Nicotto Town



アスパシオンの弟子72  水鏡(前編)

 暗く。長く。細い廊下。左右の岩壁にずらりと並ぶ金属扉。

 壁に点々とつけられた蒼白い灯り球が、扉に彫られた流麗な竜紋を淡く照らし出す。竜を手なずけ使役していたメニスの一族の、古い紋章だ。

 ずるずる這い進む俺の目に、廊下の両端に落ちている白い羽毛が目に入る。どきりとして見渡すも、恐ろしい鳥の気配は一羽もない。

 俺達を襲ったひとつ目の白い鳥は、普段はこの廊下にいて、扉の上についている止まり木に止まっていたようだ。半精霊だから、エサはたぶん灯り球の光。ゆえに廊下にはフンの汚れはない。

 幸い、鳥以外の警備兵はいないようだ。俺とメイテリエは、地下廊下の警備システムをすっかり駆逐したらしい。

 灰色の導師たちと泉を作った数百年前には、警備鳥なんて一羽もいなかった。作業者の詰め所兼宿泊室としてこの廊下に面する部屋をいくつかあてがわれ、広くて暖かい寝床で快適に過ごした。

 立ち入りは禁止されたが、この地下には、図書館や繭部屋、宝物庫などがあると寺院の巫女に教えてもらった。そして、豪語された。

 このメニスの里には、牢屋も拷問部屋も処刑室も「存在しません」と。

『我らメニスに、そんな野蛮なものは必要ありません』

 メニスは、精神性の高い高潔な種族。まったき善人。白い衣の巫女はそう信じていた。

 そんな信仰と信念を裏切るようにアイテリオンは泉を作らせ、永遠の牢獄とした。しかも放り込む前に囚人たちをひどく拷問している。凍結封印するということは、永遠に輪廻させないということ。すぐに首を落として処刑するよりもはるかに残酷な所業だ。

 時の泉で一族を統制する「時の王」。なんと恐ろしい暴君だろうか。

 メイテリエのきらきらとした体液――オリハルコンが混じった血が、岩盤の床にいたましい跡をつけている。光沢のある銀色で、甘露の香りはかなり薄い。

「やはり混ぜ物が多いんだ」

 十字路を二回通過したが、魔人たちの進路はまっすぐだった。前方の廊下もつきあたりにある石の階段も、メイテリエの血で銀色にてらてら濡れていた。

 泉を作りに来た頃と作りが変わっていなければ、昇った先には聖堂の間があるはずだ。そこには大きな祭壇があり。巫女たちが常に大勢侍っており。そして――王の玉座がある。つまり、メニスの中枢にある人々のまん前に出てしまう。

「小さくなって……別の通路を行くしかないな」

 俺は腕輪をかりりと回して波動増幅装置を起動させ、変身術を唱えた。白いモフモフの、あの生き物になる韻律を。

「よし!」

 俺の体は何の抵抗もなくじわじわ縮み、あっという間にウサギに変じた。こんなに簡単に変化できるのは、幼い妖精たちのためにと最近ひんぱんに変化していた賜物だろう。

 ピピウサギは年長の妖精に乞われて、好き嫌いの矯正だのおむつはずれのしつけだのにずいぶん駆りだされた。

「ニンジン、ブシャー☆」とか「はい、ち~☆」とか、「むぎゅぅ~☆」とか、ウサギでやってやると娘達にすこぶるウケた。雑誌社やってる妖精たちが、俺をモデルに絵本を作ろうとかそんな話も出るぐらい人気で……

 ああ、俺の娘たち……みな元気だろうか。無事でいるだろうか……。

 ウサギに変化すると体の傷が劇的に回復した。細胞再生が促進されたらしい。

 腕輪を首輪にしてはめ。ぼろぼろのオリハルコンの布を裂いて巻きつけ。俺は大きな両開きの扉が向かいあっているあたりの止まり木に飛び乗った。数百年前にこっそり確認したままに、

そこには小さな通気孔があった。

 俺は迷わず我が身をすべりこませた。寺院の外に通じる、希望の孔に。




 細い孔は、まっ白な寺院のそばにある大きな池の岸辺に通じていた。

 がむしゃらに進んで外に頭を出すなり、夏の快晴のごときまぶしさに襲われる。

「うっ」

 まばゆさに目がくらむ。見上げれば――頭上には、まっ白に輝く鏡のような膜があった。

「水鏡だ……」

 晴れ渡った空よりもはるかに明るい人工の空。

 それはメニスの里をあまねく照らす、巨大な水の天蓋だ。

 この煌めく水鏡は、透明な結界の膜からできている。恐ろしく広大な結界の上に、何百本という細い滝の水が絶えず流れ落ちているのだ。

 無数に小さな穴の開いた岩盤から落ちてくる何百本という滝。その大空洞は、まっ白な光ゴケにどこもかしこもびっしり覆われている。水鏡の天はコケの光を反射して、常にまぶしく輝いている。

 滝の水が落ちる岩盤の上には、伏流水がたまってできた広大な地底湖があるという。

 地底の大空洞に創られた里の果ては、高台にのぼらないと見渡せないぐらい遠い。

 寺院の周囲には、白亜の家々が何百何千と建ち並んでいる。

 中央区には魚が取れる池が数箇所。北部には様々な果物が実る果樹園。南部には茶やキノコ類を栽培する広大な畑や家畜の放牧地と、そして……地上へ通じる大穴。南端のその抜け穴しか、地上へ至る道はない。

 数百年前の巫女たちは、三万人のメニスが人の目を逃れてここで暮らしていると言った。今はどのぐらいいるんだろうか。減っているんだろうか……。

 池の岸辺でメニスたちが笑いさざめきながら、桶に水を汲んでいる。池の上には、魚をとる細い丸木舟が何隻も浮かんでいる。まっ白な舟に彫られた竜紋も、竜頭をかたどった舟の形も、流麗で美しい。

 夜のない、平和な美しい里。

 ここはまさに、楽園だ――。


 oculos lux

 album lux

 placet portavit

 placet expandit


 両端が円形の白亜の寺院から、美しい歌声が流れてきた。

 何百何千という声の唱和だ。

 寺院の広間でメニスたちが歌いだしたようだ。歌声は大きな魔力のうねりとなって、寺院の中央にある煙突のごとき円塔から立ち昇っている。

 メニスたちは岩窟の寺院の風編みと同じように、水鏡の天を創る結界を編んでいるのだ。


 placet fulgebunt

 placet connivet ……


 円塔から立ち昇る魔力の柱は、天に昇りつくや広く薄く伸びていった。まるで水を受け止める、神の両手のように。

 結界の上に落ちた水はしばしぐるぐると滞留し、巨大な滝となって南北の端から流れ落ちる。その二つの滝が作り出す風が、絶えずひゅうひゅうと里に吹きつける。ほどよく湿った、ここちよい風を。

 俺はしばし陶然と、きらめく水鏡の天を見上げた。

 この里で魔力のない者が蔑まれるのは、この美しい天の構造ゆえだ。

 メニスたちは歌う。一日に何度か、交代しながら歌う。もし結界がなければ。編み上げることができなければ。白亜の楽園はたちまち滅んでしまうから。

「鏡作り」は、里の住人にとって最も重要な仕事。

 結界を編める魔力があること。それが、ここで生きるための最低条件だ。

 灰色のアミーケもアイダさんも、この里の天を支えられるほどの魔力を持って生まれなかった。だから、外に出された。

『私は、たちの悪い落ちこぼれです』

 フッと、アイダさんの顔が脳裏によみがえった。

 寂しげな、紫の目の美しい顔が。

『虹色の魂の子だって期待されて、このていたらくですからねえ』

 泉を作っていた時、アイダさんはそう漏らした。

『まあ……今度生まれ変わったら、びっくりするほど魔力がある者になりたいものです』 

来世こそは、白の技を継ぐメニスに?』

 アイダさんは、俺の問いにきっぱり答えた。時の泉にあの一分停止の細工をしながら。


『いいえ。もうメニスには生まれたくありませんね』


アバター
2016/04/18 23:52
複雑な想いがあるんですね。
アバター
2015/11/21 08:44
人は生まれ変わったら、別のものに成りたいと言う願望が有るのですかね。




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