ない、どこにもない
- カテゴリ:小説/詩
- 2016/01/10 11:31:17
以前、佐藤愛子著の「小説 佐藤紅緑」について少し触れた。
自宅から紛失してしまった幻の本である。
もう一度読み返したいと思い、ネットで古本を検索したのだが、このタイトルではどこにも見つからない。
自分の家族を描いた「血脈」という長編なら見つかるのだが、私が持っていたあの本はどこにもない。
なんと、ウィキペディアの佐藤愛子著書一覧にも載っていなかった。
これはいったいどういうことだ…。
私の記憶違いで、実はあの本は全然別のタイトルであった可能性が高い。
しかし、血脈は1800ページにもおよぶ超大作で、私の家にあった本は、ハードカバー版で、さほど厚すぎもしなかったのである。(およそ2~3センチくらいか)
緑色の装丁で、薄い黄色がかった明朝体で「佐藤愛子 小説佐藤紅緑」とあった。
どこの出版社だったかは記憶にない。
そして、内容も血脈と違っている。
「小説佐藤紅緑」」は、冒頭が紅緑の上京から始まる。
出身地の青森県弘前市から、下駄ばきのはかま姿で東京駅に降り立つ紅緑。
血気盛んで、暴れん坊の彼が、陸羯南(くがかつなん)を訪ねて東京の新聞社に入社し、そのあと俳人、大衆作家として成り立って行く。
当時の文人たちが紅緑の周りによく集まるが、みえっぱりで癇癪持ちで卒倒癖のある紅緑の家は非常に貧乏だった。
男尊女卑の思考が強いが、しかし女は大切にした。良き家政婦であり、夜に自由にできる、という意味で。という意味の文章が印象深い。
最初の妻との間にたくさん子をもうけ、栄養がままならないのにたくさん出産した妻は頭髪が薄くなっていた、という記述も覚えている。
妾もいて、後始末のためのお金を作るためにべらぼうに作品を書き散らしていた。
しかし後年添い遂げることになる、女優万里子と出会い、最初はつれなくされるが口説き落としてようやくものにする。
プライドの高い紅緑が、土下座もせん勢いでこの女性に振り回される描写があった。
そして、万里子について行ってドサ周りのような劇団興業に参加し、劇の脚本まで書いて生活を支えていた日々。
だんだん万里子の女優生活がうまくいかなくなり、劇団も破綻、借金が残った。
それを返すためにまた連載小説を書く、という日々。
不良少年だったサトウ八ローのことも、少し触れていた。
やがて少年小説の依頼が来て、「ああ玉杯に花受けて」を書く。これがヒット。
そうこうしているうちに、愛子の兄の一人が広島の原爆で亡くなる。愛人と同衾していたときに爆弾が落ちてきた、と書かれていた。
それから、紅緑が競馬にはまる話。やがて小説の話もこなくなり、世間の片隅で万里子と寂しい老年を送る。
出版社宛てに紅緑への「玉杯に~」のファンレターが来て、とても喜んだエピソード。返事を書いたけれど、その返事は返ってこなかったこと。
詩人の福士幸次郎を最も信頼しており、彼にいろいろ世話を焼いてもらっていた。
晩年、家庭菜園をして、ネギを刻んだものをご飯にかけて食べるのがごちそうだったという。誰かが見舞えば、体調の話(鼻つまりや便秘のこと)ばかりした。
そして家族らに看取られて亡くなる。彼は愛子氏を大変可愛がっており、晩年まで「愛ちゃん」と呼んでいた。
「愛ちゃん、もっとアイスクリームをおあがり」
このセリフが最終章で書かれている。血気盛んだった人間の老いが、このセリフと描写に集約されていて、しみじみと言葉が出なかった。
大作「血脈」では、サトウハチローが薬中毒だったことなどを詳しく書いているらしいが、私の読んだ「佐藤紅緑」」は、そこまで書いていなかった気がする。
そしてあまり長くなかった。なにしろ1冊でまとまっていたから。
「小説 佐藤紅緑」を検索すると、グーグルの2ページ目に私の書いた記事が出るありさまで、そのくらい認知度の低い作品だといえる。
しかしこうも見つからないと、なんだか自分がうそをついている気がしてくる(汗)
いいや、あったんです。確かに間違いなくそのタイトルで本があったんです。
本当の本当に幻となってしまった「小説 佐藤紅緑」
でも確かに存在した、という記録のために、ここに記します。
(もしかしたらタイトルだけ記憶違いという点も含めて)
※後記
上記事の本のタイトル、親切なニコ友さんのおかげで判明しました。
「花はくれない」です。
教えて下さったことに、お礼申し上げます。ありがとうございました。