Nicotto Town



アスパシオンの弟子72  水鏡(中編)

 アイダさんは寂しがりやで。でも面白くて。ちょっとおかしな人だった。

『人生の半分以上を、人工の空を作って生きる。これからもずっと、メニスはそんなせっぱづまった生き方をしそうですから。どうせなら人間とか他の生き物に生まれ変わって、楽しく韻律を使いたいですね』

『楽しく?』

『見ろ、この魔力を! 俺余裕で世界征服できちゃうぞ? とか人に自慢したりして』

『せ、世界征服しちゃうんですか?』

『いえいえ、そうウソぶきながら、韻律で鼻毛飛ばして誰かにこっそりひっつけたりとか、女の子のスカートめくりとかして遊ぶんですよ』

『え?』

『そんなふうに普段は余裕しゃくしゃくのらりくらりとしていてね、ここぞという時にかっこよく、右腕一本で世界の危機を救う! とか。してみたいですねえ』

 そういえば、アイダさんは昔の幻像アニメが大好きだった。最強チートヒーローもののシリーズを何度も繰り返し見ていたっけ。

 アイダさんはにこにこと紫の目を細めて言ったものだ。

『ああでも、世界を救うなんておこがましいですよね。まあ、肝心な時に一番大事な人を救えたらいいかな』

『あ、それはいいですね。そして大団円のあとプロポーズ! めでたしめでたし』

『あはは。そうですね。そうしたいです』

 楽しかったな。アイダさんとの浮き島生活……。

 俺は寺院の厨房の勝手口から、歌声流れる寺院にこっそり入り込んだ。

 大きなカボチャや果物の陰に隠れながらさっと厨房を抜け、広間に侵入する。

 鎧を着込んだ衛兵はいない。メニスは鎧を着ないからだ。

 たくさんのメニスの民が、広間の中央にそびえる銀色の円柱にむかって歌っている。これは魔力の増幅装置で、上半分は外から見える円塔に収まっている。歌声に共振し、魔力を何百倍にもして天へ流すものだ。

 俺は広間の隅の螺旋階段をかけ昇った。ひょいと階段の手すりに飛び乗れば、はるか前方の聖堂の間にずらりと高位の巫女たちが並び、メニスの民と一緒に歌っているのが見えた。しかしその中央にある石の玉座は空っぽだ。

 アイテリオンはどこだろう。魔人たちは?

 警戒しながらきょろきょろ周囲を見渡し、長い獣の耳を澄ます。すると、歌声に混じって身の竦むような音がかすかに聞こえてきた。

『いやああ! やめてええ!』

 剣の悲鳴だ。

 アイテリオンの魔人が、どこかでメイテリエを拷問しているに違いない。廊下を行きかう巫女や巫女見習いたちの目を盗み、物陰に隠れながら、俺は剣の声目指して走った。

『げふっ……ごふっ……やめてください。はなしてください!』 

 場所はすぐにわかった。悲鳴の出所は聖堂の間と逆方角に位置する半円形の棟の二階で、いわゆる宮殿と呼ばれている処。大きな竜紋が彫られた扉の向こうから、赤猫剣の泣き声がびんびん響いてきた。

『お願い! いやああ!』 

 しかし扉はびっちり韻律で閉じられており、腕輪で増幅した俺の韻律をもってしても破ることはできなかった。やはりアイテリオンの魔人の魔力は桁違いだ。勝負するどころか、土台舞台にもあがれないとは。

「テリエの体はよいだろう? 甘露がきつくなくて最高だよねえ」

 魔人のねっとりした声が扉の向こうから聞こえてくる。

『は……早くこの人から私を抜いて!』

「ああ、刺しただけじゃイヤか。たしかに動かさないとねえ」 

『ちっ! ちがいます! いや! やめて!』 

 剣でメイテリエをかなり痛めつけているようだ。

「あ。泉の死体と鳥の残骸を片付けないといけないなぁ。でもすっごくめんどくさいんだよね」

『やめて! やめて! もう、この人を傷つけないで! お願い!』

「ま、あとでいいか。ご主人様は地上に行って留守にしてるしねえ。こんな楽しいこと、すぐにやめられないよ」

『もうやめて! お願い! ひ?! いっ……』

 剣の金切り声が、俺の耳を刺した。

『いやああああっ! ソートさま! ソートさまぁ!!』

 これは……赤猫?!

 その刹那。内から扉が吹っ飛んだ。

 真っ赤な閃光が部屋から洪水のように流れ出す。扉にはりついて奮闘していた小さな俺の体は、向かいの壁に勢いよく打ち付けられた。

 部屋の中から、すっ裸の銀髪のメニスがものすごい勢いで転がってきた。アイテリオンの魔人だ。真っ赤な光に包まれ、その身がカチカチに固まっている。

 光がふっと消えるなり、魔人は目を見開いたままどそりと廊下に倒れて気を失った。長い銀の髪が床に銀糸のように美しく流れる。

「メイテリエ!」  

 後ろ足で思い切り床を蹴り、俺は部屋の中に飛び込んだ。

 赤猫が放ったらしい力に、驚きながら。




 メイテリエが囚われていたのは、真っ赤な天蓋つきの寝台が置かれた豪奢な部屋だった。

 寝台の左右には竜の彫刻が立つ噴水が二つそびえ立ち、竜紋の絨毯が大理石の床一面を覆っている。たぶんここは、アイテリオンの魔人の寝室なのだろう。 

 メイテリエは正面の寝台の上に、ぐったりと両足を投げ出してあおむけに倒れていた。

 両手は鎖でぐるぐる巻きにされて寝台の縁に繋がれ、体中剣の刺し傷だらけ。真紅の敷布は彼の血で銀色の湖のようだった。ぼろぼろの白い衣が口に詰め込まれており、銀の血の海に沈む下半身あたりから、赤猫の剣の柄が突き出ているように見える。

「ちくしょう!」

 俺は慄きながら、急いで魔人の体内に深く埋め込まれた剣を引きずり出した。そのとたん――

『きゃあああああ!』「ぐああああああああ!!!」

 剣が絶叫し。気絶していた魔人は目を見開き、海老反りになって恐ろしい悲鳴をあげた。口の詰め物でくぐもっていたが、それでも凄まじい声だった。

『私、その人を殺した? 殺したの? いや! いやあ!』

「落ち着け赤猫! この人は魔人だ。死ぬことは……な、ない」

『でも私、私の、私のせいでこの人こんなに……ごめんなさい! ごめんなさい!』

「おまえのせいじゃないよ」

 メイテリエの口から詰め物をとると、銀色の血が噴き出してきた。俺はうろたえながら、裂かれた白い衣を傷口にできるだけ押し当てて出血を止めた。

 ある程度再生が進むまで、メイテリエの首から下はとても正視できなかった。しかし……アイテリオンの魔人の、おぞましい性癖なのだろう。メイテリエの美しい顔だけは、ほんの少しも傷つけられていなかった。

「なぜ……ウサギが……?」

 みるみる再生していくメイテリエが、驚いて俺を見る。 

「あ、えっと、俺は」

 手短かにおのれの姿のわけを説明して、メイテリエの手を拘束する鎖をほどきにかかる。しかし鎖は韻律でガチガチだ。うんともすんともびくともしない。

「私の腕を斬り落とせ。その剣で切断しろ。オリハルコンの血潮は失った組織をも再生するから心配するな」

 それって切っても手が生えてくるってことか? メイテリエの再生能力は一体どんだけなんだ。俺の右手なんか、ずっと変わらないのに。いやこれは……フィリアが作ってくれた義手をずっとつけていたいって願望のなせる技かもしれないけれど。

『いや! やめて! 私、もう人を傷つけたくない!』

 赤猫がさめざめと泣き出した。俺も同じ気持ちだ。いくら元通りになるからって、そんな残酷なことできるわけがない。

「早く斬れ!」

「い、イヤだ! いくらあんたが不死身だからって!」

 一か八かで首輪になってる腕輪の出力を最大にして、俺は鎖に渾身のアレをぶちかました。 

「うらあああああ!!!」

 使い魔ぺぺの、必殺後ろ足キックを。

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2015/11/21 08:49
何かを元に戻すには、一回蹴飛ばすのも良いですね。




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