メリクリとアケオメの意味を実感しました
- カテゴリ:日記
- 2015/12/31 00:25:15
毎年、何げなく「メリークリスマス」や、「あけましておめでとう」と言っていますが、今月はその二つの言葉の意味を痛切に実感しました。
仕事や人間関係で、いろいろと大変なことがあったからというのもありますが、それを上回ったのが、健康上の心配事のせい。
健診結果でいつも出てくるD判定、しかしそれを無視し続けて数十年。
身体に不安を抱えていたストレスは想像以上に大きかったようです。
関係する病院の広告や看板を見るたびに、いつか精密検査しなきゃなあ…と悩んでおりました。
それでついに意を決して検査を受け、D判定が出る原因が分かりました。
自分の身体に何が起きているか、その理由が判明したことに、とにかくほっとしました。
しかもまだ大丈夫である、という所見だったことも安心の一つです。
深刻な病だったら、死に向かっていろいろやることがあるなと考えていました。
闘病ブログを立ち上げたら、この閑散とした蒼雪のブログにもっと人が訪れるだろうか、などともくろんでもいました(笑)
そうしなくて済んだので、勿怪の幸いと、ゲームやニコタや犬とたわむれております。
一か八かで臨んだモンパレの「探検スカウトSP」で、狙ってたダークドレアムが来てくれて快哉を叫びましたが、ご褒美かなあ?
(貯めておいたしもふりにくを15個投げてますが↑)
とにかく、「生き延びられた」ことがうれしかったです。
昔の人は明日を生きるのも必死だったから、年を越せる喜びを言葉にしたとき、「あけましておめでとう」となるんだなあ…と、この歳にしてようやく悟りました。
うれしさのあまり、滅多に買わないクリスマスケーキまで買いました。
家族と食べる用に二つも買ってしまったので、会計でどんどん数字が上がっていくザワザワした感覚が恐ろしかったですが。
たまのぜいたくだ、と思ってこらえました。
しかしお札って重みがあるんですね。
お札が去った財布は、ものすごく軽く感じました。
今年一年を通して、少しは成長できただろうか。
そしてまた、新たな試練が「これをやってみなさい」と私に持って来られるだろう。
そのときは、どうにか乗り越えられるといいなと思います。
来年こそは何事もない年になりますように、という願いは絶対に聞き届けられない。なぜならここは、そういう世界だからです。
だから万事つつがなく過ごせるわけがない。
それでも、陰極まりて陽になるように、何かつらいことがあっても、次に明るいことが来るような、そんな年になりますようにと願ってやみません。