなかった。
二年経ち、トルナート陛下が生まれたころ。歌劇団へのファンレターを模して、一通の手紙が届いた。
『おじいちゃん。私はお子さんがいない老夫婦に拾われ、その方のおうちで子供を産みました。娘と孫が一気にできたと大変喜ばれ、そのお言葉に甘えています。できればこの方たちとずっと暮らしたいと思っています』
アズハルからだった。手紙の消印からメキドの隣の小国にいることがわかったが、住所の記載はなし。
それから数カ月おきに三度、元気にしているという近況報告の手紙が来て、あとはふっつり途絶えた。結局住所は、不明のままだった。
新しい家族と幸せになりたい。俺たちに迷惑はかけたくない。
そんな彼女の意志が、最後に来た手紙から読み取れた。
普通の人と結婚した妖精たちも幸せに暮らし、子孫を増やし、自由に生きている。アズハルも子供と一緒にそんな風に暮らしてほしい。幸せになってほしい。
俺たちは、心からそう願うばかりだった。
宮廷という所はいろいろと起こりますね。