言葉一つ
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- 2009/09/13 14:12:17
広島で商売をしようと思ったら。。。
なんて広島に行く気は無いのだけれど、
人様から聞いた話だ。
「四つの広島を使い分けなきゃやっていけない」
広島
廣島
ひろしま
ヒロシマ
広島は、都市。。普通の広島。
廣島は、軍都廣島。
ひろしまは、平和都市ひろしま。
ヒロシマは、被爆都市ヒロシマ。
相手がどの立ち位置での「広島」なのか。
それを配慮しなければ、話しをさせてもらう戸すら開かれない。
そう聞いた。
それは極端な言い方かもしれないけれど、
配慮って思い遣りだったりするとすれば、
神経は使わなきゃ、金にならん。。。
思い遣りが金の話、とは思ってない。
思ってないけれど、それすら出来ん人に、
きっと、個人の財布も企業の財布も、開きはしない。
ああ、そうだったね『がんばろう神戸』だ。
わたしね、近鉄がね大好きだったの。
西本さん、そしてその流れの仰木さん、その近鉄が大好きだったの。
鈴木になって、もうイヤになったわ。
アナタ様、野球好きねぇ(笑
ああ、そういうお仕事してらしたの?
わぁ!なんかとっても羨ましくなりました。
ひとに尽くすっていうか、ひとの苦痛を和らげるお仕事じゃないですか。
奉仕の心が無いと出来ませんでしょ?
尊敬します。。。私には。。。自信がありません。
そしてそこが私の足りないところの気がします。
『受容と共感』初めて聞きました。
理解するのも理解されるのも、むずかしですね。
限界のラインの位置は、年取るごとに、少しは成長しているように思いますが、
まだまだ大きく足りません。。。
やね。
ナベツネさんの口車に乗っかって、球界再編を目論み、バファローズと合併した時点で
かつての素晴らしいチームは無くなりました。
残念だよね。
人と接するというのは、相手を受け入れ理解するということかと…
でも、皆がみな、そういう気持ちでいるわけでもなく、
相手を理解すること、自分を理解してもらうことの、難しさをいつも感じます。
ましてや、仕事の相手ともなれば、尚更ですよね゜゜(´□`。)°゜
お医者様ってさ、もはやサービス業なのにね。
そのお事に、お気づき無い先生、多過ぎだよね。
サービス業ならば、お客様はもちろん、スタッフの声にも耳は傾けるべきだわ。
うん、難しいね、
難しいと思うわ。
空気でわかるようなのは、私も持ち合わせてないよ。
最近、患者の声やスタッフの声に耳を傾けなさすぎて苛々します。
でも、分かる人には、空気で分かるのでしょうね・・・
そうよね。特別だわ。
そしてね、世界にとっても、特別なはずだわ。
特別じゃなきゃイケナイとも思うわ。
だからさ、もっと知らなきゃイケナイね。
そうなの。
ほらこっちはさ、小学校の修学旅行はナガサキ。
中学校でヒロシマ。。こんなの多かったのよ。
その頃見た。
でもね、こんなに大人になった今ね、やっぱもう一度見るべきだわっておもう。
オキナワもそう。。。
今の感覚で、誓わなきゃイケナイ事が、きっとあるよね。
いい言葉だけど、照れくさいね。
それ、よくわかるわぁ。
市民球団じゃん、広島。
それでさ、「カープ顔」ってあったじゃない?
大野もそう、川口もそう、カープ顔よね。
でも、北別府とか津田とかも、もうもう、カープ顔。
私も好きだったなぁ、カープ。。。大好きだった。派手じゃないけどね。
ねぇ、話し違うけど、オリックスの「がんばれ神戸」も良く無かった?
私感動したわ。
話、もどるけどね、そのエネルギーって、
共有する何か。。。を持ってるからかもしれないね。
痛みの共有からかもしれないね。
私ね、割と気が利かないの(爆
察しがいいときと悪いときが極端で、困ったもんなんですよ。
私は、女性と組む事が少ないのですが、男性だって、そういう表に出ない気配りが
行き届いてる人と組むときは、ほんとうに安心ですし、全面信頼を寄せます。
間違いない!って思えるんですよね、預けられる。
助けられるんですよ。
そうなんですよね。
おっしゃってること、私の少ない経験でも有ります。
もっと小さなコト言えばですね、山の村、ココラは天領で、平家の落人の村なんですよ。
それでね、隣村は鍋島藩。。言葉も全然違えば、気質も違う。
この村から隣村はお嫁さんを欲しがるけど、
こっちとしては、そっちにお嫁さんはやりたく無い。
商売は、こんな小さな話しでも、隣村としたく無いって思ってるみたい。
歴史ノ存在が、そこにあるんですよね。。。
規模が大きく、県単位になったとしても、そういうのってある。
やっぱりそうですか。。。
そうなんですね、やり難かったんだ。。。
日本は、負けてしまいましたものね。
そしてあの行為を「肯定」されている。。。
そうなんですよね。
気負うでも無く、恩着せがましくもなく、さりげなくっていうか、
そうだなぁ。。。意識するでもなく、そういう人であったならば、いいなぁ。
広島のこの話って、この意味では多分象徴的な事で、
ナンにでも言える事なんですよね。
私もそうなれたらいいなぁ、とおもいつつ、「そうなれたら」って行ってる時点で、
資質が足りてないんだろうと思います。
私のよく話しに出る先輩がね、
お土産が好きだって言うのね。手みやげってやつね。
なんでかって、その時はきっといろいろ自分の事を、
考えてくれてるんだろうなぁって思うからだって。それが嬉しいからだって。
そうなんだよね、求めるよりもまず、自分からだよね。
自分がそうされたら、きっとうれしいもの。。。
私もそう思うよ。
あのね、意志が育ったりすればね、どうにかなると思うのね。
だからね、意志。。。考える力ね、そういうモノが育つ教育をね、して欲しいと願うのね。
それがあればね、なんとかなっていくと思うのよ。
考える力が無いとね、思い遣りも配慮もね、難しくなる気がするの。
「知りたい」って気持ちもね、溢れて来ないと思うのよ。
その資質がそだつ環境が、だんだん失われてる気がして、とても心配なんだ。
それは、誤解のようですわ。
ココロが綺麗な人が集うキナコ寺には、
しベットの高僧たるキナコ様がいるので、これはなんとステキな事でしょう。
うん、いろんな場所があって、土壌があって、根付いたものが在って、
そうだよね、相手のそういうものを大切に考える。
そこ、大事なとこだよね。
私もそう思うよ。
それが日本でも、海外でも。
私も話がそれるけどさぁ、
言葉の選択ってね、その人のセンスが顕著に表れるじゃない?
どうしてそこでこの言葉?みたいなときもある。
それがその人の「人と也」になるよね。
ますます話がそれるけど、
相手のいい面悪い面、引き出すのはこっちだったりもするかも。。。っておもうよね。
相手の気持ちに配慮して、適切な言葉が出せたらいいねぇ。
そういう人になりたいねぇ。
そうなのよ。
私が思った事はね、そうなの。
広島のこの話に限らず、戦争の話しに留まらず、いろいろな面でね、
その配慮の無い人間と話す時の苦痛と言ったらね、ほんと辛いわ。
これが出来ない人。。。確かに私も自信は無いけど、
それが増えているような気がしてなりません。
言葉一つに配慮する、責任をもつ。。。それって大事なのにね。
うん、ちゃんと意味がある「4つの広島」よね。
これからいっぱい勉強するだろうけれど、この話は広島だけの話しではないよね。
そんで、相手への配慮は、この事だけの話しではないよね。。。
勝てば官軍よね。ほんとに。。。
わたしね、「感謝」を日本人から聞いた事があって、
愕然としたの。
戦争を終わらせてくれた原爆へのね。。。
その話し、らんくる2さんへのコメ返でも書いたんだけど、
それを女教師だった、友達の母上に聞いたの。
わたしね、私が狭いのかもしれなかったけど、それからそのお友達とも、
距離を置きました。
なんかとても不愉快だった。
そういう人は、私ね、きっと「同罪」だとおもうわ。。。
そうなのよ。
うん、広くて、深い話しね。
わたしもね、言われるまで考えてもいなかった。。。
うん、私もね、初めてお聞きしたのよ。
これね、自衛隊関係の広報の人に聞いたの。
あの方達もさ、広報だったら、協賛とかね頂かなきゃイケナイときがあって、
その時に、企業回りとかするんですって。
これを、いつのかは知らないけれど、電力会社の代表だか専務だかにお聞きしたらしい。
そういう配慮って、「知る姿勢」として、大事なんだなぁ。。。
広島と長崎は特別な都市だもの
いまだに行ったことないんですw
いろいろ聞いた話は知っていても、やはり自分の目で
一度は見たいと思います、ヒロシマを。
野球を見ると広島の方々の熱さがよく伝わるんです。
せっかく育てた4番打者を2人もかっさらわれても、唯一のエースがメジャーに去ってしまっても
それでもオラが町のチームを愛し、最後まで優勝を信じて応援している。
北海道にひたすらカープだけを応援する街がある。
広島出身者が開拓した北広島と言う街。
道民のほとんどが読売ファンであっても、新しいファイターズという地元チームが出現しても
ひたすらカープを応援している。
すごい熱だと思うんです。
日本で一番戦争に影響された街。
だからこそ、あんなに熱く強いのかも知れないなぁと。
細かなところで、ピーンと気の利く方って、やっぱりみんなに好かれます。
好きになってもらいたいから、やっぱりピーンと気を張ってみます。
上手に張れないけれども、やっぱりそのココロイキって、気配りですもの。
ピーンときます。
そうやって、自然に人と人とが集まるのかもしれません。
ワテ、ちょっと違った方向から書きますわ。 ワテの経験でも、ビジネスがやりにくかった記憶がありますんやわ。 長いこと掛かって、結局はビジネスもしましたけどね。
ただ、こうしたことは、広島だけに関わらず、日本中にあるんやわ。 例えば、熊本では土地の人の紹介が無かったら、話も聞いてくれないとか、富山の場合は、お隣の高岡の人は、富山の人とあんまり上手く行ってないとか、全部、歴史が絡んでますよね。
広島の人の場合には、毛利さんの3本の矢、実は、息子たちいつも敵・味方に別れながら家系を残して来てるやり方、そして、KINACOさんが書かれた4つの広島。 これが絡んで、難しいんですわ。
ワテ、原爆に関しては、ナチスのアウシュビッツ以上の戦争犯罪やと思ってまっせ。 日本が勝ってたら、大量に戦犯処刑ですわ。
思いのほか満点が多い回には、気の毒でならない響きで「こはる氏」
Cコインが足りなくて彦星が買えない、、、などとつぶやかれたら、
こはる氏から頂いたプレゼントを見て、居たたまれず、ついつい彦星を送るときも「こはる氏」
それが実は「お妾上手」の作戦だったと知ったときも「こはる氏」
色気が満点の鼻の穴と耳型、鼻鉛筆を送る相手も「こはる氏」
んでもって、総称は「あのこはるのヤローーーーっ!」の「こはる氏」
ヒロシマの方、ナガサキの方、オキナワの方。
世界に平和を訴える、リーダーだと思ってるのね、私も。
日本は、その方達の声にも、満足に耳を傾けていない。
おかしい。
私たちが出来る事は、「知る事」だとおもう。
その中で、配慮もあり、また心をヒトツにする事、これも出て来るとおもうんだ。
そうなのよね、監督さんの言う通り。
そして、与えられる知識ばかりが全てと思わず、自分で確かめていく。
ここよね。
監督さんは、いろんな映画を見てるじゃない?
時代の流れを感じているとも思う。
表現者っていうのは、つねに反体制だものね。
どこの国を見ても、軍隊は時として「市民」に銃口をむけますよね。
私ね、多分自分以外ダレも信じちゃいない。
個人を信じて入るけれど、それでもね、「やむなし」ってこともある。
信じ過ぎては、気の毒だっと思ったりするのね、個人に対しても。
>>世界に向けて、発言する権利があると思っています。
私もその通りだと思う。
それでもね、あの投下を、日本国民の中でも「肯定」している人がいる。
「アメリカに助けられたし、あの投下がなければ戦争は終らなかった。
感謝するべきだ」とね。
私は、高校時代のお友達のお母様。。。それも教鞭を握った人がそう言ったのが、
とてもとても、釈然とせず、怒りが込み上げてきて、
その人から教育されて育ったその友達すらをも、やはり疑ったし、それが正解だった。
私には、合わなかった。
そう思っている人がいる限り、必ず開戦の危機はあるし、
反省の無い国よね、日本。
自国の犠牲者に対しても、その程度の思い方しか出来ない人がいる。
ホントの敵ってさ、日本の中に居るんだよね。
どうか、私の頭、ちゃんと働いてくれ、それを願うばかりです。
そそ、任侠に広島は花形っす!
その反日感情すらも、操作されている場合がある。
だからね、どれだけの教育を自分が受けたかと、自問自答します。
親から、ジジイから。。。そういった眷族ね。
それから学校から、師から。。。それが自信になったりします。
その自分を信じるのね。
過信はいけないけれど、自信は「判断する自分」に必要なときがある。
ジョーさんのコメント、ジョーさんへのコメ返、見てみてね。
「興味本位」かどうか、自分で自問自答してみて。
それで、どうしても知りたいときは、率直に聞くの。
相手がこちらを、どうおもっているのか。
そのことを踏まえて、どうしてそれでもここにいるのか。。。
どういう答えが返ってきても、そこからまた訊く。
それが財産になる時が来る。お金の財産じゃないよ。
私ね、在日の人が日本を批判する場に居て、
こっちにしてみれば、「逆差別!」っておもう理不尽さを感じた時があった。
そのときに「じゃ、どうして今ここにいる?」と訊いたの。
「アナタ方は、強制的にここい連れて来られた歴史がある。これには、ナンにも言えない。
でも、私個人がしたんじゃない。だからこの場で私がアナタに、なんか後ろめたさを持って
話さなければならない事じゃない。
歴史がねじ曲げられそうな時に、声を大にして闘うかもしれない個人の私に、
なんでアナタに対して、私が反感を持ってしまうような事を言う?」
いまのこの生活が捨てれないから、ここにいるんだろう?
なのです。んじゃ、朝鮮に帰れよ、今だったら帰れるぞ。
なのです。
相手は、しばらく考えて、「ごめん」といったのね。
私が相手を想っていないんじゃないと、相手は知っていたからね。
でもね、勝手に連れてきておいて、日本は今でもかなり冷遇してたのね。
いまはちょっと不勉強で、知らないのだけれど、
朝鮮学校の友達は、朝鮮学校が学校と認められてなくて
進学には「大検」ウケなきゃイケなかった時代だったの。私たちのときは。
そんなバカな事ある?
だってね、勝手に連れてきておいて、母国と学ぶ学校を学校と認めない。
これはおかしい。絶対に日本がオカシイ、そうおもったな。
アイデンティティ、これは尊厳だから、そこまで踏みにじったらイケナイ。
拇印の問題もあったわ。
いろんなことをマノアタリにする時代に、私たちは育ったわ。
だからね、率直さは武器よ。
商売って、ほんと陣取り合戦で、
「ダレにお金、払います?」の場面いっぱいあると思うんです。
んじゃ、私に払ってよ!なのです(笑
バカなやつ。。。これがいるんです。
私は謙虚ではありませんから、「格下」が、私を知らずに何かしら言った言葉は、
絶対に許しません。私がお金を払う方であらば、尚の事、それだけで安かろうがナンであろうが、
そこにお金を払う事はしません。買わない。。ということです。
人のキズには、自分のキズ以上に、神経を使わねばならないと思っています。
自分のキズなんざ、まぁ、いつでも大した事はないです。
同じ気持ちには到底なれませんし、そんなおこがましいことは、思えません。
でも、「理解しようとしている」その姿勢はいつでも、表したいと思います。
ナミダ出来るか。。。そこ、難しいですよね。
解った振りで泣く方が失礼のときがありますもの。
だから、誓うことしかできません。
金の切れ目が縁の切れ目。。。よくいいますよね。
でも、私は、どっちの立場であっても、切れも切れさせもしない。
と、気負ってますです。
切られても、おかしく無い程なんですよ(笑
ほんとに私、ヒドいヤツだ。。。なんですよ。
相手の気持ちになるとか空気を読むって
商売じゃなくても大切で広島じゃなくても必要だと思うな~
う〜〜〜ん、ずるいのか?それ。。。違うだろうよ。
私ね、方言を使うのね。
方言ばっかり使う場と、標準語(これもイントネーション正しく無いとかっこわるい)ばかりの時、
そして方言をちょろっと挟む時。
仕事の時にそうなの。
効果的でしょ?人間関係の円滑さや、「お近づき」に、不可欠でしょ?
思い遣りだと思うよ、KOOLのは。
理解し合うなんて、そうそう速い速度では成し得ない。
そしたら、厄介事は省いたがいい。
たかだか言葉で、5キロの道を15キロ掛けたくは無い。
わたしだって、KOOLきっとそうするよ。
KOOLのは、配慮で、思い遣りだよ。
コメントありがとうございます。
私のたった一つ、自慢出来るところ。
「率直さ」だと、自分で思ってるんです。
図々しいと率直の、ギリギリの境目かもしれません。
回りが「ヒヤッ」とする事も、訊きますが、それでも相手をフキゲンにさせた事が、
未だかつて一度も無い。それは若い頃からです。
「アナタの事が知りたいから、だから無知な私は無礼承知でお訊きします」
その気持ちを相手がくんで下さる大人であった、という事ももちろん、それに助けられています。
助けられてはいますが、私は質問の仕方よりも、
「どうやって私の『知りたい』と思う心を、感じてもらおうか。。。」そこに集中しています。
そして反対に、興味本位で訊いているときは、
「これは私個人の興味の範疇なのですが」と、明らかにします。
「答えなければなりませんか?」と訊かれる事もあります。
その時には「お答え頂きたいと思って、私はお訊ねしています。」
これで、お答え下さらなかった人は、いませんでした。
掴む努力はするのでしょうが、掴みかねた時には、きっと私は
「っと言うお話を聞いてきました。
私はアナタを、どの広島と認識してお話し申し上げればいいのでしょうか。」
と、訊いてしまうんだと思います。
これはどうなんだろうね。。。もーやん
去年の旅行は、沖縄だったんですよ。
ってか、沖縄毎年行くんですけどね。
若い頃はガッツリ遊ぶ事ばっかり考えて、ついでついでに回っていた頃もありました。
去年は、「よし、そういった爪痕を、きちんと巡ろう」って決めて、
遊ぶのは夜だ!見たいに計画しました。
何度も行ったのですよ、過去に。でも、新たな気持ちで。。。って。
そこでね、小渕さん。。私は決して好きではなかったんです。
好きではなかったんですが、彼が忘れなかった沖縄を見ました。
人間的な政治家だったんだなぁ。。。と、初めて彼を思いました。
話しは飛びましたが、本土は沖縄をいつでも犠牲にしてきましたよね。
独立した文化や思想や、そういったものを持っていたあの「王国」を、
捨てたり利用したり。。。力任せでしたよね。
そのコトを、ホントに今思います。
毎年、違う思い方、違う感想を持って帰ります。
沖縄だったんですか?
ただ、そういうニコニコと写真をとる「観光客」に支えられてるのも、沖縄ですね。
自分に興味を持ってもらったり、努力する時間を費やしてもらうと嬉しいよね。
こっちも相手に一歩近づいてみようかなって気分になってくる。
まずは手をさしのべないと、お近付きにはなれないものさ。
言葉一つ、本当に大事ですよね。その人にとって大きな意味がある言葉、何かを思い起こさせる言葉って
あると思います。そのシチュエーションで必要な思いやり、配慮、それができない人間にお金も心も
開けない、当然だと思います。戦争のことにしろ何にしろ、学校では教えられないから知ろうという意志を
持って自分で動かなければわからないことって本当に多いよね。。。
KINACO 寺
アヤしい儲け話をたくらんでる時
チベットの高僧たる KINACO 様
イヤミを一発ブチかます時
そんだけ、郷土愛の強い国民性という事でしょう^^
いろんなほかの感情を呼び起こしてしまったり。
相手を知る。相手の立場に立つ。
そういうのってすごく大事ですよね。
なんか、ちょうどそんな事を考えていたところだったので、全然違う話だったら申し訳ないんだけど、
タイムリー!と思ってしまいました。
特に営業の仕事をしていたときには、相手がどういう人で、どういう背景を背負っているのか等、頭の中でダーっと計算しながら話をしていたので、今、自分がお客様の立場になると、そういうことを全く考えない営業マンや販売員が多く、ぶち切れそうになります。真剣に仕事しろよ!といいたくなる。
日本人が先の戦争中にしたこと、受けたこと、は戦後生まれだからと言って、無視するわけにはいかない。それを忘れずに、必要なときにはきちんと考える。これは日本人として生まれた責任かな、と思っています。
4つも広島が…笑
広島の被爆者の物語なんですけど2世3世と原爆症が遺伝して
今も続いてるらしいんです・・・
あの傷はどんどん広がってるような気がします・・・
それとアメリカで日本に原爆を落とした軍人がTVに出て
英雄扱いされてました!!
戦争を終結させた男だって・・・
どうなんでしょ・・・
4つの広島。。。
深い話です。。。
たくさんあったとは知りませんでした。歴史的な背景って、
自分の周りが平和だと忘れてしまうな~。反省。
KINACOさん
ココにコメントをつけるとき
KINA姉ーさん
プレミアショップの宇宙服をねだるとき
KINACO
こややし家でコメントを書くとき
きな!
鼻に鉛筆を詰めた写真を送られてきたとき
原爆を体験した年配の方々には、すごく深い意味があるんでしょうね。
私の周りの人を見る限り、広島の人はアイデンティティや主張が確立してるって感じします。
わからなければいけないことだ!
みなさん、真剣なコメされてる~
と言う事で・・・・・・・
広島の平和行進に参加した事があります
原爆資料館も見学しました
あの悲惨さは筆舌に尽くせません
資料を見てで、そうなのだから現実は想像もできない悲惨さだったのでしょう
そして、いまも苦しんでいる方々がいらっしゃいます
私は原爆の投下だけを語るのではなく、戦争と言う狂気そのもを語るべきだと思っています
ただ、直接の当事者である広島、長崎の方々は特別だと思います
人類初の原子爆弾の被害者であり、あの惨状が核爆弾の抑止力としての(使えばああなる・・)証明にもなっている
世界に向けて、発言する権利があると思っています。
第二次世界大戦について、語ったらとても語りつくせないので省略しますが、これらの事実を知ったのは
学校の授業ではありません
たまたま、戦争映画に興味を持っていたので自分でいろいろ調べたり、書物を読んで知りました。
学校では教えてはくれません。まして、世界的に明らかな事実(確たる証拠、当事者の証言がある)事柄でも
否定する国会議員、それを支持し標榜する団体。これらが公然といる事が今の日本の現状でもあり、問題ではないでしょうか。
私は反戦活動をしていて、右翼団体の襲撃を受けた事があります
警察、機動隊は守ってくれませんでした。彼らは、警察がいても平然と襲撃してきました。
(特別な集会ではありません、労働組合員、現地の農民が開いていた反戦基地集会です)
話がだいぶ脱線しましたが、今の日本では、真実を知ろうとしたら自分で知る努力をしなければならないという事です
だから、広島や長崎、沖縄等々、日本人として知らない事が多すぎるのではないだろうか
某、仁義なき○○のファンですきにぃ
じゃけんのう~文太の兄キィ~ヽ(^o^)丿
考えもしなかったけど、大人になって他諸国からの反日感情が戦争時代に行った行為に起因して
いることを知ると、悲しい思いをします。
なんで当事国である日本が、正しく教えないのだろう。
今でも、あたしは正確には何があったのか理解できていないと思います。
日本の中でだけで生活する分にはさして困らないとおもっていたけど、
最近、会社に中国籍の方が入社されて、あたしたちをどうゆう風に見ているのか
何を思って日本の企業に就職されたのか、聴いてみたい気もしますが
興味本位で聞くのは、すごく失礼なことだと思うので、あまり触れないように
してしまいます。 でも、それも失礼な事なのですよね。きっと
時間が経てば全てが解決する、と思っているんでしょうね、日本国は。
近くに大きな家を改築した感じがする『壁博物館』がありました。
いろんな展示物と混ざって東から西へ、命を賭けた脱出劇のドキュメンタリーが流されていました。
ドイツ人らしき人が何人か目頭を押さえていました。
ああ、まだ数年しか経っていない。。。
同じドイツ人でも、ベルリンに住んでいる人しか分からない痛みがある。
土地の記憶。。。
特別な意味を持つ哀しみ街。
わたしはヒロシマ・ナガサキを思い出していました。
人類史上、唯一、兵器として原爆を落とされた街。
日本人であるがゆえ、原爆に対しての怒りはありますが
原爆記念館で痛ましい思いはするものの、泣けるか…。ヒロシマの痛みは理解できても
生活の奥深い処まで達したものではありません。
世界中に特別な意味を持つ場所、街があります。
その意味を理解するには、知ることと想像力を必要とします。
ビジネスに関して言えば、ジョーさんに近いかも。
わたしは大手金融機関に勤めていたので、カネの切れ目が縁の切れ目をいっぱい見てきました。
それに深く苦しみ悩む人々も。。。
おカネは時々、人の心と違う動き方をするからね。
それでも、ビジネスの在り方としては正しいと思います。
SRが問われる時代だもの。
たぶん、良心に払えるおカネが財布に残っているか
そこが運だね。
健闘を。。
蛇足。。。お体に気をつけてね。おでんばっかりじゃなくてちゃんと食べてね。。
黒人の人達を相手に話をしてる時、アタシは知らず知らずにちゃんと言葉を選んでるらしい。
英語はエボニックと言われる、黒人英語をある程度、使ってるんだそうだ。
これは、もう15年ぐらい付き合ってる友達や、旦那にも言われてる。
でも、会社だとまずアタシは普通の英語を使っていて、旦那が黒人だと思う人は絶対に居ない。
隠してるわけではなくて、写真も飾ってあるから、見れば解るんだよ?
でも、アタシの言葉からは予想が付かないらしい。 (怒ると日本語だしねwww
もしアタシがエボニックを会社で使ったら、アタシにいくらスキルがあっても、
話しがマトモな内容でも、上司(白人)は絶対に聞いてはくれないんだろうな。
残念だけどもそれが現実なんだ。
そして、アタシはそれを解ってて、きっと無意識に使い分けてるんだよ。
なんだか、姑息だなぁ・・・。
日本だって・・・JAPAN・・・ニッポン・・・ニホン・・・
個人だって・・・相手の感情を逆なでしていい結果はよほどのことがない限り
(作戦としてわざと相手を刺激してこちらに注意を向ける?!時々使う手ですが・・?)上手くはいかないでしょう?
ただ・・・相手の立ち位置を確認したうえで・・・
その立ち位置が自分と相いれない場合が大変なんだよね。
特に金が絡むとね・・・
往々にして利益は相反するしね~。
とっても聡明なるあなた故に、逆に、ご自分の立ち位置を相手に理解してもらう方がいいかな?
そんな風に考える、モーやんの好きなジョーでした。
彼らは一様に明るいけど背負ってるものは重いからね。
新婚旅行のときタクシーの運転手さんに聞かれたんだ
「ひめゆりの塔だとか戦跡めぐりはしますか?」って
表情が通常の笑顔と違う気がしたので、黙って見つめ返すと
「笑顔で記念写真撮るためなら連れて行けない。せっかく新婚旅行楽しみに来てるのに悼んでくれと強制はできない。知って欲しい気持ちはいっぱいだ。そう思ってる人がたくさんいることを忘れずに出直した時に行ってください。私は新婚さんを連れて行きたくはない。」
最初にガツンとやられた感じでした。
口に出してくれる運転手さんだったから良かったけど
同じこと思いながら、みんな笑顔で案内してくれているわけで・・・・
背景を思い遣るって大事だよね。
商売のためというわけじゃなく、事前に相手を知ろうと思い遣ることで開ける道もある。
閉ざされる心を知らずに通り過ぎては、なにも生まれないからねぇ・・・