Nicotto Town



アスパシオンの弟子71 白き魔人(前編)

 癒しの技を受けたノミオスの呼吸は、ゆったり深いものに安定していった。

 ローズとレモンの悲壮な表情が和らいでいる。ようやくのこと、怒りに任せて何もかもを破壊しそうな狂おしい雰囲気ではなくなった。たぶん俺の貌も、そんな感じに変化したんだろう。妖精たちが俺に安堵の微笑を投げかけてきてくれている。

「ここは……?」

 意識を取り戻したノミオスがうっすら目を開けた。俺たちの笑顔はさらに深まったが――。

「いやぁああああああ!」

 目覚めたとたんにノミオスは、恐ろしい悲鳴をあげて暴れ出した。目を見開き、頭を抱え、悲鳴が止まらない。

 メニスの癒し手はとっさに魔法の気配を下ろし、彼女を眠りの中にいざなった。

「かわいそうに精神が壊れている……この子は誰の子だ? 一体どんな恐ろしい目にあったのだ?」

「この子はアイテリオンの子だ。ノミオスといって……」  

 事情を話すと、癒し手の顔からみるまに血の気が引いた。

「まさかフラヴィオスの他にもう一人、隠し子が?」

 メイテリエ。白い衣の癒し手は、そう名乗った。

「見ての通り、リシだ」

「リシ?」

「白の技の使い手のことをいうのだが。メニスの子と浅からぬ縁であるのに、そのことは知らぬか」

 それはとても古い言葉で、賢者や導師という意味だという。

「私を筆頭とするリシの一派は、アイテリオンの子フラヴィオスを魔王化させることに反対した。先の魔王カイネミリエと同じ結果になると読んだからだが、それゆえにここに封印された。神聖暦でいうと7346年のことだ。おまえたちはいつ放り込まれたのだ?」

7361年だ。今は、それから二年半は経っているはずだ。外の情勢がどうなっているか心配でたまらない」

「そうか……」

 伏せられたメイテリエの菫の瞳には、静かな怒りの炎が渦巻いていた。

「世界から文明を奪い、人間を無知で動物的な慣習の中に貶め、魔王が操る魔物によってその数を減らす。王の計画を、当初はメニスのだれもが支持していた。だが数百年経ち……この計画は我々メニスにとって、益のないものと判断せざるをえなくなってしまった」

 まるで燃え上がるようなぎらぎらしたものが、その瞳の中にあった。

「精神性が退化した人間どもは、我々を公然と虐げる獣と化した。メニスの庇護法など、あってなきがごとしだ。我々が平穏に住まうことのできる地上は、どこにも存在しない。我々は以前にも増して、隠れねばならなくなった」

 たしかにそうだ。アイテリオンは灰色の技を滅ぼして人間たちの進化の歩みを止めた。

 延命技術を失って退化した人間たちは迷信と無知に縛られ、ますますメニスを虐げ、その体からもたらされる不死の力を求めている。メニスが無防備に人間たちの中を歩けば、たちまちノミオスのような目に遭わされてしまう……。

「文明を失った野蛮な人間たちは淘汰され、いずれ魔物のごとくに我々の支配下に収まる。王はそう信じている。だが、一度文明の頂点を極めた人間たちの脳は魔物とは違う。生活環境がいくら劣化しようが、言葉と思考はそう簡単には奪えぬ。

 人間たちを我々同様に精神性の高い生物に昇華させた方が、我らメニスが地上で安住できる日が早く来るのではないか……そう私は主張したが、とりあってはもらえなかった」

 癒し手の怒りの瞳の中に、潤んだ真っ白い液体がじわじわとにじんできた。何より一族から犠牲を出すような戦いは耐えられぬと、彼は震えながら囁いた。

「カイネミリエ……あのような子を、もう二度と出してはならぬ……」

 カイネミリエ。かつてエティアに出現した魔王の名前を、俺はこの時初めて知った。

 俺たち人間はただ「魔王」と呼んで、その者と戦っていた。魔王自身、「魔物の王」と自称していたから、本当の名前なんて誰も知らなかった。だが彼には、ちゃんと本名があったのだ。そして――

「かわいそうなカイネミリエ……」

 きっと想い人もいたのだろう……。

 鬱々とした怒りと哀しみを秘めているメイテリエの菫の瞳。俺はそこに直感的なものを感じて慄いた。

 口が裂けてもこのメニスに言ってはいけない……俺がその子を倒したひとりだと。そう確信した。打ち明けたならきっと、ぶち殺されるだろう。

「まずはこのメニスの子と仲間たちを、安全な所へ運ぼうぞ。ここよりさらに地の奥底にある墓所は先祖の霊を祀る聖域だ。そこへ逃げ込めば、王とて手出しはできぬ」

 メイテリエは凍結の泉に投げ込まれた仲間たちを救い出しにかかった。

 俺は迷わず彼に協力した。自分が製造に関わった泉だから、その仕様は知り尽くしている。自回転する泉の堰は、自己再生と自己発電能力がある特殊な合金製だ。つまりそのまま半永久的に稼動可能だが、定期的なメンテナンスをするものと想定して物作りするのが、灰色の導師のしきたりだ。
 俺は泉のすぐそばにある隠し窓を開き、宝石をあしらった操作盤をいじった。

「たしか緊急停止のコード番号は『ひみつのすいっち救急用』だから、13241……」

「おまえは、一体何者だ?」

 メイテリエの菫の瞳に驚きの色が混じる。俺は苦笑しながら答えた。

「とある導師の、ちょっと器用な弟子だ」 

 コードを打ち込まれた泉から時間流の影響がなくなるや、俺とメイテリエは泉に韻律を放って囚人たちをひとり、またひとりと水面に引き寄せ、救い上げた。

 すでに亡くなった者は三人。瀕死の者が十一人。メイテリエの癒しの技で、生き残った者たちはいくばくかの元気を取り戻した。これで味方が増えたと思った矢先――。

 ヴン、と空気を切る音がして、泉の間に続く暗い通路からまっ白いものがどっと押し寄せてきた。

「さすがに気づかれたな」 

 メイテリエの顔が歪む。通路を飛んできたのは半精霊のごとき物質で、真っ白い白鳥のような体に真っ青なひとつ目を持っていた。

 群れなして鳥もどきたちが泉の部屋に飛び込んでくると同時に、韻律の詠唱が高らかに響きわたり、メイテリエの右手から白い光が迸った。

 とたんにつきあたりの岩壁が音を立てて開く。

 隠し扉だ。

「聖域へ退避しろ! みな急げ! ……ぐあ!」

 白い鳥もどきの鋭いくちばしが、鳥たちの侵入口に壁のごとく仁王立ちになったメイテリエの脳天を貫いた。ほとばしるまっ白な甘露の血。飛び散る脳漿。もともと肩や頭に重傷を負っていた彼だ。これではもう……。

 だが驚いたことに頭を割られたメイテリエはよろよろと立ち上がり、鳥もどきに向かって光弾を放った。何もしていないのにみるみる傷が塞がってきている。

「この治り方……!」

 瀕死の怪我を受けていても、なんでもないように動けるその身。異様な治癒の速さ。

 まさか、このメニスは……。

「急いでここから出ろ! みな地下の聖域へ避難するのだ!」

「待て! 俺も戦……うが!」 

 赤猫の剣を背中から引き抜くや否や、鳥たちは俺の手を狙って襲ってきた。

『きゃあ! ちょっとなにするんですかあ』

 剣がおそろしい勢いで地にすっ飛ばされる。まるでかまいたちだ。

 メイテリエがめげずに、鳥たちの侵入口に何枚もの結界を張る。だが奴らの尖ったくちばしは、いとも簡単に物理結界を突き砕いてきた。

 だめだ。たった独りではこの攻撃を抑えきれない。

『光の矢放て、右の同胞!』

 俺は唸りをあげて突進する鳥たちに光弾を放って引きつけて、妖精たちに叫んだ。

ローズ! レモン! 早く逃げろ! ノミオスを頼む!」

 俺はメイテリエと共に侵入口に立ちふさがった。

 みなの、盾となるために。

 

 

アバター
2016/03/23 00:03
戦いは止みませんね。
アバター
2015/11/14 13:01
怖い戦いの始まりですかね。




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