アスパシオンの弟子77 逃亡(前編)
- カテゴリ:自作小説
- 2015/12/26 15:33:39
王子が危ない!
焦ったあまりに、力の加減を忘れた。
トルナート王子たちに剣を振りかぶった相手は、銀色の甲冑を着込んでいた。
「革命の盟主。パルト将軍の名の下に」
そいつはわざわざそう言い置いて、剣を振り上げた。
「姉さま! 姉さまああ!」「姫さま!」
姉姫にすがっている、幼い王子と侍女に向かって――。
「やめろおおおっ!!」
アフマルが王子の上に覆いかぶさって二人を護った瞬間。
俺の銀の右手が輝いて、刺客の兵士を吹き飛ばした。
両脇にいた兵士たちが驚いてあとずさるも、銀の右手からほとばしった光弾が鎧ごと胴体を打ち抜く。護衛長に鍛えられたおかげでおのれの魔力が高まっているのか、光弾を受けた兵士たちは微動だにしなくなった。
わが所業におののく暇もなく。
「わが名をかたるとは、ロザチェルリの手の者だな!」
アフマルがおのれの剣を抜き放ち、刺客の首にずんと突き立ててとどめを刺した。
いつの間にこんな手慣れた武器の扱いを覚えたんだろうと、踊り子だったアフマルの剣さばきに息を呑む。しかしこれはソートくんが仕込んだものだと、すぐにわかった。
おそらくこれはアフマルの遺伝子の中に仕込まれた、「眠れる本能」だろう。それは普段ならば決して顕現することはないもの。「俺がいなくなる非常時」が起こった時にのみ発現するというエリシア・プログラムの、隠された装置のひとつなんだろう。
それにしてもアフマルの剣の構えは、まるっきりエティアの剣の英雄そのものだ。たぶん剣の修行などまったくしなくとも、いきなり大波動斬を打ち込めたりするに違いない。
それにこの本能の力を仕込まれているのは、おそらくアフマルだけではないだろう。たぶん妖精たちすべてにこの能力がつけられていそうだ。つまり……
「俺は剣聖レベルの破壊兵器を一年に二人も誕生させてるわけか? それが現在百人以上いるってことで……まて、たぶんきっと戦闘能力だけじゃないな? 国を切り盛りするのに必要な知識や能力も全部、非常時に出る本能に仕込まれてる?」
「ええそうよ、おじいちゃん。あなたがいなくなったという信号が潜みの塔から発信されたとたんに、私たちは『覚醒』したの。お父様に与えられた能力は、戦いの技だけではないわ」
アフマルは手練れの戦士のように剣を振り、血糊を払った。
遺伝子への刻印。なるほどそれが、エリシア・プログラムの正体か。
ソートくんは俺がウサギやネズミの小動物に仕込んだやつを妖精たちに応用して組み込んだのだ。
「姉さま、眼を開けて」「姫さま!」
トルナート王子とアズハルの娘が、ぐったりしている姉姫に呼びかけている。しかし……反応はない。
三人とも、すでに傷を負っていた。
「私なんかをかばうなんて……」
泣きじゃくるアズハルの娘に話を聞けば。王子が胸を袈裟懸けに斬られたのを、アズハルの娘がかばって腕を裂かれ。その彼女をさらに姉姫がかばい、胸を刺し貫かれたという。
「あなただって陛下の娘よ。卑下してはだめ」
「でも……でも!」
「姫があなたを救いたかったのは、きっと大事な姉妹だったからよ」
アズハルの娘をアフマルが励ます。
三人の姉弟は、お互いを必死に守ろうとしたのだ。
この、絶望的な状況の中で。
「もう、大丈夫だ。塔に戻って、急いで傷の手当てをしよう」
俺は王子を背負い、アフマルはアズハルの娘と共に瀕死の姉姫を抱き上げて、蛇の地下道を進み始めた。潜みの塔にある培養カプセルに入れたら、王子はなんとか助かるだろう。でも、姉姫は……?
姫の反応は……ない。
でも手を尽くさなくては。逃げ延びなくては。
暗い地下の道をひたすら進む。
先が見えない迷路。無数にある分かれ道を、俺たちはただひたすら、急ぎ進んだ。
「大丈夫だからね」
涙がじわじわにじむ。
姉姫の息の音が聞こえない。アズハルの娘は辛そうに腕を押さえている。俺の背に負われているトルは、出血が多くて気が遠くなりかけている。
目をこらす。蛇の道から、ポチの路線に出られたようだ。番地の名前が分かれ道に書いてある。おかげで今いる場所がわかった。王宮からだいぶ西のほうに来ているようだ。
まずは地上へ出よう。そう思った矢先――。
無情にも、魔人団が追いついてきた。
一番年を取っているアリストバル護衛長と二番目に年をとっているカルエリカ。さすがにしのぎで魔力を吸ったただけでは、彼らを撃退するのは無理なことだった。
善き魔人に戻れと怒鳴る護衛長に、俺はぼんぼんとけん制の光弾を放った。効かないことはわかっている。それでも、時間稼ぎにはなる。
「アフマル、先に行け!」
俺は姫をかかえる娘たちを先行させ、追っ手に立ちはだかった。背中にいる王子も先に行かせたいが、ひとりで歩ける状態ではない。
「殿下、しっかりつかまってて」
銀の右手に魔力を込める。ありったけの力を打ち込み、その隙に義眼の魔力吸収装置をもう一度使えれば、逃げる時間を稼げるはずだ。
「ペピちゃんやめなさい! 勝手なことしちゃだめ!」
カルエリカさんが泣き顔で叫ぶ。悪い人じゃないとわかっているけれど。でも、彼女には自分の意思がない。
魔人は操り人形だ。
俺は、絶対そんなものには戻りたくない!
光弾を放つ。と同時に、赤い瞳をしゅんしゅんとさせる。
だが。
「っ!」
ぺき、と右目から嫌な音がした。右の眼がみるみる視力を失っていく。
手入れをしないでそのまま数百年。ずっと危なかったけれど、よりによってこんな時に……!
「義眼の力が失せたようだな。赤くなくなったぞ」
怒りの形相の護衛長と涙に塗れた顔のエリカさんが、右手を煌々と輝かせて近づいてくる。
「くそ!」
万事休すか? 俺の光弾はエリカさんの鉄壁の結界を割ることはできず。俺の結界は、護衛長のまばゆい光弾をはじけなかった。
「魔力は、むやみに上げればいいというものではないのだ」
護衛長が、いとも簡単にばりばりと俺の結界を破ってくる。まるで紙切れを引き裂くように。
「魔力を広げるだけでなく、縮める訓練もせよと言っただろう!」
縮める。物理防壁となる結界は、まさに魔力を凝縮し圧縮した空気の壁。広範囲に及ぼすだけでは片手落ち――だ……
「うああああっ」
目の前に踏み込まれただけで、俺の体は吹き飛んだ。
なんとか背中の王子を落とさずに、べちゃりとうつぶせに着地する。
だめだ。桁違いだ。護衛長は、一体いくつだったっけ? 三千歳? 四千歳?俺はたかだか……ああ、まだ千年も生きてない……
「白い衣の人」
突然、背中が軽くなった。えっ、と思った瞬間。
「ごめんね、僕の……ために……」
俺を起こそうとしてくれる手があらわれた。
それは。トルナート王子の小さな手だった。
「だめだ殿下! 俺の後ろにかくれろ!」
幼い王子は涙を拭き拭き、俺をかばうようによろよろと魔人たちの前に出て。ぜえぜえと息を吐きながら、魔人たちに両手を突き出した。
「き……消えちゃえ!!」
必死に叫ぶその両手にきらりと光る赤い粒がある。
右の手と。左の手と。両手に、ひとつずつ。
「悪い奴は、みんな消えちゃえ!!」
それは。真っ赤にきらきらと輝いていた。
まるで、目玉のように――。

-
- 優(まさる)
- 2015/12/26 20:25
- 逃げ切れて欲しい。
-
- 違反申告