Nicotto Town


すずのグータラ日記


ビックリ、ビックリ。

題名のごとくビックリが2つあります。
1つ目は、最近ある方からPCを作っていただきました。
もうー、ビックリ!
テレビの画面で動画見たりできるんですもん!
ありがたやー!ありがたやー!
それで、そのPCにラジオを聴けるように設定もしてもらいました!
今週の火曜日。
母がお休みでなにもすることがなかったのでラジオを聴いていました。
何となく勉強に疲れたな~
なんて思いながらラジオに耳を傾けていました。
「なにか投稿しようかな~?」と思い
衝動的にラジオのリクエストに
SEKAINOOWARIの「Dragon night」を、選び投稿。
そろそろエンディングに入ります。
という、言葉が出たので
「あぁ、ダメだったか・・・。」と、思った瞬間
Dragon nightが!!!!
耳を疑いました。
ラジオの人が
「本当は〇〇さんの曲で最後だったんですが、なんと!
今日は、時間が延長されたと先程聞かされて急遽採用させてもらいました。
えーっと、ラジオネームスコさんからのリクエストで
SEKAINOOWARIのDragon nightです。
スコさんからメッセージもいただきました。

こんにちは。初めて投稿します。
私は、動物看護師資格取得のため冬休みに入りましたが全く冬休みな気がしません。勉強を頑張れるように私の大好きなDragon nightをお願いします

はい。私もこの曲はかけたいなと思っていましたが
突然の事でかなり動揺しています。
この曲かけられてよかったです。

わーーーーーーーーー!!!!!

まーじーかー!!!!

嬉しすぎて・・・。

と言う感じです。

明後日また帰ってしまうので
ちょっと寂しいです。

そして、もう1つビックリ・・・というか悲しみで・・・。

私のいえは、少し複雑な家庭です。
私には、父親がいません。
なので、父方の母親(祖母)にもしばらく会っていませんでした。
「会いたかった」けど「会えなかった」と言う感じです。
大人とは残酷ですね。
「大人」という「権力」を振りかざし「子供」を「押さえつける」。
父親の身勝手な行動で幼い私や兄は色々な物を失い、別れを宣告されました。
大好きないとこのお姉ちゃん、お兄ちゃん。
大好きな祖母。
ですが・・・。
父親も私たちのもとから去り
周りに気が付かれない様に祖母に会いに通いました。
しかし、祖母が段差から足を滑らせ骨折をしてしまい施設に入居が決まりました。
施設には月2~3回ほど通うようになり
ようやく生活が安定した時、祖母が
「胸の所に何だかしこり?みたいな塊があるんだ」と、言い始めました。
私は「おばあちゃん、早く施設の人に相談して病院に行きなよ」と
進めてましたが、なかなか病院に行かなかったのです。
そんなこんなで2か月程経った時
施設の方に説得されしぶしぶ病院へ。
そこでおばあちゃんは「腫瘍ですね、手術でとれば大丈夫ですよ」と
病院から言われ、ホットした様子で私に笑いながら話してくれました。
その後、腫瘍を切除し元気なおばあちゃんになりました。
でも、それは辛い生活の幕開けでもありました。
数か月後の事。
施設に着いた時、何となく嫌な気配がしました。
心がざわつく感じ。
私は、笑顔でおばあちゃんの部屋へ向かいました。
そこには、いつでも笑顔でチャーミングなおばあちゃんとは思えない
暗い顔をしたおばあちゃんがいました。
しかし、私が
「おばーちゃーん、こんにちはー!」と、いって顔を見せた瞬間
いつもと同じおばあちゃんがそこにいました。
「・・・。なんとなくちがう。いつものおばあちゃんじゃない」と
確信しました。
いつも通り会話を楽しんで帰ろうとした時
「すず・・・。言いづらいことなんだけどさ。この間、ばあちゃん手術したでしょ?
それでね、実は左胸を全て切除したんだ。麻酔から目覚めたら
胸がなかったんだ。悲しかった。そんで、その腫瘍を取ったところの
側にまたなんかできたんだ・・・。
先生は、乳がんです。とは、言わないけど何となく癌だと思う。」
これを聞いた時、体の力が抜けてその場に倒れました。
あまりにも急な話で。
その後の事は、あまり覚えていない。
気がついたら誰もいない廊下で声を殺して泣いていた。
そして、すぐに手術で腫瘍を摘出した。
その時、おばあちゃんの話しだと
「病名の欄に
       乳がん
と、書かれていた」と。
母が、心配していた一番恐ろしい事がおきた
それは
「転移」
気がついたら体中に癌が転移していた。
それから、施設と病院の行き来が始まった。
でも、私は怖かった。
おばあちゃんが死んでしまうのかもしれないと。
しばらく会うのを止めた。
そして、去年おばあちゃんに電話をしたら
叔母さんが電話に出た。
驚いたがとにかくおばあちゃんの今の状態を聞いた。
「体中に癌が転移してかなりの痛みを伴っているの。だからもう施設には戻れないんだ。とにかく、今はこれ以上痛みが出ない様にするだけ。
なにも出来ないんだ。もう、意識も朦朧としてるしたまにしゃべっても
よく分からない事を言ってる。もしもの事も考えていて。
多分、もうそろそろだと思う。ばあちゃん、いつも意識が朦朧としてるのに
すずは元気かな・・・?お兄ちゃんは大きくなったかな?
会いたいな・・・。って、言ってる。ばあちゃんが生きてる間に会ってやって」と
叔母さんは言った。
兄は、なかなか会いに行かなかった。
母曰く
「小さい頃に見ていたおばあちゃんと、病気と闘っているおばあちゃん見るの辛いんじゃない?」
私だって辛い。今だって涙が出る。視界がぼやける。
そして、去年の12月31日。
兄がようやく重い腰を上げた。
前日におばあちゃんの話しをしたらすぐに部屋には戻らず
珍しく「お風呂」に、入りに1階へ行ってしまった。
なかなか、上がってこない。
心配していたらようやく上がってきた。
か細い声で
「俺、明日ばあちゃんに会いに行く。」と。
目を伏せていたが、きっとお風呂で泣いていたのだろう。
目が真っ赤に腫れていた。
「お兄ちゃんも怖いんだ」

翌日、私たちは病院へ行った。
おばあちゃんは、お兄ちゃんの手を握りしめながら
「お兄ちゃん・・・。あぁ、お兄ちゃんか」そう言いながら
泣いた。
お兄ちゃんが、みんなで写真を撮ろうと言い
みんなで写真を撮った。
私と母とおばあちゃん。
私とお兄ちゃんとばあちゃん。
お兄ちゃんとおばあちゃん。
とびっきりの笑顔を見せてくれた。

昨日、叔母さんから電話が来た。
痛みの波が激しくて辛いと言っていた。

おばあちゃんの口癖

「がんばっぺ!」

そうだ、下を向いていてはだめだ

頑張ろう!

#日記広場:日記

アバター
2016/01/28 15:34
身近な人の老い、病は辛いね。
私も今月半ばに退院したママと一緒に居るのはとても辛かったけど、そこで避けたらママが「いなくなっちゃった時」にもの凄く後悔すると思って、自分に檄を飛ばしてママの傍に引っ付いていたよ。
私は生保なのでずっと実家には居られないから、せめて一緒に居る時くらいは思い切り付き添っていたいな。

すずちゃんの叔母さんは伯母さんで、ずっと一緒に居ると辛いだろうね。。。
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2016/01/11 18:24
生きている限り、いろんなことが起こるけど
おばあちゃんの「がんばっぺ」という気持ちが一番だと思う。
すずさんも負けないで!
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2016/01/09 21:43
ラジオでメッセージが採用されてよかったね!

人生は何が起こるかわからない。
わからないけど、確実にわかるのは、いつか終わりが訪れると言うこと。
だから、悔いの無いように生きないと。

おばあちゃんにあえてよかったね。
これからも「がんばっぺ!」



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