10月自作/ハロウィン・猫 「迎えのシ者」(前)
- カテゴリ:自作小説
- 2015/10/30 13:02:29
目の前は、まっ白――。
雪。雪。雪。
雪だ。雪しかない。
空は一面雪雲に覆われていてこれまた白い。むろん気温はぶっちぎりの氷点下。
屋根に分厚く雪が積もったレンガ積みの営舎から、スコップを肩に担いだいかつい毛皮男が白い息を吐きながら外に出てくる。
「騎士団長閣下、お疲れさまですっ」
建物のまん前の道でひたすらスコップで雪をかいている青年たちが、手を止めて挨拶する。
彼らは、北方銀枝騎士団の騎士たちだ。銀枝騎士団の営舎は、エティア王国の一番北の辺境に在る。一年の三分の二が雪に覆われる地ゆえに、十月からは毎日雪かき作業が欠かせない。いつでも騎馬が緊急出動できるよう、営舎前の入り口、訓練場、付近の街道にいたるまで奇麗な雪道を保持しておかねばならないのだ。
毎日降り続く雪の量ははんぱではなく、雪かきは騎士団員だけでなく馬丁や掃除夫、食堂の料理人に用務員など総員駆りだされての過酷な作業だったのだが……。
わおん わおん
「牙王、ここ踏み固めてくれ」
黄金の狼を先頭に、鉄の狼達が赤毛の青年の周囲をせわしなくいったりきたり。雪がのけられた道をまたたくまに犬足で固めている。
営舎食堂勤めのこの青年――通称「食堂のおばちゃん代理」が狼たちを手なずけたおかげで、今年の雪かき作業は大変楽になった。
「おばちゃん代理、ちょっと話があるんだが」
いかつい団長がスコップで肩を叩きながら赤毛の青年に近づいたそのとき。
「パパー♪」
もこもこの毛皮の服を着た小さな女の子が、いきなりひょいと木陰から姿を現して、えいと雪玉を投げてきた。
「おっと」
赤毛の青年がさっと身をかがめたので――
「ぐは!」
雪玉は団長の額に直撃した。
「あ。団長閣下、大丈夫ですか?」
団長はぷるぷる肩を震わせて子供を一瞥してから、むっつり告げた。
「……子供の両親の身元がわかったぞ」
「え」
青年の顔がこわばる。
今せっせと雪玉を作っている女の子は、つい数週間前まで鉄の狼たちに育てられていた。女の子も狼もいまやこの営舎に住んでいる。まるで青年の家族のように。だが、根本的な問題は解決していない。
その問題とは――
「殺した犯人はまだ……」
「パパー! だんちょおさまぁ!」
「う」「ぶほ」
雪玉が二つ飛んできて、見事に青年と団長の顔に当たった。
「うああカーリン! やめ! もうやめ!」
ぴくぴく引きつる団長を背に、青年は苦笑顔で明るい声をあげて逃げる女の子を追いかけた。
この子の親は、一体どんな人だったのだろうと思いながら。
『ほうほう。それで団長さんは、昨日からお出かけなのですか』
「うん。カーリンの両親の家らしきところに行ってるよ」
翌日の夕刻。赤毛の青年は厨房で皿を洗いながら、発泡酒の樽にくくりつけられている剣にうなずいた。この剣は折れているが柄の宝石に精霊が宿っていてよく喋る。青年にとってはお守りのような存在だ。
「そんで、覚悟しとけっていわれちまった」
『覚悟?』
青年はちらと食堂をみやった。
食卓にカボチャをくりぬいたランタンが置かれた席で、女の子がパイをほおばっている。その足元には、大きな黄金の狼がぴたり寄り添い寝そべっている。
「もしかしたら、両親の家に返さないといけないかも、だってさ。でかくて由緒あるお家らしい。シュヴァルツカッツェ家っていったかな」
女の子が席を立ち、空の皿を頭に掲げてきた。
「パパー! おかわりい!」
「おいおい、何個目だよ」
「だってカボチャパイおいしーんだもーん。もっとちょぉだい」
「おなか壊すなよ?」
青年はカウンターの上の籠に山と盛られているパイを皿に乗せてやった。食堂の食卓にひとつずつ置かれているかぼちゃのランタンの中味で作ったものだ。
この一帯の村々では、年に一度、湖がすっかり凍る頃に先祖の霊が家に戻ってくると信じられている。ゆえに十月の終わりに霊を迎える宴を開く。
野菜のランタンを食卓の上に置くのは、夏季の収穫物を先祖の霊にふるまうためだ。なぜなら「御魂は光を食べる」と言い伝えられているからである。家人は野菜の中味でつくったごちそうを食べ、霊は野菜が放つ光を食べるのである。
「ママ! 半分こしよ」
黄金の狼とパイを分けあう女の子を見て、青年は目を細めて微笑んだ。
『なるほど。汗臭い男所帯の騎士団営舎より、大きなお家で教育を受けて貴婦人になった方がそりゃあ良いでしょうね。でも保護者としては複雑というところですか』
「うん。だって俺、言葉とか色々教えたし……かわいいし……心配だし」
『完全に父親になってますねえ。結婚もしてないのに』
「え。あ。その」
青年はがしゃがしゃと音をたてて挙動不審に皿を水切り籠に置いた。
「いずれは、したいけど……でも可能なのかな……」
『はあ?』
「いやなんでもないっ。あー忙しい。ほんと忙しい」
その夜青年が女の子を寝かしつけて自分の寝室に入ると。
するりと、黄金の狼が一緒に中へ入ってきた。
「牙王も心配だよな」
『あの子は誰にもやらないわ』
黄金の狼の口からはっきり人語が飛び出したとたん。
青年の目の前で狼の背がいきなりすらっと伸び。なんと黄金の光まとう美しい女の姿に変じた。
床まで届くほどの長い黄金の髪。まっ白い裸体。獣の耳と尻尾はあれど、ほとんど人間の体と変わらない。顔も鼻がひっこんで毛がなくなり、ほぼ人間の乙女のごとしだ。しかしその表情は憮然としている。
「お、怒らないで牙王」
『この姿の時は、ディーネって呼んでって言ったでしょ?』
「す、すみませんっ、ディーネさん」
『呼び捨てにして……』
青年はどんと寝台に押し倒された。黄金の乙女がまたがってきて、両肩をがっしり押さえつけてくる。
『あの子は、私達の子よ』
乙女は噛み付かんばかりの勢いで青年に顔を近づけた。
『だれにも渡しちゃだめ。いいわね?』
「は、はいっ」
獣の耳がもの欲しげにひくひく動く。薔薇色の唇が青年の唇に近づいてくる。
――『おばちゃん代理、おまえなにやった?』
(団長閣下、俺は何も……)
心の中で青年は今日も言い訳した。
(何も……)
子供を保護しようと狼達のもとへ日参していたとき。
「子供もお前らも俺が守る! どーんと任せろ。毎日腸詰食わせてやる!」と説得しながら、怪我をした牙王を治療してやった。
やったことはそれだけだ。治療した時に牙王の体を優しく撫でてやって、子供と一緒に三人丸まって添い寝しただけ。
『兵器の私をこんな子供扱いするなんて失礼ね』としきりにいわれたから見下されていると思っていたのに、実は真逆の感情を抱かれていた。
ある日青年がけつまずいて不可抗力で乙女を押し倒してしまったことが引き金となって、狼乙女の感情が一気に発露したのだ。
そのとき青年は、お返しに押し倒された。今みたいに、強引に。
(ほんと結婚……できんのかな?)
「ディーネ、あの……」
『愛してるわ』
黄金の乙女の唇が青年の唇に重なったそのとき。
――「おい! おばちゃん代理! 起きてるか?」
バンバンバンと、廊下から寝室の扉が叩かれた。甘い睦み時を邪魔された黄金の乙女がギッと扉を睨む。しかし彼女はまたたく間に狼の姿に戻った。
「たった今、シュヴァルツカッツェ家から使者が来た!」
それは副団長の声で、由々しき事態を告げたからだった。
「子供を引き取りに来たと言っている!」
戦車兼除雪機もしている~