Nicotto Town



11月自作/七五三・筆 「宿り子」(中編)

 暖かい木漏れ日が、大きな枝の間から降り注いでいる。

 さんさんと眩しい光を腕で遮り、赤毛の青年はのんびりとあくびをかまして身を起こした。

 オルキスの森はエティアの南西部にあり、冬でもとても暖かい。常緑樹が多く、草地には花が咲いている。枝葉大きい巨木は雨露をしのげる格好の屋根だ。青年は草地の草を干して作った寝床から降り、目の前の焚き火の置き火を火串で引っ掻いた。

「いい具合に焼けたな」

 手まりほどの大きな木の実をいくつもほっくり返す。赤葉の木になる実で、焼くと栗のような味がする。それ自体ほんのり甘いが……

「パパ、はちみつだよ」

「おお、カーリンありがと」

 幼い娘が蜂蜜を入れた壷を差し出してきた。木の実が焼けるのを今か今かと焚き火のそばで待っていたようだ。

「火傷するなよ」

 ふうふう息を吹きながら、焼きたての木の実の皮を剥き、たっぷり蜂蜜をかけてやる。

 おいしーい! と娘が満面の笑みでほおばるのを青年はにこにこ顔で眺めた。北の辺境からこの森に逃れてきて二ヶ月。狼に育てられていた少女は、このひと月でずいぶん背が伸びている。

「あ、ママー!」 

 狼の群れが焚き火の周りに現れた。生身ではなく半機械のものどもで、その頭領は黄金の毛並みの大きな狼だ。この頭領「牙王」こそが、娘をひろって育てていた狼である。

『また鹿を逃したわ』

 ぶつぶつ文句を言いながら「牙王」はたちまち乙女の姿形となり、どぶんと干草のベッドに赤毛の青年を押し倒した。  

「う、うわちょっと」

『あなたやムスメにおいしいもの食べさせてあげたいのに。ごめんなさいね』

 金髪の美女は申し訳なさそうに耳と尻尾を垂らしたが、その体は容赦なく青年に覆いかぶさっている。娘の父親がわりである青年を相当慕っているようだ。

「大丈夫だよ。木の実がたくさんあるから」

『でも大事な記念日には、ムスメにごちそうを食べさせたいわ』

「記念日?」

『あの子を拾った日よ』  

 娘は、シュヴァルツカッツェという由緒ある家の当主の孫娘だ。

 当主が「印がない」孫娘を殺そうとしたため、娘の両親は子供を護るために家から逃亡した。だが、両親はあえなく追っ手に殺された。そして赤子は奇跡的に狼に助けられた。当時追っ手は子供は狼に食われたと思い込み、追跡を止めたらしい。しかし狼から保護した騎士団の照会で、生存していることが先方に知られてしまったのだった。

 娘は今回も狼をかくれ蓑にして、この森に逃げてきた。

 なぜに娘は命をとられねばならぬのか。

 赤毛の青年には、ただただ理不尽なことだとしか思えなかった。「印がない」ということは、一族にとってそんなにまずいことなのだろうか。

「あの子を拾った日付を覚えてるなんて、すごいね」

『あら、獣だと思ってバカにしないでちょうだい。私たちは神獣リュカオーン様のしもべとして創りだされた、半有機体。高性能の情報処理体を搭載されているの。だから日付どころか、あなたより数千倍速く計算できるし、ニンゲンのありとあらゆる記録を脳に保存しているわ』 

「それだったら、十分にカーリンの先生になれるじゃないか」

 青年は目を輝かせ、誇り高い人狼の頬を優しく撫でた。

「俺たち、いつまでここにいなきゃならないか分からない。でもさ、カーリンはいずれ学校にいかせてちゃんと教育を受けさせないとって、思ってたんだよ。読み書きとか計算とかね」

 任せて、と人狼は嬉しげにうなずき、青年をぎゅっと抱きしめた。

『私、あの子にヒトの知識を与えられるわ。そしてあなたがいれば、あの子はちゃんと人間らしく育つわ。ねえ、私たちずっとずっと、ここで幸せに暮らしましょうよ』

「パパー、ママー!」

 幼い娘が蜂蜜でべとべとの手を広げて、二人の間に飛び込んできた。

 木漏れ日の光が暖かく三人を照らした。幸せな家族を護るように。

 

  

 

 シュヴァルツカッツェ家の屋敷内にある円形の礼拝堂に、異国の音楽が鳴り響く。

 フィー、という笙(しょう)の楽の音。合間に入る、しゃん、しゃん、という鈴の音。

 いにしえの楽器を奏でる楽団員は、みなゆったり袂のある裾長の服をまとっている。

「きれいだ……」 

 背の高い貴族男は、舞台の上で楽団と同じような形の衣をまとっていく少年をうっとり眺めた。

 下着である衣(しんい)一枚だけであった少年は、ずらり居並ぶ親族たちに額の印を見せつけながら、介添えの手で幾枚もの衣を重ねられていった。結い上げた黄金色の髪に金の葉を模した額飾りがきらめく。腰につけられた長い裳布大理石の床に美しくたなびく。

 始祖アテルフェレスの生国、皇(すめら)の国の伝統衣装だ。

 着付け終わると、神楽の音色が響く中で儀式が執り行われた。

 皇(すめら)の国の神官衣装をまとった当主ヘイマオが、舞台にしつらえられた象牙の椅子に座す少年の髪に櫛を入れる。本来ならば本家の子女は三歳までは剃髪でなければならず、この儀式の後に髪を伸ばし始める。

 次の儀式は本来なら五歳の時に行う袴着の儀で、少年は参列する者たちの前で子供用の下衣から大人用の袴に履き替えさせられた。

 最後は七歳の時に行われる帯び締めの儀で、少年は袴を穿いたその上に絹織りの錦帯を締められた。当主の手で結ばれ、長い裳布の上に垂らされたそれは、あたかも天の星河を打ち流したようであった。

 長い袂を垂らす両手を広げ、当主はずらり居並ぶ一族の者どもにむかって厳かに告げた。

「これより続けて、宿り子の元服の儀を行う。我シュヴァルツカッツェ家第二十八代当主ヘイマオは、我が息子幼名アデル・シュヴァルツカッツェを次期当主とし、精霊の導きにより新たな名を名づけるものである。すなわちこの者は本日より――」




「バオマオ。変な名前だ」

「……」

 世話役の男は寝床の中で片肘をたて、金の髪の少年を抱き寄せた。少年はまぶたを閉じ、深く寝入っている。

 儀式の日から三日、長々と祝宴が開かれた。百人をはるかに超える一族と交流して疲れたのだろう。すべての客を送り出して寝床に入るなり、すとんと眠りに落ちてしまった。 

「スメルニアの言葉とはいえ、全くセンスがない。アデルの方がまだましだ」

 隣に寝そべる男は目を細め、少年の黄金色の頭に口づけた。眠る少年の夜着をするりと剥がし、細く白い背中に唇を這わせる。

 その鋭い目の隅に、壁に飾られた墨文字が映った。当主が少年に命名した時、かぐわしい香りのする板に墨筆で一気にその名を書いたものだ。それはいにしえの皇(すめら)の国の文字で、大きく「宝猫」と書かれていた。

「まあ、たしかに宝ではあるが」

 男は仄かに口元をほころばせ、ひくりと動いた白い体に腕を回した。

「美しい子……この家を手に入れたら……本当の名前で呼んでやる」 

 ふっと手から飛ばした魔力で灯り球を消す。白い体のぬくもりを感じながら、男はまぶたを下ろした。

 ほのかな幸せを感じながら。


 

アバター
2015/12/01 21:49
この後、いろいろと謀り事を巡らすのでしょうか?
アバター
2015/12/01 06:38
家の格式の問題ですかね。




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