アスパシオンの弟子78 方舟(前編)
- カテゴリ:自作小説
- 2016/01/06 00:36:29
淡い虹色の天蓋。空に浮かぶ雲は真っ青。
普通の空とは逆の色合いの天が頭上にある。
周囲は見渡す限り林立する紅色の樹木に覆われ、果てが見えない。けれども色の違う空の丸みが、この地の形状を如実に現している。
「空気が濃い……」
2015パッスース。小さな数百人規模の村ほどの大きさの居住ドームだ。
にわかに、逆転色の空が暗くなる。みるみる紫色に染まり、再び色褪せて白くなる。すると無数の黒い粒々が現れて、黒い宝石のごときに輝き出した。色を反転させれば、これはまさしく――。
「星空か」
「はい。ここの空は、外の景色がちょうど反転色に見えます。純度八十パーセントの軽いビノニウム、二十パーセントの紫ガノバリウムの合金で作られた、強化圧縮膜が貼られているんです」
黒い星たちがまたたく空を見上げる俺の隣で、赤毛の妖精が説明してくれる。人懐っこいかわいい笑顔。はいているスカートの色は、レモン色だ。
「きゃー♪ 落ち葉♪ 落ち葉~♪」
「ヴィオ、ほらどんぐりが落ちてるわ」
俺たちの目の前にもうひとり妖精がいて、鳶色の髪の子どもと楽しげに紅の葉っぱを拾っている。そのスカートの色は、あざやかな薔薇色。
ヴィオが機嫌よく飛び跳ねているそばの円堂に、細長い培養カプセルがひとつ安置されている。中には、再生液に漬けられたトルナート殿下が眠っている。潜みの塔から、カプセルごと運んできてここに安置したのだ。
「しかしまさか、おまえたちにここで会えるとはなぁ」
感慨深くつぶやけば。レモン色のスカートをはいた娘が、嬉しげに俺に微笑みかけてきた。
「一緒に逃げたリシ団が仲間割れを始めたんです。ヴィオを新たなメニスの王にしようって画策する人と、このままどこかで平穏にくらそうじゃないかっていう人とで、争いになってしまって。困りきってエティアの陛下にこっそり打診したら、私たち三人をひそかにここへ運んでくれたんです。世界一安全な場所であるここに身を隠しなさいって」
「あの陛下、だれにでもそういってここを紹介してんのかな」
俺は声を出して笑った。
「でも元気そうでよかった。レモン、会いたかったよ」
俺がそう言うなり。レモン色のスカートをはいた娘はボッと頬を赤く染め、涙ぐんだ。
「おじいちゃん、私もすごく会いたかった!」
感極まって抱きついてくる娘の頭をぽふぽふと撫でながら、俺は不思議な反転の空を目を細めて眺めた。人工太陽は見当たらない。膜自体が発光しているんだろう。きらきら輝く黒い星たち。肺に満ちるとても濃い癒しの空気。どこかから鳥の鳴き声が聞こえる……
ここは、アルカム。
天に浮かぶ島よりさらに高い、天のきわみをこえたところにある、方舟――。
二十歳を迎え、立派な大人に育ちあがったジャルデ陛下の仕事は速かった。
副官に伝信に使う水晶玉をもってこさせるや、陛下は避難させた臣下たちに打電し、ただちに俺とトルナート王子を箱舟に運ぶよう命じてくれたのだった。
『おじいはヘイデンというものを知っているか?』
『天に浮かぶ島だろう? しかしあそこは決して安全とはいえないぞ』
凡庸な国ならいざ知らず、大陸同盟理事国であるスメルニアの軍事力は統一王国末期のものと対して変わりない。浮遊石を動力源とする鉄の竜(ロンティエ)ならば、容易に浮島へ到達できる。その昔スメルニアの管轄となった浮島は皇家が所有しており、現在は墓所として使用されていて、今でも頻繁に地上と行き来していると聞く。
『いや、目的地は浮島じゃない。そこを経由して至る場所だ。うちの属州の金獅子家が持ってる浮島からしか行けないところでな、そこはスメルニアの鉄の竜どもをもってしても届かぬ。俺の親族はあらかた永世中立国のファイカに逃したが、王位継承者の弟だけは、絶対安全なそこに逃したんだ。だからおじいもそこへ行け』
『待て。トルナート殿下はよろしく頼みたいが、俺はすんなり行くわけには――』
スメルニアとの苦しげな会戦。第二のメキドたるエティアの危機を放って、自分だけのうのうと避難所に行くことはできない。
『大丈夫だ。心配するな、おじい』
強がりを言う陛下を押し切り、俺は戦火に染まる赤空からまるでトンボのような迎えの飛空挺が降り立ち、中から出てきた官たちにどうぞどうぞと無理やり連行されるまで、できるかぎりのことをしていった。
俺しか知らない暗号(コード)をポチ2号に入力して、能力限界弁(リミッター)を外し。
『これで伝説の神獣メルドルークと全く同じ能力、つまり竜の大咆哮(ドラゴンビッグブレス)と大衝撃波(スペシャルパッチンウェーブ)と隕石落とし(メテオスオーム)をかませるようになるから! 俺の娘たちに操作させるね!』
『おお! そいつはすごいな、おじい!』
喜ぶ陛下のそばで潜みの塔にいる妖精たちに伝信を送り、暗号を打ち込ませ。
『うんそう、レティシアサイコウアイシテル、シショウゴメンナサイアキラメテ、だよ。陛下、これで塔の主砲を解放したからね!』
『おじい、主砲ってなんだ?』
『次元波動砲だ。塔のてっぺんに取り付けたんだが、平野を一瞬で灰にするから気をつけてくれ。これも、操舵と発射の権限は俺の娘たちに任せていくね』
『お、おう、ぶちかましてもらう時は、味方の軍をとっとと退避させろってことだな』
『逃げ遅れるなよ。もし巻き込まれたら、歪んだ次元の亀裂から異世界にいっちゃうぞ』
『お、おう』
さすがに陛下はちょっと引き気味だったが、ポチも塔も、エリシア・プログラムで覚醒した娘たちに委ねれば安心だ。
治療を始めたばかりのトルナート殿下をカプセルから出すのはしのびなく、俺は迎えに来た飛行機の操縦士に無理を言い、塔まで来てもらって培養カプセルを丸ごと飛行機に積んでもらった。
かくして飛空挺はぎゅんと上空へひと飛びして、金獅子家所有の浮島、五十五番島へと至ったのだが。この島は北五州の中央辺りの上空にあったので、とてもひやひやした。なぜならその真下の深い深い地の底には、アイテリオンが治め、メニスたちが死守している隠れ里がある。アリストバル護衛長たちが時間凍結から回復すれば、たちどころにアイテリオンに俺の離脱のことが知られる。魔人の反逆を知った白の導師が、俺を探し出そうとするのは必至だ。いつものようにオリハルコン製の青い衣に着替えたけれど……
逃げ切れるだろうか?
居所を知られる恐怖を抱えながら、俺は王子を封じたカプセルと共に、五十五番島にある飛翔門をくぐった。そこにはフゲーレという大きな瓜ざね型の乗り物が、弩のような射出機に据え付けられていた。
飛空挺の操縦士が引き続きフゲーレの操縦をしてくれ、俺に金属の筒を身につけろと指示してくれた。
『気体の無いところへ出ますので、筒服をお召しになってください』
それは金属製の土管のような服で、腕の部分だけ突き出ている奇妙な防護服だった。トルナート殿下が入ったカプセルは規格外ゆえに金属の筒で覆えなかったが、もとから密閉されているので心配はなかった。
かくして俺たちが乗り込んだ舟は、射出機で勢いよく弾かれて――。
『うおおおお! 大陸から出た!』
大陸どころか。
『うおおおお! 星の海! 宇宙だ! すげえ!』
この黄色っぽくて海の部分が紫がかった星から飛びだして、統一王国時代に創られた、誰も知らぬ遺物へと至ったのである。
アルカム。方舟と呼ばれる、逆転した空の色を持つ人工の小さな星に。

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- 優(まさる)
- 2016/01/06 05:29
- お舟に似り込みましたか。
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